雷を聞きながら「四万六千日お暑い盛り、、」 ああ、別世界だぜ 鯉昇・扇遊二人会・ビクター落語会
2007年 07月 30日
選挙は済ましたし、二日酔いも雷もおさまった模様、イソイソと出かける先は三田の「仏教伝道センター」、いよいよ悟りを求めて修行に、、いや、悟りは悟りでも笑って悟ろう!落語会だ。
ビクター主催(CDかDVDを撮ろうてんだ)だが財団法人仏教伝道協会も後援している。
扇遊と鯉昇の二人会。
俺は鯉昇にはゾッコン、扇遊はあまり馴染みがないが大好きな扇橋のお弟子さんだから悪かろうはずがない。
イソイソです。
前座、春風亭一佐が「牛褒め」を必死になってやる。
ところどころに覗く個性をうまく活かせるといいね。
入船亭扇遊「垂乳根(たらちね)」
マクラで落語家という職業の魅力を語る。
貧乏でもなれる、学歴、生まれに関係ない、場所や道具などなくても練習できる、、。
歯科医になるより納得がいく。
長屋の独身男・ハッつあんに嫁がくるという。
俺みて~なのには嫁さんなんか無理と思っていたのに18歳、器量もよくて家財道具も一通り持参するって、そりゃァなんかワケありじゃないか?
そのワケってのが育ちの関係でバカっていねいな武家の女中言葉を使うってこと。
「あ~ら、我が君」の連発や、名前を聞かれて「そも我が父は京都の産にして~」親の紹介から長々と喋るのを全部名前だと思い込んでうろたえるところ(寿限無)、八が嫁さんの来る前にこれからの新婚家庭の食事風景を思い浮かべて浮かれるところ、いいなあ。
古典落語のこういう箇所は俺でも半分暗記しているくらい頭に入っている。
それを何べん聴いても快く聴かせてくれるのが腕というものだが、初めて聴くように爆笑させたり今までと違う人間像を現出してくれると大儲けした気分になる。
扇遊、爆笑の中に独身男の色気も感じさせた。
滝川鯉昇「船徳」
例によってつまらなそうな顔をしてきてマクラもいつもと変わり映えのしないのをボソボソやってるのを見ると今夜はホントに気が乗らないのか、と心配になる。
カ、イナカ!という間で乗ってくる、乗せてくる。
先日行ったばかりの両国・「ぼうずしゃも」の名前が出てくるのが嬉しい(ミーハーだね)。
この噺は前半が道楽息子が船頭になるまでのくだり。
後半が「4万6千日お暑い盛りでございます」という文楽の名台詞で始まる船頭の実践編。
俺は文楽をテープで聞いていてどっちも好きだったが今日高座で鯉昇をみると断然後半の方が面白い。
道楽息子が船頭になったものの実際は危なくって乗れやしない。
それなのに船頭が出払っていたものだから乗ってしまった二人連れ。
三人が危なっかしく大川を行くところの鯉昇の形態模写が何とも言えず腹の皮がよじれる。
下手な船頭が漕ぐもんだから船が危うく揺れる様などは先日観た狂言・「舟渡し婿」を思い出させる。
そう言えば最近落語を観るたびに能・狂言と似ている何かを感じるのだ。
つまらない映画をみているときもそれを感じる。くどくてみていられなくなる。
簡単に言えば描写の見事さ、省略の美しさなんだろうな。
文楽と違って徳兵衛を質屋の息子にしているから変だなあと思っていたらサゲにそれを使いたかったんだ。
「質屋の息子だけに流れる」だったかな。
たしかに文楽のサゲだと船頭が「船頭を呼んでくれ」というのは可笑しくても弱いサゲだ。
だからといって質屋の息子がそれほどのインパクトがあるわけでもない。
この噺はサゲは挨拶みたいなものであまり重く考えなくてもいいのじゃないだろうか?
中入りで10分休んで直ぐに再び鯉昇の登場、さっきは真っ白な着物を薄い金色に着替えて汗も拭いてサッパリして一回り小さくなったような感じ。
今度は短いマクラで「こんにゃく問答」。
これも俺は小さんや圓生のをテープで聴いているだけだった。
落語は聴くもの、というがこういう噺は観ると聴くとじゃ大違いってもんだ。
こんにゃく問答そのものが無言で手振りだけでやるんだから観なきゃしょうがない。
大笑いで満足したのに、こんなことを言っちゃあいけないけれど「船徳」みたいな大ネタをあれだけ熱演して直ぐにもうひとつというのはちょっと気の毒な感じがした。
なるほど寄席で色物を入れたり若手が新作で繋ぐ番組の作り方は合理的なんだと思った。
にもかかわらず鯉昇が場内を沸かせて退くと
扇遊も着替えて登場「文違い」だ。
お客を二人手玉にとって金を出させる新宿の女郎、なんとなく吉原の花魁とは違って騙す女郎も騙されるお客も田舎臭い哀れさがある。
見事な手管で金を騙し取った女が今度はもっと悪の男に自分が使ったのと同じ手管で騙し取られる。
泣き落とし、開き直り、脅し、惚れた弱みだ、松坂を連れてこなくてもキリキリまい。
女郎のずるさ、哀れさも十分描いて満足のいく出来だった。
途中で雷が鳴る。
きっとビクターの録音にも入ってしまったろう。
学生時代、今はなき人形町末廣亭にいると表のチンチン電車や車の音が聞こえてきて、それが当時の録音にも入っている。
そのせいかなんだか雷の音も嬉しかった。
気持ちの良い楽しい思いをしたのが昨日のことなのに、今ずっとテレビ(この何年かでこれほどテレビを観たことがないくらい)を観ていて、この国がダメになっているのを感じたら人形町の録音のように昔の出来事のように感じてしまった。
ビクター主催(CDかDVDを撮ろうてんだ)だが財団法人仏教伝道協会も後援している。
扇遊と鯉昇の二人会。
俺は鯉昇にはゾッコン、扇遊はあまり馴染みがないが大好きな扇橋のお弟子さんだから悪かろうはずがない。
イソイソです。
前座、春風亭一佐が「牛褒め」を必死になってやる。
ところどころに覗く個性をうまく活かせるといいね。
入船亭扇遊「垂乳根(たらちね)」
マクラで落語家という職業の魅力を語る。
貧乏でもなれる、学歴、生まれに関係ない、場所や道具などなくても練習できる、、。
歯科医になるより納得がいく。
長屋の独身男・ハッつあんに嫁がくるという。
俺みて~なのには嫁さんなんか無理と思っていたのに18歳、器量もよくて家財道具も一通り持参するって、そりゃァなんかワケありじゃないか?
そのワケってのが育ちの関係でバカっていねいな武家の女中言葉を使うってこと。
「あ~ら、我が君」の連発や、名前を聞かれて「そも我が父は京都の産にして~」親の紹介から長々と喋るのを全部名前だと思い込んでうろたえるところ(寿限無)、八が嫁さんの来る前にこれからの新婚家庭の食事風景を思い浮かべて浮かれるところ、いいなあ。
古典落語のこういう箇所は俺でも半分暗記しているくらい頭に入っている。
それを何べん聴いても快く聴かせてくれるのが腕というものだが、初めて聴くように爆笑させたり今までと違う人間像を現出してくれると大儲けした気分になる。
扇遊、爆笑の中に独身男の色気も感じさせた。
滝川鯉昇「船徳」
例によってつまらなそうな顔をしてきてマクラもいつもと変わり映えのしないのをボソボソやってるのを見ると今夜はホントに気が乗らないのか、と心配になる。
カ、イナカ!という間で乗ってくる、乗せてくる。
先日行ったばかりの両国・「ぼうずしゃも」の名前が出てくるのが嬉しい(ミーハーだね)。
この噺は前半が道楽息子が船頭になるまでのくだり。
後半が「4万6千日お暑い盛りでございます」という文楽の名台詞で始まる船頭の実践編。
俺は文楽をテープで聞いていてどっちも好きだったが今日高座で鯉昇をみると断然後半の方が面白い。
道楽息子が船頭になったものの実際は危なくって乗れやしない。
それなのに船頭が出払っていたものだから乗ってしまった二人連れ。
三人が危なっかしく大川を行くところの鯉昇の形態模写が何とも言えず腹の皮がよじれる。
下手な船頭が漕ぐもんだから船が危うく揺れる様などは先日観た狂言・「舟渡し婿」を思い出させる。
そう言えば最近落語を観るたびに能・狂言と似ている何かを感じるのだ。
つまらない映画をみているときもそれを感じる。くどくてみていられなくなる。
簡単に言えば描写の見事さ、省略の美しさなんだろうな。
文楽と違って徳兵衛を質屋の息子にしているから変だなあと思っていたらサゲにそれを使いたかったんだ。
「質屋の息子だけに流れる」だったかな。
たしかに文楽のサゲだと船頭が「船頭を呼んでくれ」というのは可笑しくても弱いサゲだ。
だからといって質屋の息子がそれほどのインパクトがあるわけでもない。
この噺はサゲは挨拶みたいなものであまり重く考えなくてもいいのじゃないだろうか?
中入りで10分休んで直ぐに再び鯉昇の登場、さっきは真っ白な着物を薄い金色に着替えて汗も拭いてサッパリして一回り小さくなったような感じ。
今度は短いマクラで「こんにゃく問答」。
これも俺は小さんや圓生のをテープで聴いているだけだった。
落語は聴くもの、というがこういう噺は観ると聴くとじゃ大違いってもんだ。
こんにゃく問答そのものが無言で手振りだけでやるんだから観なきゃしょうがない。
大笑いで満足したのに、こんなことを言っちゃあいけないけれど「船徳」みたいな大ネタをあれだけ熱演して直ぐにもうひとつというのはちょっと気の毒な感じがした。
なるほど寄席で色物を入れたり若手が新作で繋ぐ番組の作り方は合理的なんだと思った。
にもかかわらず鯉昇が場内を沸かせて退くと
扇遊も着替えて登場「文違い」だ。
お客を二人手玉にとって金を出させる新宿の女郎、なんとなく吉原の花魁とは違って騙す女郎も騙されるお客も田舎臭い哀れさがある。
見事な手管で金を騙し取った女が今度はもっと悪の男に自分が使ったのと同じ手管で騙し取られる。
泣き落とし、開き直り、脅し、惚れた弱みだ、松坂を連れてこなくてもキリキリまい。
女郎のずるさ、哀れさも十分描いて満足のいく出来だった。
途中で雷が鳴る。
きっとビクターの録音にも入ってしまったろう。
学生時代、今はなき人形町末廣亭にいると表のチンチン電車や車の音が聞こえてきて、それが当時の録音にも入っている。
そのせいかなんだか雷の音も嬉しかった。
気持ちの良い楽しい思いをしたのが昨日のことなのに、今ずっとテレビ(この何年かでこれほどテレビを観たことがないくらい)を観ていて、この国がダメになっているのを感じたら人形町の録音のように昔の出来事のように感じてしまった。
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fuku(ginsuisen)
at 2007-07-31 10:17
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>そう言えば最近落語を観るたびに能・狂言と似ている何かを感じるのだ。<
そうなんですよねー。くどくどしいものを見ると、なんだろうって、感じるようになりますね。能、狂言の極限の省略した形って、すごいですよねー。益々デスネ。
そうなんですよねー。くどくどしいものを見ると、なんだろうって、感じるようになりますね。能、狂言の極限の省略した形って、すごいですよねー。益々デスネ。
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saheizi-inokori at 2007-07-31 13:24
fukuさん、どうしても新作は無駄が多い、饒舌になってしまいます。
今の客の側にも問題があるのです。余韻を楽しむなんて考えもしない。全部説明しきって繰り返す。だから噺家もギャグのダメ押しをする有様です。笑うまで「分かっていただけたか?今日のお客様は程度が高いから」などとシャレでもなんでもなくほざく。そうすると客がおずおずと拍手するのです。
今の客の側にも問題があるのです。余韻を楽しむなんて考えもしない。全部説明しきって繰り返す。だから噺家もギャグのダメ押しをする有様です。笑うまで「分かっていただけたか?今日のお客様は程度が高いから」などとシャレでもなんでもなくほざく。そうすると客がおずおずと拍手するのです。
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散歩好き
at 2007-07-31 22:04
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紀元80年に出来た書物を読んで35年ですが最近やっと少しわかるようになりました。理解できずに20年間読んでいた期間が有ります。繰り返しその書物を読んで馬齢を重ね根気も無くなってから幾らか理解できてきたのは能力の無さですがそれでも楽しいです。
落語も今はNHKの日曜早朝の日本の話芸を一ヶ月に一回見る程度ですが言葉で聴衆を引き込む芸はすごいと思います。此方も年季でこつを掴んでいくのでしょう。
政治も地に足の付かない理論を振り回し改革を訴えても年季が入ってないと虚しいです。マスコミも又しかりです。
岡山の結果も異常な気がします。
落語も今はNHKの日曜早朝の日本の話芸を一ヶ月に一回見る程度ですが言葉で聴衆を引き込む芸はすごいと思います。此方も年季でこつを掴んでいくのでしょう。
政治も地に足の付かない理論を振り回し改革を訴えても年季が入ってないと虚しいです。マスコミも又しかりです。
岡山の結果も異常な気がします。
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saheizi-inokori at 2007-08-01 06:32
散歩好きさん、35年間分からなくても読み続けて分かるようになる!凄いことですね。私は落語を楽しんだり能をみたり、それも気分次第の気楽なものでちょっと恥ずかしいですよ。
by saheizi-inokori
| 2007-07-30 23:14
| 落語・寄席
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Comments(4)