欲張ったか?談春 熱演、志ん輔 国立小劇場「落語研究会」
2007年 07月 20日
二度目のTBS落語研究会。
前回は雨上がりだったが今日は今にも降りそうな空模様、銭湯のオバサンと案じたことは昨日書いた。
前回は何も食べず空きっ腹が鳴ったので今日は蕎麦を一杯かっ込んでいく。
小さな店が満員なのは同じような客かもしれない。
今日の国立は演芸場が「女義太夫」、大劇場が「歌舞伎入門なんたら」と全開だもの。
春風亭栄助「尼寺の怪」
座布団が涼しげな薄いブルー。
ちょっと硬くなっているのかトチリが多い上に噺そのものがつまらない。
つまらない噺を面白く聴かせるのは至難の技だがまだそこまでは、、。
隅田川馬石「締め込み」
このところよく聴く泥棒の噺。
真打に成り立てらしいが落ち着いた爽やかな語り口だ。
マクラを長くいくつかの泥棒にちなんだ小咄を連発する人が多いのだが馬石はあっさりと切り上げて直ぐに泥棒に入る。
夫婦喧嘩の仲裁の仕方などが現代風の仕草で笑いをとる。
喧嘩が収まってから泥棒が勧められるままに酒を飲み悦に入るあたりが俺には初めての演出だったが、どんなもんでしょう?
元々は仲のいい夫婦が誤解ゆえに大喧嘩になる、その喧嘩の可笑しさと透けて見える二人の好人物ぶり。
見かねて仲裁に入る泥棒にもなんともいえない人のよさが見えて笑いながらもホッとする。
そこまでで終わった方がいいのじゃないか。馬石の演出は泥棒が不必要にでしゃばり過ぎてしまうように感じた。
しかし、前途有望な新人だ。
立川談春「鰻の幇間」
アイさんから今絶好調と聴いていた談春、実は初めて。
ワクワクして登場を待つ。
出だしはすっとぼけて幇間なんて言っても今の人には分からないとか、”説得”ってどういうことか?みたいな問題意識がこの人の頭の中にとぐろを巻いているように、安倍首相って簡単に説得できちゃうような軽さを感じませんか?などとボソボソしゃべりながら調子を整えていたみたいだ。
道で出会った、実は知らない男にずうずうしく取り入って何かをたかろうとするショウモない野ダイコなのだが、どこかに人の良さ、甘さが残っていて(そんなだから落ちぶれているのだが)、客に騙されているのに疑うこともなく、客を美化して都合よく解釈するのが何べん聴いても可笑しくもあり哀れでもあるのだ。
そして騙されたと知った後の鰻屋の気の利かない女とのやりとりが抱腹ものなのだ。
ここを八代目は「誰がやっても笑いを取れるところだから演じる方はそれに乗ってはダメだ」と幇間の哀れを感じさせる至芸を磨き上げた。40年がかりだという。
一方志ん生は幇間の甘さを突き放して演じた。図太い野ダイコだ。
談春は、ってえと、サテ?その中間とでもいうかな。
”時代のついた”どうしようもない鰻屋の二階。
床の間にかけてある掛け軸が文楽では「円山応挙の幽霊の絵」、志ん生では「二宮金次郎」。
「こんな絵を見ちゃ女と乙な気分になれやしねえ」と志ん生の幇間は女中にぶうたれる。
その掛け軸が談春では「にんげんだもの」だ。「なんだ”みつお”って!」。
「鰻屋で串焼きだの食うのは本寸法じゃない。焼きあがるまでは漬物で酒を飲むのが本当だ」と薀蓄をいいながら「それほど大事な漬物がキムチとは!」でドット来る。
文楽たちは「奈良漬の切り方が薄いから隣りの大根に寄りかかっているしキュウリはワタだらけでキリギリスだって喜びませんよ」とやるところだ。
このあたりをかなりシツコクやって爆笑を誘う談春。
小さかった座布団周りが急に大きく膨らんで二階の薄汚れた座敷に幇間と、その愚痴を聴かされる女が実在感を持ってきたのは流石だ。
流石で大笑いをしたが、昨日の今日、こうして書いていると文楽の言うことも分かるし、志ん生のやりかたにしてももう少しアッサリとやっていたなあ、と思う。
どっちがいいか?
今の落語はこういう笑いの取れるところでは欲張って笑わせるだけ笑わせようということもあるのかなあ。
古今亭志ん輔「唐茄子屋政談」
白い絽というのかな?こういうときに教養がないと悲しい、何しろ素敵な着物、羽織はグリーンとブルーの中間のような惚れ惚れする色だった。
1時間近く大熱演。
可愛い甥の更生を期して強面に叱り付けるオジサンの本当はメチャクチャやさしい心配りの行き届いた人柄はいつ聴いても気持ちがいい。
吉原の土手を「とうなす~」と力なく呼ばわりながら花魁と過ごした雪の日の思い出を語るところは聴かせどころだが、3階から花魁の肩越しに雪が積もった吉原を眺め、寄鍋のシラタキを口の中で結んで喜び(色っぽいね)、歌沢を口ずさむ花魁という情景。
そこに既に忍び寄っていた凋落の兆しを感じさせることが噺家の力量とは関係なくどれほどの客に心情として分かってもらえるのだろうか。
俺はこの噺、ここで終わる志ん生のやり方のほうが好きだ。
この後、強欲な大家とか浪人の女房の首吊りに、しかも不自然な命拾い、大岡裁きなどの噺が続くのだが、そして、だからこそ”政談”なのだが、全て不要だと思う。
それまでの要所要所にクスグリを利かせながらもじっくりと進めて来たドラマがドタバタになってしまうから。
前回は雨上がりだったが今日は今にも降りそうな空模様、銭湯のオバサンと案じたことは昨日書いた。
前回は何も食べず空きっ腹が鳴ったので今日は蕎麦を一杯かっ込んでいく。
小さな店が満員なのは同じような客かもしれない。
今日の国立は演芸場が「女義太夫」、大劇場が「歌舞伎入門なんたら」と全開だもの。
春風亭栄助「尼寺の怪」
座布団が涼しげな薄いブルー。
ちょっと硬くなっているのかトチリが多い上に噺そのものがつまらない。
つまらない噺を面白く聴かせるのは至難の技だがまだそこまでは、、。
隅田川馬石「締め込み」
このところよく聴く泥棒の噺。
真打に成り立てらしいが落ち着いた爽やかな語り口だ。
マクラを長くいくつかの泥棒にちなんだ小咄を連発する人が多いのだが馬石はあっさりと切り上げて直ぐに泥棒に入る。
夫婦喧嘩の仲裁の仕方などが現代風の仕草で笑いをとる。
喧嘩が収まってから泥棒が勧められるままに酒を飲み悦に入るあたりが俺には初めての演出だったが、どんなもんでしょう?
元々は仲のいい夫婦が誤解ゆえに大喧嘩になる、その喧嘩の可笑しさと透けて見える二人の好人物ぶり。
見かねて仲裁に入る泥棒にもなんともいえない人のよさが見えて笑いながらもホッとする。
そこまでで終わった方がいいのじゃないか。馬石の演出は泥棒が不必要にでしゃばり過ぎてしまうように感じた。
しかし、前途有望な新人だ。
立川談春「鰻の幇間」
アイさんから今絶好調と聴いていた談春、実は初めて。
ワクワクして登場を待つ。
出だしはすっとぼけて幇間なんて言っても今の人には分からないとか、”説得”ってどういうことか?みたいな問題意識がこの人の頭の中にとぐろを巻いているように、安倍首相って簡単に説得できちゃうような軽さを感じませんか?などとボソボソしゃべりながら調子を整えていたみたいだ。
道で出会った、実は知らない男にずうずうしく取り入って何かをたかろうとするショウモない野ダイコなのだが、どこかに人の良さ、甘さが残っていて(そんなだから落ちぶれているのだが)、客に騙されているのに疑うこともなく、客を美化して都合よく解釈するのが何べん聴いても可笑しくもあり哀れでもあるのだ。
そして騙されたと知った後の鰻屋の気の利かない女とのやりとりが抱腹ものなのだ。
ここを八代目は「誰がやっても笑いを取れるところだから演じる方はそれに乗ってはダメだ」と幇間の哀れを感じさせる至芸を磨き上げた。40年がかりだという。
一方志ん生は幇間の甘さを突き放して演じた。図太い野ダイコだ。
談春は、ってえと、サテ?その中間とでもいうかな。
”時代のついた”どうしようもない鰻屋の二階。
床の間にかけてある掛け軸が文楽では「円山応挙の幽霊の絵」、志ん生では「二宮金次郎」。
「こんな絵を見ちゃ女と乙な気分になれやしねえ」と志ん生の幇間は女中にぶうたれる。
その掛け軸が談春では「にんげんだもの」だ。「なんだ”みつお”って!」。
「鰻屋で串焼きだの食うのは本寸法じゃない。焼きあがるまでは漬物で酒を飲むのが本当だ」と薀蓄をいいながら「それほど大事な漬物がキムチとは!」でドット来る。
文楽たちは「奈良漬の切り方が薄いから隣りの大根に寄りかかっているしキュウリはワタだらけでキリギリスだって喜びませんよ」とやるところだ。
このあたりをかなりシツコクやって爆笑を誘う談春。
小さかった座布団周りが急に大きく膨らんで二階の薄汚れた座敷に幇間と、その愚痴を聴かされる女が実在感を持ってきたのは流石だ。
流石で大笑いをしたが、昨日の今日、こうして書いていると文楽の言うことも分かるし、志ん生のやりかたにしてももう少しアッサリとやっていたなあ、と思う。
どっちがいいか?
今の落語はこういう笑いの取れるところでは欲張って笑わせるだけ笑わせようということもあるのかなあ。
古今亭志ん輔「唐茄子屋政談」
白い絽というのかな?こういうときに教養がないと悲しい、何しろ素敵な着物、羽織はグリーンとブルーの中間のような惚れ惚れする色だった。
1時間近く大熱演。
可愛い甥の更生を期して強面に叱り付けるオジサンの本当はメチャクチャやさしい心配りの行き届いた人柄はいつ聴いても気持ちがいい。
吉原の土手を「とうなす~」と力なく呼ばわりながら花魁と過ごした雪の日の思い出を語るところは聴かせどころだが、3階から花魁の肩越しに雪が積もった吉原を眺め、寄鍋のシラタキを口の中で結んで喜び(色っぽいね)、歌沢を口ずさむ花魁という情景。
そこに既に忍び寄っていた凋落の兆しを感じさせることが噺家の力量とは関係なくどれほどの客に心情として分かってもらえるのだろうか。
俺はこの噺、ここで終わる志ん生のやり方のほうが好きだ。
この後、強欲な大家とか浪人の女房の首吊りに、しかも不自然な命拾い、大岡裁きなどの噺が続くのだが、そして、だからこそ”政談”なのだが、全て不要だと思う。
それまでの要所要所にクスグリを利かせながらもじっくりと進めて来たドラマがドタバタになってしまうから。
saheiziさん、坐っていて聞いているように説明が上手ですね。
いろいろな方たちの姿が浮かんでくるように。
こんな風に鑑賞できたら、本当に楽しめますね。
ペースメーカーが入っているそうですね。
ご無理なさらないでくださいね。
いろいろな方たちの姿が浮かんでくるように。
こんな風に鑑賞できたら、本当に楽しめますね。
ペースメーカーが入っているそうですね。
ご無理なさらないでくださいね。
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saheizi-inokori at 2007-07-21 23:44
tona さん、ありがとう。私は自分の独りよがりで書いているから読む人には分かりにくいんじゃないかと覚悟しているのですよ。tonaさんのように丁寧に書くべきだとは思いつつも。
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ginsuisen at 2007-07-22 00:17
ますます、寄席に惹かれます。
少しずつ、耳と頭を慣らしていきたいものです。
少しずつ、耳と頭を慣らしていきたいものです。
Commented
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saheizi-inokori at 2007-07-22 08:28
ginsuisenさん、面白そうなのがあったらお知らせしましょうか?
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fuku(ginsuisen)
at 2007-07-22 09:02
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ハーイ、saheizi旦那、よろしくお願いします。
by saheizi-inokori
| 2007-07-20 23:05
| 落語・寄席
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Comments(5)