碌々として此の生を終ゆるに堪ゆべきか  高島俊男「座右の名文」(文春新書)

名前だけは十分すぎるくらいよく知っている。
しかし、その人物の書いたものを直接読んだかとなると甚だ心もとない。
鷗外、漱石あたりはまだしも、露伴、柳田國男、寅彦、茂吉となると殆ど教科書に載っていた程度。
まして新井白石、本居宣長、内藤湖南、津田左右吉などはじかに読んだ覚えがない。

碌々として此の生を終ゆるに堪ゆべきか  高島俊男「座右の名文」(文春新書)_e0016828_15232065.jpg
著者は毎日10冊以上の本を”よみちらす”という。
ひとつの本をおしまいまで通してよむことはめったにないんだそうで50冊か100冊に1冊くらい。

そういうよみちらしの漂流がつづくと、おのずから根拠地にもどる。
根拠地で待っているのは、本というより人だ。

そういう人を10人選んだら上に書いた人になった。
なぜこの10人が根拠地になっているのか、その人となりと作品の勘所を達者に紹介してくれた本である。
「ぼくの好きな十人の文章家」が副題。

露伴について。
日本はじまって以来こんにちにいたるまで(この人は平仮名が多いね)、博識という点ではこの人の右に出る者はあるまい。ただそこでとどまっていて、それが見識にまで高まっていない。だからその言うことは存外俗で、愚作が多いのはそのゆえである。
この多方面の博識が全部プラスに出たのが俳諧七部集の評釈である。俳諧はその性格上、一句ごとに目先がかわって世のなかのことがなんでもかんでも出てくる。それを全部たちどころにとりさばいてゆくのは露伴でなくてはできない藝当だ。句に対する感受性も繊細で、一代の傑作である。
といった具合だ。

津田左右吉は湖南が独学で書いた「近世文学史論」を読んでその該博な知識・内容に驚愕し
未だ其の本文をよまねど、序文をよみて痛くわが感を激しぬ、嗚呼われ遂に碌々として此の生を終ゆるに堪ゆべきか
と日記に書く。
俺も本書を読んで似たような感想をもった。

本書に紹介されているなかで俺が読みたい本。

新井白石 「西洋紀聞」 「折りたく柴の記」(日本人が書いた最初の自伝)
本居宣長 「玉勝間」
内藤湖南 「日本文化史研究」「先哲の学問」「清朝史通論」
幸田露伴 「評釈芭蕉七部集」
津田左右吉 「国民思想の研究」(これは以前買った覚えがある)
柳田國男 「遠野物語」(再読)
斎藤茂吉 「渡欧随筆」
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-07-15 10:17 x
わー!どれも難しそう。お名前だけは存じ上げておりますが・わずかに柳田國男先生は少し、頁をめくってはおりますが。
斉藤茂吉さんの「渡欧随筆」はちょっと興味あります。いやー、日本人としては先人、賢人のことに関して無知ですね、ごめんなさい。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-15 12:55
それぞれここに上がった人たちは日本人が唐心、中国や西洋のことばかり学んで日本を知ろうとしなかったことに憤慨した人たちとも言えそうです。
Commented by みい at 2007-07-15 20:28 x
この本、買いました。でも読んでないです~
 たしかにわたしには難しそう(ーー;)
 柳田国男さんのところだけ、読みました。最近になって「遠野物語」に興味を持ったので、少しづつ読んでいますので。不思議な物語りですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-15 22:37
みいさん、でも白石とか宣長とかが身近になりませんか?
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by saheizi-inokori | 2007-07-14 22:03 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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