なるほど大江健三郎には書けない小説だ 長嶋有「夕子ちゃんの近道」(新潮社)

なんかブログみたいだなあ。
それぞれかいろんな人生を生きていて
それはそれなりに劇的でもあるらしい。
でもそれがリアルに皆の前に提示されるのは夕子ちやんの先生との恋愛のことだけ。

いやそうじやないかー
店長と瑞枝さん、フランソワーズの間に過去何があったかはお互いには知っているわけだ。
当たり前だね。

でもそういったことも含めて主人公の”わけ″も朝子さん(芸術学校の卒業記念制作に無数の箱を作る)やそのドイツにいるお父さんも、登場人物全部(まるで能や劇のように少ない)の”わけ″は語られない。

にも関わらず人々はゆるやかにアタタカク結ばれた世界を創る。
結界ではない。
何本かの彩りの異なる紐がいろんな所から集まってその一カ所を洗いざらしの木綿タオルに軽く包まれている。
タオルから又その先が何処につながっているのかは分からない。

なるほど大江健三郎には書けない小説だ 長嶋有「夕子ちゃんの近道」(新潮社)_e0016828_22321493.jpg
連作短篇集がつくりだすブログ名は「フラココ屋」。
西洋アンティーク専門店。
ホームページをたどたどしく始めてから少しお客が増えた。
二階の倉庫兼用の部屋に一畳分のスペースを作って住み込み店員になっている僕が語り手。
「暗い顔をした青年」と言われると「中年です」と答える。
初代店員の瑞枝さんは毎日のように店に来て、僕も売れなければいいなと思っている長椅子に座っていろんな話をする。
二階のこの部屋は「若くて貧乏な者の止まり木」だという。
そういう彼女もここに住んでいたのだ。

四捨五入すれば40になる瑞枝さんがバイクの試験を取り、朝子さんが卒業制作展の後ひっくり返り、店長はフランスに買出しに行く事になり、、夕子さんが大変なことになり、、。
といってもそう大したことでは無いようでもある。

ブログにはそれほどの力は無いかも知れないが、瑞枝さんが事故の時に真っ先に電話してきたのはフラココ屋だ。
何故だろうと考えているうちに、「自分もそうする」、そう気付いた。
それはフラココ屋が心の拠り所であるというような,そんな格好いいことではない。本当には僕は、多分どこにも電話しなくてもいいのだ。とりあえず最後に電話するなら、ここぐらい。
なんだか今自分は、とても寂しいことを考えているのかもしれないと意識しながら、眠りに落ちる。

朝子さんの卒業制作の箱の数は必要なのかどうか分からないほどタダタダ多い。
身体を壊してまでそんなに作らなくてもいいのに。
親代わりの祖父さんは「朝子も夕子も寂しいのだ」というけれど一番寂しいのはお祖父さんだ。

小さなエピソードを軽妙な筆致で描いていくから気持ちよく読んでしまう。
しかし、結構重いのだ。
ブログのような距離感で人がコミュニケートしている現代。
この小説はいわばフラココ屋というオフ会の場を用意して、しかもそこには善意の人ばかりが集まったような話だ。
だから気持ちよく読んだのだが。

細かいところの描写がとてもいい。
塀の上のカップの取っ手を、マニキュアをした指が慎重につかむのがみえた。カップが消え、ソーサーだけが塀に残る。
女の人の、長いスカートをみると寂しい気持ちになるのは自分だけだろうか。なぜかいつも別れを思う。
夕方の銭湯はすいている。大相撲中継を見上げながら服を脱ぐ。モラトリアムの不安と気楽さとが,がらんとした銭湯で服を脱ぐ瞬間に最も強くこみあげる。
文章の常識からしたら変だとも言えるような不思議な、しかし押し付けがましくはない癖のある文章だ。

第一回大江健三郎賞受賞。
審査員は大江ただ一人。
その大江曰く「自分には書けない作品だ」。
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by saheizi-inokori | 2007-06-30 22:39 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(0)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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