可愛い可哀そうな能の妻と強い陽気な狂言の妻 日経能楽鑑賞会・国立能楽堂
2007年 06月 20日
能貧乏、という言葉があるんだそうだ。
昼間の熱が残っている千駄ヶ谷駅前の交差点を渡りながら、ふと浮かんだその言葉。
狂言「舟渡婿」。
同じ和泉流で野村萬、万蔵、万禄が演じるのを観たのが1月。
早くも半年、しっかり記憶も衰えて今日の野村万作、高野和憲、野村万之介の舞台は随分違って見えた。
万作さん、髭の船頭として婿をそれと知らずにお客にして持っている酒(実は舅、即ち自分への贈り物なのだが)を飲みたい一心で船を揺すり酒を強請(ゆす)る。
そのときの骨太の悪ぶりが帰宅して事の次第を知って妻(万之介)から髭を剃られて(人相を変えて誤魔化さなきゃ)婿殿の前に出るときは身体がしぼんでしまったような弱弱しい爺さんに変わるのだ。
最後に、婿と舅が楽しげに「月が出た」みたいなことを謡いながら田舎くさく踊るのがとても気に入った。
このシーン、前はなかったように思うのだけれど、そんなはずない?
能「清経」。
「一の谷の戦敗れ、討たれし平氏の公達哀れ~」、映画「無法松の一生」を思い出すね。
清経は重盛の三男、追われおわれて九州は豊前・柳ヶ浦で今はこれまでと自決する。
遺髪を淡津三郎(ワキ・宝生閑)に都の妻に届けるようにと託す。
宝生閑を観るたびに良くなっていく。あちらがじゃなく観る俺がだ。
登場するときに橋掛かりで「八重の潮路の浦の波~」と低く重く、しかも広がりのある声で謡いだした。
主と死を共にすることも出来ず悲報を遺された妻に伝えなければならない身の不運、「甲斐なき命助かり~」だ。
一の松辺りで止まって一度脱いだ笠を再びつけて見所の方に向く姿の素晴らしさ!
シテ・清経の霊(友枝昭世)の登場。
「音取(ねとり)」という小書(こがき・特殊な演出指定)がついている。
笛・一噌仙幸がちょっと前に出て揚幕の方に向かって座る。
低い「ひょお~」と長い誘い。
幕が揚がりはじめて下から四分の一ほどのところで止まる。
イヤイヤをするように下がってしまう。
間を置いて今度は高い音、幕が揚がりようやくシテが出て来る。
三の松にかかるかというところで又止まる。
間。
低く、と、次は高く、「とろ~り、とろ~り」。
念を送るような笛の音に引っ張られるようにシテは進む。
二の松辺りで止まる。
間、長い。
「ふ~うい、ふ~うい」進む。
一の松で止まり斜め右に身体の向きを変える。
間。
強い調子、正面を見せ、斜めになり、又元へ戻し止る。
間のあと舞台シテ柱の前まで進み扇を挙げる。
笛がひときわ強く。
シテが謡い始める。
「うたた寝に、恋しき人を見てしより、夢てふものは、頼み初めてき」
道成寺の小鼓とシテのやりとりは回る駆け引き。
これは進み、止る駆け引き。
一貫して笛は優しい、しかし悲しさを帯びた誘い。
清経が妻の夢枕に立って「せっかく手元に置いて欲しいと贈った黒髪を宇佐神宮に返してしまったのは怨めしい」といえば妻は「寿命を全うせずに自決するとは怨めしい」という。
清経は座って自決に至る経緯を語る。
やがて立ち上がり舞い始める。
扇を広げ滑るように回り足踏みをし、地謡が事の次第を謡う。
小鼓・大倉源次郎、大鼓・柿原崇志と笛、舞いと地謡。
うっとりと、ず~~っとこのまま観ていたい、どうかもっともっと続くようにというような心持になっているとひときわ高い謡声が「南無阿弥陀仏弥陀如来、、船よりかっぱと落ち、、」入水の件に至る。
ここまで話してもなお妻は「まことに怨めしき夫婦の契りだった」とクドク。
「もう何も言うな。地獄に落ちてしまえば勝者も敗者もないのだ。私は幸いにして臨終の際に念仏を唱えたから極楽浄土にいるんだよ。ありがたいことだ」と清経。
いよいよもって、能貧乏へマッシグラ。
昼間の熱が残っている千駄ヶ谷駅前の交差点を渡りながら、ふと浮かんだその言葉。
狂言「舟渡婿」。
同じ和泉流で野村萬、万蔵、万禄が演じるのを観たのが1月。
早くも半年、しっかり記憶も衰えて今日の野村万作、高野和憲、野村万之介の舞台は随分違って見えた。
万作さん、髭の船頭として婿をそれと知らずにお客にして持っている酒(実は舅、即ち自分への贈り物なのだが)を飲みたい一心で船を揺すり酒を強請(ゆす)る。
そのときの骨太の悪ぶりが帰宅して事の次第を知って妻(万之介)から髭を剃られて(人相を変えて誤魔化さなきゃ)婿殿の前に出るときは身体がしぼんでしまったような弱弱しい爺さんに変わるのだ。
最後に、婿と舅が楽しげに「月が出た」みたいなことを謡いながら田舎くさく踊るのがとても気に入った。
このシーン、前はなかったように思うのだけれど、そんなはずない?
能「清経」。
「一の谷の戦敗れ、討たれし平氏の公達哀れ~」、映画「無法松の一生」を思い出すね。
清経は重盛の三男、追われおわれて九州は豊前・柳ヶ浦で今はこれまでと自決する。
遺髪を淡津三郎(ワキ・宝生閑)に都の妻に届けるようにと託す。
宝生閑を観るたびに良くなっていく。あちらがじゃなく観る俺がだ。
登場するときに橋掛かりで「八重の潮路の浦の波~」と低く重く、しかも広がりのある声で謡いだした。
主と死を共にすることも出来ず悲報を遺された妻に伝えなければならない身の不運、「甲斐なき命助かり~」だ。
一の松辺りで止まって一度脱いだ笠を再びつけて見所の方に向く姿の素晴らしさ!
シテ・清経の霊(友枝昭世)の登場。
「音取(ねとり)」という小書(こがき・特殊な演出指定)がついている。
笛・一噌仙幸がちょっと前に出て揚幕の方に向かって座る。
低い「ひょお~」と長い誘い。
幕が揚がりはじめて下から四分の一ほどのところで止まる。
イヤイヤをするように下がってしまう。
間を置いて今度は高い音、幕が揚がりようやくシテが出て来る。
三の松にかかるかというところで又止まる。
間。
低く、と、次は高く、「とろ~り、とろ~り」。
念を送るような笛の音に引っ張られるようにシテは進む。
二の松辺りで止まる。
間、長い。
「ふ~うい、ふ~うい」進む。
一の松で止まり斜め右に身体の向きを変える。
間。
強い調子、正面を見せ、斜めになり、又元へ戻し止る。
間のあと舞台シテ柱の前まで進み扇を挙げる。
笛がひときわ強く。
シテが謡い始める。
「うたた寝に、恋しき人を見てしより、夢てふものは、頼み初めてき」
道成寺の小鼓とシテのやりとりは回る駆け引き。
これは進み、止る駆け引き。
一貫して笛は優しい、しかし悲しさを帯びた誘い。
清経が妻の夢枕に立って「せっかく手元に置いて欲しいと贈った黒髪を宇佐神宮に返してしまったのは怨めしい」といえば妻は「寿命を全うせずに自決するとは怨めしい」という。
清経は座って自決に至る経緯を語る。
やがて立ち上がり舞い始める。
扇を広げ滑るように回り足踏みをし、地謡が事の次第を謡う。
小鼓・大倉源次郎、大鼓・柿原崇志と笛、舞いと地謡。
うっとりと、ず~~っとこのまま観ていたい、どうかもっともっと続くようにというような心持になっているとひときわ高い謡声が「南無阿弥陀仏弥陀如来、、船よりかっぱと落ち、、」入水の件に至る。
ここまで話してもなお妻は「まことに怨めしき夫婦の契りだった」とクドク。
「もう何も言うな。地獄に落ちてしまえば勝者も敗者もないのだ。私は幸いにして臨終の際に念仏を唱えたから極楽浄土にいるんだよ。ありがたいことだ」と清経。
いよいよもって、能貧乏へマッシグラ。
Tracked
from 万屋そらさん まかり通る
at 2007-10-02 12:09
タイトル : 『狂言劇場 その弐 野村万作+野村萬斎』
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Commented
by
fuku(ginsuisen)
at 2007-06-21 08:00
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おはようございます。能貧乏同好会へようこそ。マッシグラいいですね~、内心は心贅沢といつも言い聞かせています。清経、なんどか見ても、やっぱり妻は許しがたい気持ちわかるなーと思います。夢に現れても現れても納得いかないのが残されてものの思いでしょう。武士の時代にはあまり演じられなかった番組とか・・しかし、きれいでしたねー。
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2007-06-21 09:52
by saheizi-inokori
| 2007-06-20 23:55
| 能・芝居
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