堪能した”披き”初体験 粟谷浩之の会「道成寺」など(十四世喜多六平太記念能楽堂)
2007年 06月 17日
能がはじまって直ぐに6人もの能力(のうりき・寺男)たちが大きな鐘を運び込み舞台に吊るす。
凄い緊張感が伝わってくる。
道成寺の能力(山本泰太郎、大熱演、初めて観たが好きになりそうだ)が住僧(ワキ・森常好、でっぷりとして幼稚園を経営するやり手の坊さんみたい)に「新しい鐘の供養をすること、その際女人禁制であることを触れて来い」といわれて音吐朗々務めを果たして寺に帰る。
そのときの歩き方。
シテ柱の前で固まってしまったかと思うほどじっと止まっている。
それから目付柱まで、さらにそこを左折して脇柱までの間をムーンウォークのように踵の裏を床につけたままゆっくりゆっくり進む。
今までの舞台、緊張感とある種不吉な予感をはらみながらも動きは慌しかった。
この歩みで緊張感は静寂の中に収斂されていく。
ますます高まる不吉な予感。
それにしても俺はこういう表現を観るのは初めてだからいささか面食らいもしたのだ。
舞台上に橋掛かりを作ったような演出。
「披き(ひらき)」。能楽師が初めての曲を演じることをいう。
通常大曲・難曲を演じる場合に言われて能楽師にとっては大きな節目となるそうだ。
俺にとっては能の「道成寺」を観るのも「披き」を観るのも会場も、今日のメンバーも、他の演目もぜ~んぶ初めて。言ってみれば「披きっぱなし」。
シテ・白拍子(粟谷浩之)が「面白う舞をまってそうろう」と言いながら両腕をふあっと広げると能力は見えない気に押されるようにふらっと後じさりする。
迫力に負けるように白拍子の鐘の拝観を許してしまう。
それからだ。
一の松あたりで鐘を思いいれたっぷりに見上げていた白拍子が舞台に上り中央で一回転する。
その所要時間、さて10分じゃきかない、20分位か、永遠に続くかと思われるような時間。
左足のつま先をあげ、ひと呼吸ふた呼吸、、5秒、6秒、、小鼓(横山幸彦)の打音が早いか、シテが早いか、ピクと20度ほどつま先がさらに左に向く。
そして又、長い間をおいて、今度は「イヤアーっ」という気合もかかってつま先は着地する。
次は右足、同じ手順でわずかに左側に身体が向く。
繰り返す。
時にやや大きく足を上げるからしっかり足踏みをするのかと思うと、その期待をはぐらかすかのように音もなくその足を降ろす。
やがて、「ウーンいやあオウー!」というような搾り出すような気合とともにシテは沈み込み身体を捻り足をトンと踏み込む。俺もそれまで詰めていた息をふーっと吐き出す。
じっとシテのつま先を見詰める小鼓の肩が上下している。
囃し方、地謡、ワキ、ワキツレ、後見、、舞台の上のすべての人々が小鼓とシテの格闘を見守る。
”固唾を呑む”という呪文を書いた紙が舞台に会場に張られたようだ。
笛(槻宅聡、一噌さんとは違った良さがあった。春風駘蕩)が加わる。
見所はほっとしたような気になるが小鼓とシテの緊張はむしろ高まっているかのようだ。
今になって上に書いた能力の独特な歩みがこの乱拍子の伏線だったのかと思う。
ジリジリよじ登っていくような、情念を静かに静かに煮詰めていくような、不思議な歩み。
舞台中央に吊り下がっている大鐘の圧迫感と闘っているようにも見える。
ようやく一回転して暫くすると、一変、激しい急の舞になだれ込み(囃し方・大鼓・国川純、太鼓・観世元伯の激しさ!)シテは鐘の下に飛び込み1メートル50センチはあろうかという鐘が落ちてくる。
今まで観た能とはまるで違うように思った。
白拍子から蛇体への変身など、ずっとナマナマしくドラマテイックで楽しい。
曲芸的な要素や滑稽味(泰太郎ともう一人の能力・山本則孝の中入りでのやりとりなど)もあり、人々はこういうものを観て喜んできたんだんなあ、と思う。
騙された女の執念というのも深刻に感じ入るというより誤解を恐れずにいえば今の人々が週刊誌やワイドショーを見て”楽しんで”いるように見てきたのじゃなかろうか。
感動というのとはちょっと違う。
驚きと、ある何か特別な瞬間に立ち会ったという、さあ、やはり感動か、興奮した昼さがりだった。
そうだ。他の演目。
舞囃子「羽衣」。
粟谷辰三ほか、なんて恐らく「ほか」で片付けるのは恐れ多いようなメンバーが揃っていたのだろうが、名曲の羽衣の気品とかが感じられなかったのは、きっと俺のアンテナの性能不良だろう。
特に地謡がぴんと来なかった。
狂言「昆布売」。昆布売に山本則直、大名を山本則重。
いやあ、愉快愉快、アホだけれど許せる大名(今の木っ端役人よりずっと)をからかう昆布売り、威張り腐ってアホな役人の上前をはねる財界の悪の原型か。
舞台にも観衆にも笑いが絶えない好演。
中入り後、
仕舞「邯鄲」、大村定。「松風」、粟谷幸雄。「鵜之段」、友枝昭世。
いずれも素晴らしかった。
特に「松風」、炎天下を歩いてきた身には浜の松風が涼やかだった。
波の寄せるさまさえ感じられた。
凄い緊張感が伝わってくる。
道成寺の能力(山本泰太郎、大熱演、初めて観たが好きになりそうだ)が住僧(ワキ・森常好、でっぷりとして幼稚園を経営するやり手の坊さんみたい)に「新しい鐘の供養をすること、その際女人禁制であることを触れて来い」といわれて音吐朗々務めを果たして寺に帰る。
そのときの歩き方。
シテ柱の前で固まってしまったかと思うほどじっと止まっている。
それから目付柱まで、さらにそこを左折して脇柱までの間をムーンウォークのように踵の裏を床につけたままゆっくりゆっくり進む。
今までの舞台、緊張感とある種不吉な予感をはらみながらも動きは慌しかった。
この歩みで緊張感は静寂の中に収斂されていく。
ますます高まる不吉な予感。
それにしても俺はこういう表現を観るのは初めてだからいささか面食らいもしたのだ。
舞台上に橋掛かりを作ったような演出。
「披き(ひらき)」。能楽師が初めての曲を演じることをいう。
通常大曲・難曲を演じる場合に言われて能楽師にとっては大きな節目となるそうだ。
俺にとっては能の「道成寺」を観るのも「披き」を観るのも会場も、今日のメンバーも、他の演目もぜ~んぶ初めて。言ってみれば「披きっぱなし」。
シテ・白拍子(粟谷浩之)が「面白う舞をまってそうろう」と言いながら両腕をふあっと広げると能力は見えない気に押されるようにふらっと後じさりする。
迫力に負けるように白拍子の鐘の拝観を許してしまう。
それからだ。
一の松あたりで鐘を思いいれたっぷりに見上げていた白拍子が舞台に上り中央で一回転する。
その所要時間、さて10分じゃきかない、20分位か、永遠に続くかと思われるような時間。
左足のつま先をあげ、ひと呼吸ふた呼吸、、5秒、6秒、、小鼓(横山幸彦)の打音が早いか、シテが早いか、ピクと20度ほどつま先がさらに左に向く。
そして又、長い間をおいて、今度は「イヤアーっ」という気合もかかってつま先は着地する。
次は右足、同じ手順でわずかに左側に身体が向く。
繰り返す。
時にやや大きく足を上げるからしっかり足踏みをするのかと思うと、その期待をはぐらかすかのように音もなくその足を降ろす。
やがて、「ウーンいやあオウー!」というような搾り出すような気合とともにシテは沈み込み身体を捻り足をトンと踏み込む。俺もそれまで詰めていた息をふーっと吐き出す。
じっとシテのつま先を見詰める小鼓の肩が上下している。
囃し方、地謡、ワキ、ワキツレ、後見、、舞台の上のすべての人々が小鼓とシテの格闘を見守る。
”固唾を呑む”という呪文を書いた紙が舞台に会場に張られたようだ。
笛(槻宅聡、一噌さんとは違った良さがあった。春風駘蕩)が加わる。
見所はほっとしたような気になるが小鼓とシテの緊張はむしろ高まっているかのようだ。
今になって上に書いた能力の独特な歩みがこの乱拍子の伏線だったのかと思う。
ジリジリよじ登っていくような、情念を静かに静かに煮詰めていくような、不思議な歩み。
舞台中央に吊り下がっている大鐘の圧迫感と闘っているようにも見える。
ようやく一回転して暫くすると、一変、激しい急の舞になだれ込み(囃し方・大鼓・国川純、太鼓・観世元伯の激しさ!)シテは鐘の下に飛び込み1メートル50センチはあろうかという鐘が落ちてくる。
今まで観た能とはまるで違うように思った。
白拍子から蛇体への変身など、ずっとナマナマしくドラマテイックで楽しい。
曲芸的な要素や滑稽味(泰太郎ともう一人の能力・山本則孝の中入りでのやりとりなど)もあり、人々はこういうものを観て喜んできたんだんなあ、と思う。
騙された女の執念というのも深刻に感じ入るというより誤解を恐れずにいえば今の人々が週刊誌やワイドショーを見て”楽しんで”いるように見てきたのじゃなかろうか。
感動というのとはちょっと違う。
驚きと、ある何か特別な瞬間に立ち会ったという、さあ、やはり感動か、興奮した昼さがりだった。
そうだ。他の演目。
舞囃子「羽衣」。
粟谷辰三ほか、なんて恐らく「ほか」で片付けるのは恐れ多いようなメンバーが揃っていたのだろうが、名曲の羽衣の気品とかが感じられなかったのは、きっと俺のアンテナの性能不良だろう。
特に地謡がぴんと来なかった。
狂言「昆布売」。昆布売に山本則直、大名を山本則重。
いやあ、愉快愉快、アホだけれど許せる大名(今の木っ端役人よりずっと)をからかう昆布売り、威張り腐ってアホな役人の上前をはねる財界の悪の原型か。
舞台にも観衆にも笑いが絶えない好演。
中入り後、
仕舞「邯鄲」、大村定。「松風」、粟谷幸雄。「鵜之段」、友枝昭世。
いずれも素晴らしかった。
特に「松風」、炎天下を歩いてきた身には浜の松風が涼やかだった。
波の寄せるさまさえ感じられた。
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fuku(ginsuisen)
at 2007-06-17 22:12
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お疲れ様でしたー。道成寺のおもしろさにはまりましたね。粟谷浩之さんの道成寺・かなりいいものだったようで、披きの道成寺は、やはり見るべきだったかも、と今悔やんでいます。しかし、saheiziさんも、これでかなりどっぷり能通になってしまいましたね~もう抜けられませんでしょう?
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saheizi-inokori at 2007-06-18 07:56
fukuさん、いい物かどうか、ビックリしたのと緊張しました。
おかげさまで今週も能ウイークです^^。
おかげさまで今週も能ウイークです^^。
ご無沙汰しています。旅の途中でふらりと、喜多能楽堂まで『道成寺』ヒラキを拝見しに行きました。多分、明日は国立能楽堂まで参ります。あの乱拍子は30分はありましたね。小鼓の方も道成寺ヒラキは初めてのようでした。初々しかったですが、もう少し迫力がほしかったです。友枝さんの「鵜之段」すばらしかったですね。まぁ当たり前ですけど。松明のもって、鵜をしとめる
ところなんてさすが!去年拝見した「鵜飼」を思い出しました。
それにしても『道成寺』ヒラキはなんとも言えず緊張感いっぱいで、大好きです。saheiziさんがお仲間になってくださって嬉しいです。
あっ、コクーン歌舞伎も面白いですよ!
ところなんてさすが!去年拝見した「鵜飼」を思い出しました。
それにしても『道成寺』ヒラキはなんとも言えず緊張感いっぱいで、大好きです。saheiziさんがお仲間になってくださって嬉しいです。
あっ、コクーン歌舞伎も面白いですよ!
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saheizi-inokori at 2007-06-18 21:02
by saheizi-inokori
| 2007-06-17 21:43
| 能・芝居
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Comments(4)