流れ続ける俺の身体  福岡伸一「生物と無生物の間」(講談社現代新書)

波打ち際に作られた不思議な砂の城。
風が吹き波が洗うが城はその姿を変えない。
それは小さな海の精霊たちが、うまずたゆまず崩れた場所を探し、削れた壁を直し、開いた穴を埋めているから。
それだけではない。
精霊たちは壊れそうな箇所を先回りして修復・補強をしている。

しかももっと不思議なことは、数日前にこの城を形作っていた砂は一粒も残っていないということだ。
砂粒は全て入れ替わっている。
そして今も砂粒の流れは続いている。
この城は実体としての城ではなくて、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。

さらに不思議なことは精霊たちも砂粒から作られ、あらゆる瞬間に何人かが元の砂粒に戻り何人かが砂粒から新たに生み出されている。

流れ続ける俺の身体  福岡伸一「生物と無生物の間」(講談社現代新書)_e0016828_2211740.jpg
どうだろう。
俺の要約が下手だから著者の文章の味が伝わらないが、一編の詩を読むようじゃないか。
これが生命のイメージ・比喩なのだ。
砂粒を、自然界を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素と読み替え、海の精霊たちを、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えれば、砂の城は生命というもののありようを正確に記述している。
生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果である。
20世紀の生命科学は生命の定義を「自己複製を行なうシステムである」とした。
美しいDNAの二重ラセン構造こそそのシステムを解く鍵だった。

だが、それだけでは生命の神秘を説き明かすことは出来ない。
海岸の砂原に落ちている小石と貝殻から受ける感覚の違いは自己複製機能から生じたものではない。
貝殻にあって小石にない美しさは秩序から来る。
なぜエントロピーの法則に逆らって(放っておけば砂の城が壊れるのに)生命は秩序を維持しているのか。
その答えが砂の城を守る精霊であり、常に流れ続ける砂粒なのだ。
つまりエントロピー増大の先回りをして常に組織を分解して新たな組織を再構築していればエントロピーを外部に排出することができるのだ。
秩序は守られるために絶え間なく壊されなくてはならないということ。

ルドルフ・シエーンハイマーが1930年代の後半にネズミの組織を使って
生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。
ことを明らかにした。
著者はこの概念をさらに拡張して生命を再定義する。
生命とは動的平衡にある流れである。
最先端の生命科学の理論を読みやすく楽しい物語として語る。
科学者たちのときには卑劣ともいえる功名争い、学者の悲哀と歓びなども生々しく描かれる。
実験の具体的な方法なども紹介されて研究、それも世界最先端の、現場を視察したような気にもなる。
冒頭に野口英世がアメリカでは殆ど評価されていないといい、それは野口が発見したという病原菌は実はウイルスであって当時の顕微鏡では見ることが出来ないものだった、などという話からウイルスは果たして生物なのかと問題提起をする。
語り口がうまいからあっという間に読み終える。
時の流れこそ生命の営みに不可欠な要素だと語る終章は特に感動的だ。

砂の城の比喩、唯識論の本を読んだときに同じような比喩があったような記憶がある。
あれは砂ではなく波だった。
寄せては返す海の波、確かにそこにあるのだがその中身は常に動いていてどれを”波”と特定できない。世界の実在・実相とはそのようなものだ。、、とかナントカ。
原始仏教は最先端の生命科学を予知していたのか。
Tracked from 墓の中からコンニチワ at 2007-06-15 11:04
タイトル : もう沢山だ!
アベシンは「社会保障番号制度」の導入を急ぐそうだ。 「基礎年金番号」への切り替えで全国民的不安を発生させ、その「基礎年金番号」と「住民票コード」との連結が始まったので不安の種が増えている最中、今度は社会保障番号新設とは... わざわざ新しい危険の種をまく必要がどこにある? それともアベシンは「住民票コード」ができたことを知らないのかな。 「国民背番号制」が猛烈な反対に遭って潰されたのは1970年、佐藤内閣の時だ。 それから30年余、「住民票コード」という名称でひっそりと総背番...... more
Commented by ume at 2007-06-14 23:03 x
風呂の中で「週刊現代」6月23日号の書評欄、茂木健一郎による「生物と無生物のあいだ」評を読み、さらに、東海林さだお「サラリーマン専科」を読む。風呂上がり、いつものように冷たい牛乳を飲み干し、さて今度はと、日課のpinhukurouを覗いてみると、なんと、ドンピシャ.これだから,pinhukurouはやめられない。
それにしても書評ばっかしで本を読んでいない。これ読んでみようかな。
Commented by ちゃめ at 2007-06-15 00:12 x
>秩序は守られるために絶え間なく壊されなくてはならないということ。

 生物学的な生き物ではないですが、「生き物」としての組織にも言えそうなことですね。

 面白そうな本ですね~。 :)
Commented by mitsuki at 2007-06-15 05:58 x
生物学者の柳沢桂子さんも著書「生きて死ぬ知恵」のなかで般若心経の「色即是空 空即是色」を「変化しない実体というものはありません 実体がないからこそ形をつくれるのです 実体がなくて変化するからこそ 物質であることができるのです」と訳していましたけど、原始仏教は最先端の生命科学を予知していたのでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-15 08:05
umeさん、おはようございます。冷たい牛乳、ってのが私の場合はトマトジュースでした。後は同じですね^^。
是非お読みになることを!
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-15 08:07
ちゃめさん、エントロピーの法則は組織にも当てはまるのでしょうね。私はかつてぬかみそのことをいいました。どんな素晴らしい味になっても毎日かき回していないと直ぐまずくなる。組織も同じだよと。壊すところまでは考えなかった^^。
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-15 08:10
mitsuki さん、そうですね。仏教は生命ばかりかこの世の全てが無だといってましたか。
生命はそういう宿命の中で一生懸命知恵を働かして少しでも生き続けようとしているのでしょう。
そこがこの本を読んでいて感動した理由かも知れません。
Commented at 2007-06-15 13:02
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by きとら at 2008-01-30 23:36 x
 新陳代謝は当たり前のこと、と思っていたのですが、「動的平衡」や「流れ」は、物質の入れ替わりを遙かに超えたものだったのですねぇ。交代ではなく、創造をも含んでいるような、得体の知れない神秘、とでも今のところは受け取っておくしかないですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-01-31 07:52
きとらさん、私はやはり仏教(通俗書しか読んでいないけれど)の直観・洞察は深いと思いました。
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by saheizi-inokori | 2007-06-14 22:30 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(1) | Comments(9)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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