挑戦するエリートたち 能楽現在形第3回公演・宝生能楽堂

「能楽現在形」。
昨年発足して今日は第3回、俺はもちろん初体験。
いつものことながら我が先達のお導きだ。

一噌幸弘(笛)、亀井広忠(大鼓)、野村萬斎(狂言)の3人が若手のシテを選んで公演をするというチャレンジングな試み。
3人とも能の世界のエリートであり実力・人気とも抜群だがそれに安住することなく現代劇やジャズの世界にまで活躍している。

俺のわずかな能楽鑑賞経験はいずれも当代の名人といわれるシテばかりだからかかなりお年を召した方が出演していた。
聞くと他の公演でもそういう傾向があるようで、実力があっても若手にはなかなかこういう囃子方と一緒にやれるチャンスは少ないようだ。
若手にチャンスを創ることと流派を超えてひとつの曲を現代的な問題意識をもって研究すると言うところがチャレンジングだ。

舞囃子「忠度」。
シテ・和久荘太郎がかっこよかった。
残念ながら俺の学力・聴力では耳だけでは意味がなかなか分からない。英語のミュージカルを観ているようだ。だんだん聴き取れるようになれることを祈ろう。

狂言「水汲」。
野村萬斎のシテが、先月観た野村萬蔵のそれとまるで違って若々しく現代のいたずらっ子のような感じさえあった。シテの坊さんにふざけかけられるアド(洗濯をする女)・高野和憲が色気があって、シテに「唄を聞かせろ」といわれ「唄を歌おうが歌うまいが私の勝手」と言いながらも、結局伸び伸びと中世の小唄?を歌ってしまう。
坊さんのちょっかいを嫌なフリをしながら実はそこそこ楽しむんだけれど、それも限度があって、男が調子に乗ると途端に正気に戻って「おお恥ずかしい」と逃げていくのが微笑ましい(その前に汲んだ水の入った桶を男の頭にかぶせるのだが)。

能「融(とおる)」(遊曲)。
遊曲というのは「小書」と呼ばれ今回40年ぶりの上演だという。
なぜ「遊曲」というのかについては3人にも定かではないらしい。
(「小書」とは通常とは違う演出の指定をいう。「融」には他に「笏の舞」「クツロギ」「酌の舞」など流派によっていろいろあるようだ)。

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会場で頂いたパンフレット所収の3人の座談会の中で広忠が
「遊曲」という小書に現代性があるかどうかは別として、今僕等がやっておかないと能としての経験者がいなくなっちゃうんで、また、金春先生(金春惣右衛門・今日の太鼓)がご健在で有られる今、胸を拝借したいという思いから、どうしても今回挑戦してみたいと思ったんです。
どうです?この会の空気が感じられませんか。

融の大臣というスケールの大きな遊び人が陸奥の塩釜の景色に憧れ、京都河原院の屋敷の中にそっくりの庭園を造らせ毎日難波の海から汐を運ばせて焼かせて楽しんだ。
しかし、彼の死後は屋敷跡は紀貫之が

君まさで煙たえにし塩釜のうらさびしくも見えわたるかな(古今集)

と詠ったように成り果てる。
前シテ・汐汲みの老人、後シテ・融大臣・金井雄資。

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前シテの老人が旅僧に融のことを語るとともに河原院からみえる歌枕や名所の名を教えるところが面白い。
 音羽山。逢坂の関のこなたなると詠まれているがその逢坂山は陰になってみえない。歌の中山清閑寺、紅葉も青き稲荷山、鶉鳴くなる深草山、木幡山、伏見の竹田、淀、鳥羽、大原、小塩の山、松の尾の嵐山。
先日書いた丸谷才一「ゴシップ的日本語論」の中で、日本人は物づくしが大好きだ、と書いてあったのを思い出す。枕草紙、古今集(これは物づくしの編集になっている)、、いろんな例を挙げ、とくに地名を並べるのが好きだと日本書紀から浪花節に至るまで道行の例を挙げている。
俺はここを読んだときに落語の「黄金餅」で西念の遺体を担いで下谷山崎町から麻布絶口釜無村まで歩く道筋を40以上の地名を一気にしゃべるところを何故取り上げないのか、丸谷は落語の趣味はないのかとちょいと不満だったネ。
そういえばこの噺には木蓮寺の破戒僧が「きんぎょー、金魚、三(み)い金魚、端の金魚はいい金魚、中の金魚は出目金魚、後の金魚はデコ金魚」という珍妙なお経を読む場面もあるんだ。これも金魚づくしだ。

シテとワキが並んで少しづつ向きを変えながら掛け合いの形で名所の名前を朗々と謳いあげるのを聞いているのは確かに快い。

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後半部は、旅の僧(ワキ・宝生欣哉)の前で後シテ・融大臣の幽霊が華やかな姿で昔を偲び舞う。
今まで観た中では考えられないような大きな激しいともいえる動きの舞だった。
能の動きとは抑えに抑えたホンの少しの動きで激しい動き・感情を表現するものと思っていたから今日の舞には驚いた。

何よりも笛(一噌幸弘)と小鼓(成田達志)、大鼓(亀井広忠)、太鼓(金春惣右衛門)の決闘ともいえそうな掛け合いが素晴らしかった。
三饗会の興奮が蘇る。

幸弘が座談会で
(前の二回の公演は)なんといいますか、自分じゃないような気持ちになったんです。創造の神様に自分を通して音を奏でさせられている、という感じですね。
と語っているが今回もきっと同じじゃなかったかな。
広忠はこう語る。
こんな謡じゃ嫌だ!と思ったら全然違う方向に行ってみたりとか、この動きは凄い!と思ったら逆らわないように、動きに添うような大鼓を打つ、とか。
さらに
舞い手がイラついているなと感じて、先生ごめんなさいって戻すときと、非常にえらそうに言わしていただくと、先生こっちへ来て下さいよ!って、囃子方の世界に乗っかってきて欲しいと挑戦するときがある。
とも。

もしかすると俺はその挑戦の瞬間に立ち会っていたのかもしれない。
能が済んで外に出て一瞬今どこにいるかが分からなくなった。
初めて水道橋の宝生能楽堂に行ったせいもあるけれど時空を超えて融大臣と六条河原町に遊んでいたからかもしれない。

中の写真は、白洲正子・吉越立雄「お能の見方」から。前シテ、豊嶋弥左衛門。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-05-13 22:42 x
>もしかすると俺はその挑戦の瞬間に立ち会っていたのかもしれない。
・・・そうかもしれないと思うと見る楽しみも増えますでしょう。
融大臣は光源氏のモデルともいわれた人。
そして、帝の子でありながら、源氏という名のみ与えられ、皇太子にはなれなかった、ある意味で悲しい運命の人ではないかと思います。
だからこそ、塩田まで引いて、栄華を楽しむ・・ばかばかしいだけに、そこにはむなしささえも感じられます。そういう意味で好きな能の一つ。
それにしても、かなり激しい囃子でしたね、ほんとうに。遊曲のせいなのかどうか勉強不足でごめんなさい、わかりませんデス。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-14 11:49
fukuさん、融大臣は現代の人にはなかなか等身大で思い浮かべることが難しい人ですね。
座談会が面白いです。
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by saheizi-inokori | 2007-05-13 21:10 | 能・芝居 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori