見事すぎる死 吉村昭「死顔」(新潮社)

吉村昭は平成18年7月31日に膵臓癌で亡くなった。79歳。
この短編集は死後出版された。
表題にもなっている「死顔」は遺作である。

2月に膵臓の全摘手術をして小康を得るが再び体調悪化により7月10日に再入院。
7月18日の日記に
ー死はこんなにあっさり訪れてくるものなのか。急速に死が近づいてくるのがよくわかる。ありがたいことだ。但し書斎に残してきた短編「死顔」に加筆しないのが気がかりー
とあったそうだ。
しかし、妻の津村節子が「遺作についてー後書きに代えて」で書いている。
「死顔」の推敲は、果てもなく訂正し続けた細かい字が並び、それを挿入する箇所が印してある。あれはいい作品よ。私が言うのだから信じてね、と言っても納得した顔はしなかった。
見事すぎる死 吉村昭「死顔」(新潮社)_e0016828_2235468.jpg
作家の次兄の死(平成13年頃?)の前後を書いた短編である。
例によってギリギリ必要な事実のみを正確かつ簡潔に書きながら、そのことによってかえって作家の心の底に流れる感情を強く印象づけるような文章だ。

九男一女の八男として生まれ、次々と死に別れ、自分を含めて三人だけになった兄弟。
そのひとりを失おうとするときに最後の二人で病院に見舞う。
今までになく柔和な笑顔で二人を見た次兄は翌日死ぬ。
87歳だ。

吉村は学生時代、結核で危うく死をまぬかれた闘病経験がある。
そして多くの肉親を見送ってきた。
そうしたこともあって死に臨んだ者を見舞いにいくことをできるだけ控えようと考える。
死んだ後も葬儀の手配など、自宅からアドバイスは惜しまないが遺族のところに行くことは避けて家族に段取りを行わせようと配慮する。
葬儀の時に柩の中の死者と”最後のお別れ”をすることについて小説の中で書いている。
柩の中の死者は、多かれ少かれ病み衰えていて、それを眼にするのは礼を失しているいるように思える。死者も望むことではないだろうし、しかし、抵抗することもできず死顔を人の眼にさらす。
妻とそのことについて話し合い、容易に一つの結論に達していた。死は安息の刻であり、それを少しも乱されたくはない。
自分の時は、
死後出来るだけ早く焼骨してもらい、死顔は、死とともに消滅し、遺影だけが残される
ように。

延命治療についても嫂が断ったのを評価して
幕末の蘭方医佐藤泰然(吉村は発病後の17年この人の息子・松本順の見事な一生を描く”暁の旅人”を発表している。俺はこれを読んだ時にまさか作家がこんな状態であるとは夢にも思わなかった)は、自ら死期が近いことを知って高額な医療品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、死が近づいているか否か判断のしようがなく、それは不可能である。泰然の死は、医学者故に許される一種の自殺と言えるが、賢明な自然死であることに変わりはない。
と書いているが実際には「もう死ぬ」と言って、点滴の管のつなぎ目を自分ではずして死んだ。
”理想の死”を自ら成し遂げたのだ。

つまりこの小説は遺言でもあった。
作家・吉村昭はこのように死を迎えたい。
次兄の死にことよせて語られた思いは見事遂げられた。

見事すぎる死 吉村昭「死顔」(新潮社)_e0016828_22461784.jpg
他に四つの短編が収録されている。
未発表の「クレイスロック号遭難」は明治政府が条約改正に向けて必死の外交交渉を行っている時に起きたロシアの遭難船をめぐる一挿話で未定稿。
これを除くと全て死を題材にしている(「クレイスロック号遭難」にも死体は登場するが)。
一番古いものは「ひとすじの煙」(平成14年初出)。
作家の学生時代、肋骨切除手術後、東北の山の中の秘湯で養生生活を送った時の経験に基づくと思われる。
主人公は姑の酷な扱いに耐えかねて夫と乳飲み子を連れて家出をし宿で働いている快活な女と会う。その女が結局子供を道連れに自殺する。
九死に一生を得て山を降りて新しい人生に向かう主人公と、不幸にも自ら死んでいく健康な女とその子。
その対比が静かに語られる。
「二人」は、「死顔」と同じシチュエイションを扱った作品であるが、平成15年発表であり、吉村はまだ癌の宣告を受けていない時のものだ。
妻のほかに女性がいて子供もいたことが死を覚悟した次兄からその息子に語られると言うところが「死顔」にはない設定だ。
「山茶花」は病身の夫の介護に疲れて絞殺した女が題材。
18年の作、殺される夫が大腸癌から肺臓癌を発症し、寝たきり状態になっていると言う想定に作家自らの病気と行く末を重ねているようにも読める。
刑務所を出た女はある種の明るさをもって生きていく。
女は「殺してくれ」という男の悲痛な願いを聞き入れて実行に及んだのだ。
そうしたことが夫に対してやるべきことをやったという一種の満足感を持っているのかもしれない。
少なくとも傍で想像するほど罪の意識を持っていない。
作者はそういう妻を肯定していたのか?
この作品も「死顔」に明瞭に表される死についての作家の考え方を示している。

俺はどのように死を迎えるのだろうか?

癌の痛さを訴えはしたものの早死にすることについて愚痴を一つも言わず、むしろ先に逝くことを詫び俺たちを力づけて最後までユーモアを忘れなかった(死の数日前、ビールを一口啜って”美味しい”と笑ったのは津村が書く吉村の”ビール一口”とそっくりだ)妻に笑われないような死に方ができるのだろうか?
Commented by 散歩好き at 2007-03-25 13:39 x
二つの例をみて考える事がありました。一人は抗癌剤は使わず出た症状に対症療法をして元気だったが夕食後のふっと亡くなったひと。最新の治療をこころみたが比較的短期間で亡くなった人。治療法を選ぶのも死を迎える個人の人生観のようです。
志ん生が寝込んでから酒を欲しがり家族が水で薄めて与えていたがいよいよ最後の時、生の酒を飲ませたら今日は薄めてねーやと言ったとか。
Commented by saheizi-inokori at 2007-03-25 13:46
散歩好きさん、一番大切な人生観かも知れませんね。
究極の選択です。やり直しが効かない。
Commented by そら at 2007-03-25 19:31 x
死に様は生き様の集大成ではないという言葉をどこかで読んで、
何かしら安心した記憶があります。
「こういうふうに死にたい」と思いはしても、実際その場に立ってみたら、意外と生に執着して、周りに迷惑をかけるかも…なんて思っていたので。
吉村さんは、だけど自分の理想を具現化して亡くなったんだなぁと、
ただただその強さに打たれました。
真似できるとは思わないけど、心に留めておきたい出来事でした。

>俺はどのように死を迎えるのだろうか?
考えると恐いよね。恐いけど、考えたいことだよね。
Commented by roko at 2007-03-25 19:40 x
すみません勉強不足で存じ上げない作家さんでした^^:
しかし・・・拝読して・・・母の妹(舌癌で50代で死去)と祖母の死を思い出しました。
>いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。
これは、日本人の死生観に中には絶対的にあるような「キーワード」だと思います。生前・・・祖母も同じ事を言ってました。祖母の葬儀時には、死装束に着替える時に葬儀屋さんが親族には全く顔が見えない様にしました。叔母の時はかわいそうな位でした(;へ:)。(7年前と今とでは違っていました)私も、死ぬ時は植村 直巳さんのように山で死にたいです(笑)鳥や獣の餌となり朽ちて土に戻りたい・・・生きる事とは、死に行く事なのかも知れませんね・・・。
Commented by saheizi-inokori at 2007-03-25 19:42
そらさん、100人100様の生き方と死に方があるのでしょうね。
考えてもしょうがない、とちょっと前までは思っていましたが、やはり向き合っていかなければと思いはじめました。
Commented by saheizi-inokori at 2007-03-25 19:45
rokoさん、吉村と言う人は特に出所進退の爽やかな人に迷惑をかけることをもっとも嫌ってその通り実行できたような方ですね。
端然とした人。
Commented by sakura at 2007-03-25 21:45 x
すみません。一杯書いたのですが、、結局消してしまいました。
死については考えても仕方ないと、今は思っています。
死んだら、おしまい。
Commented by saheizi-inokori at 2007-03-25 22:22
sakura さん、暗い話題でごめんなさい。
でも考えまいとしても心のどこかで考えているのかもしれません。
私は特にそうです。知っている人が亡くなることが多くなって尚更です。
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by saheizi-inokori | 2007-03-24 23:30 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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