感動的な先駆者の人生 金森敦子「女流誕生」(法政大学出版局)
2007年 03月 21日
20日朝日新聞夕刊に、国立能楽堂が、今年から年一回、定期的に女性能楽師たちの演能の機会をつくるというニュースが載っている。
第一回は観世流の鵜沢久が「小鍛冶」、金春流・山崎禮子が「班女」でシテを舞う。
その記事に、
津村は女流、といわれることを嫌っただろうと著者はいう。
「芸には男性も女性もない」といい続け、それだけの実績を残してきたのに、依然として「女流」として扱われつづけ、男性の能とは別物と見られてきたのが現実だったから。
その津村紀三子の一生を描いた物語だ。
副題は「能楽師津村紀三子の生涯」。
明治35年(1902年)兵庫県生まれ。
7歳頃から謡曲を習うが中断、13歳の時にふとした弾みで謡曲本を読んで能の文章に感動、以来能一筋ともいうべき人生は壮絶だ。
家計を助けるために釜山、京城で能を教えるうちに、師匠に無断で公演を行う。
女流演能がご法度だったために観世銕之丞から破門される。
以来、自ら女性一門・緑泉会を組織して女性能楽師公認まで独自の活動を行う。
徒手空拳、謡のためにワザと声をつぶし、破門=門戸を閉ざされた身ゆえに公演を観続けることにより芸を盗み、囃し方、装束、、総合芸能としての能の全てを自ら学び教えた。そうしなければ道は開けなかったのだ。
そうしていても偏見や偏狭な男性至上主義の能世界からは誹謗・妨害もあった。
思い込んだら命がけ、というかある種の自己中心主義と人に愛される性格が幸い?して踏まれても失敗してもめげずに立ち直っていく。
昭和49年(1974年)、仕舞「山姥」を舞って半月後に永眠。
白洲正子は初の女性として能舞台に立った人だといわれる。その白洲は能は女性には向かないと舞台に立つことを止めた。
理由は「能は本質的に男性の力・骨格を必要とする」ということのようだ。
そのために津村紀三子は女性のための能・「文がら」を作曲し、そこに生身の女性を登場させるのだが、それはあまりにも生々しい女性の登場のために、能の象徴性、深みが失われてしまう。
津村が小さな身体を大きな志で駆使して辿り着いたところに待ち構えていた最後の課題はそこにあったのだろう。
上記の新聞記事にも
頑張れ!津村に追いつき追い越せよ!
写真表紙の絵は津村の作。彼女は生計の助けに絵を売りもした。
第一回は観世流の鵜沢久が「小鍛冶」、金春流・山崎禮子が「班女」でシテを舞う。
その記事に、
能楽には、男性の芸能として確立した長い歴史と芸態がある。太く低く響く謡に向かない女性の高音。今でこそ小ぶりな物もあるが、きゃしゃな女性には寸法が合いにくい装束や面。プロの世界では「女人禁制」が通用した。とある。
しかし、戦後女性能楽師のパイオニア津村紀三子の登場で壁は崩れた。
津村は女流、といわれることを嫌っただろうと著者はいう。
「芸には男性も女性もない」といい続け、それだけの実績を残してきたのに、依然として「女流」として扱われつづけ、男性の能とは別物と見られてきたのが現実だったから。
その津村紀三子の一生を描いた物語だ。
副題は「能楽師津村紀三子の生涯」。
明治35年(1902年)兵庫県生まれ。
7歳頃から謡曲を習うが中断、13歳の時にふとした弾みで謡曲本を読んで能の文章に感動、以来能一筋ともいうべき人生は壮絶だ。
家計を助けるために釜山、京城で能を教えるうちに、師匠に無断で公演を行う。
女流演能がご法度だったために観世銕之丞から破門される。
以来、自ら女性一門・緑泉会を組織して女性能楽師公認まで独自の活動を行う。
徒手空拳、謡のためにワザと声をつぶし、破門=門戸を閉ざされた身ゆえに公演を観続けることにより芸を盗み、囃し方、装束、、総合芸能としての能の全てを自ら学び教えた。そうしなければ道は開けなかったのだ。
そうしていても偏見や偏狭な男性至上主義の能世界からは誹謗・妨害もあった。
思い込んだら命がけ、というかある種の自己中心主義と人に愛される性格が幸い?して踏まれても失敗してもめげずに立ち直っていく。
昭和49年(1974年)、仕舞「山姥」を舞って半月後に永眠。
白洲正子は初の女性として能舞台に立った人だといわれる。その白洲は能は女性には向かないと舞台に立つことを止めた。
理由は「能は本質的に男性の力・骨格を必要とする」ということのようだ。
能の中で男性が描いてきた女性像は、決して現実に生身をさらしている女性ではない。いかに女性の動きを象徴化するか。男性の物真似で終わりたくない。
それは男性だからこそできることである。
そのために津村紀三子は女性のための能・「文がら」を作曲し、そこに生身の女性を登場させるのだが、それはあまりにも生々しい女性の登場のために、能の象徴性、深みが失われてしまう。
津村が小さな身体を大きな志で駆使して辿り着いたところに待ち構えていた最後の課題はそこにあったのだろう。
上記の新聞記事にも
様式化された型を駆使する能は、生な表現がタブー。主人公が女性の能も、男性が思い描く美の象徴だ。とある。
「舞台から女性が見えるのでなく、にじみだす表現に、女性能楽師の方向がある」と鵜沢は見る。
頑張れ!津村に追いつき追い越せよ!
写真表紙の絵は津村の作。彼女は生計の助けに絵を売りもした。
Tracked
from 墓の中からコンニチワ
at 2007-03-22 05:33
タイトル : 贔屓の手拍子倒し
音楽が鳴り、織田クンが滑り出すと手拍子が始まった。バラバラな手拍子。曲はボサノバのリズムを使っていたと記憶するが表を叩く人も裏を叩くもいる。さらに屋内リンクだから反響も入る。裏と表とスピーカーの音楽に反響が加わるのだから織田クンの耳には少なくとも四通りのリズムが聞こえる。 明らかに困惑の表情を見せながら織田クンはジャンプを試みたが、案の定転倒。 転倒の原因はイナカモン、リズム音痴の観衆の手拍子。 なぜ主催者は手拍子を禁止しないのか。外国でも観衆が手拍子を打つことはあるから構わないと思って...... more
音楽が鳴り、織田クンが滑り出すと手拍子が始まった。バラバラな手拍子。曲はボサノバのリズムを使っていたと記憶するが表を叩く人も裏を叩くもいる。さらに屋内リンクだから反響も入る。裏と表とスピーカーの音楽に反響が加わるのだから織田クンの耳には少なくとも四通りのリズムが聞こえる。 明らかに困惑の表情を見せながら織田クンはジャンプを試みたが、案の定転倒。 転倒の原因はイナカモン、リズム音痴の観衆の手拍子。 なぜ主催者は手拍子を禁止しないのか。外国でも観衆が手拍子を打つことはあるから構わないと思って...... more
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ginsuisen at 2007-03-21 22:21
その津村紀三子の追善のお能の会「緑泉会別会 津村紀三子三十三回忌追善」がありますです。
saheiziさん、残念かな。4月21日です。国立能楽堂でーす。
saheiziさん、残念かな。4月21日です。国立能楽堂でーす。
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saheizi-inokori at 2007-03-21 22:32
ウーン、21日、残念!秋田に行く予定です。
やはり ginsuisenさん、よくご存知ですね。どんな感じだったのでしょう。背は低いけれど見ているうちに大きく見えたって書いてありますが。
やはり ginsuisenさん、よくご存知ですね。どんな感じだったのでしょう。背は低いけれど見ているうちに大きく見えたって書いてありますが。
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mmiizzz at 2007-03-22 09:42
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saheizi-inokori at 2007-03-22 10:04
mmiizzzさん、そうですね。何かを期待したいです。まず観にいかなくちゃと思ってます。
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fuku(ginsuisen)
at 2007-03-22 11:28
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すみません。私、津村さんのお能は見ておりません。何せ、昭和49年はまだヒヨッコでしたのよー。
同性として、応援したい気持ちはあるのですが、私的には白州さんと同じ考えです。舞台で見たいかどうかというと、あえて見たくないです。気づいたら、女性だった・ならいいかもしれませんが。
また、女性を演じていても、そこに女を表現する男のシテ方のものは、見たくないです。男なのか女なのかわからない、むしろ浄化した存在として見たいのです。
そういう意味では、津村さんはすごい人だったようですね。
同性として、応援したい気持ちはあるのですが、私的には白州さんと同じ考えです。舞台で見たいかどうかというと、あえて見たくないです。気づいたら、女性だった・ならいいかもしれませんが。
また、女性を演じていても、そこに女を表現する男のシテ方のものは、見たくないです。男なのか女なのかわからない、むしろ浄化した存在として見たいのです。
そういう意味では、津村さんはすごい人だったようですね。
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piomio
at 2007-03-22 19:13
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saheizi-inokori at 2007-03-22 22:49
fukuさん、津村さんの後継者である藤村禮次郎は津村の「文がら」について「自己の死をも予見し、女能役者の終焉をも演出した」のではないか、と語っているのです。
津村自身も晩年後に続くべき女性能楽師たちの”はしゃぎよう”に「ああ、女流演能などはじめるんじゃなかった」とたびたび嘆息をもらしたそうです。
津村自身も晩年後に続くべき女性能楽師たちの”はしゃぎよう”に「ああ、女流演能などはじめるんじゃなかった」とたびたび嘆息をもらしたそうです。
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saheizi-inokori at 2007-03-22 22:51
piomioさん、私も分からないので本を読んだのでした。少しでも能とお近づきになりたくて。
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fuku(ginsuisen)
at 2007-03-22 23:13
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津村禮次郎さん、実はひそかに、見に行こうと思っている方です。
もともとお能の家にお生まれでないことにも興味大なんです。
で、ちょっとなさっていることもおもしろそうなんです。
プロフィールhttp://www.ryokusenkai.net/menu.htmlもユニークなので。
女は、ある意味でわわしい部分がありますね、それが津村女史も、白州さんもお嫌いだったのではないでしょうか。
「女が女であること」難しい問題ですねー。
もともとお能の家にお生まれでないことにも興味大なんです。
で、ちょっとなさっていることもおもしろそうなんです。
プロフィールhttp://www.ryokusenkai.net/menu.htmlもユニークなので。
女は、ある意味でわわしい部分がありますね、それが津村女史も、白州さんもお嫌いだったのではないでしょうか。
「女が女であること」難しい問題ですねー。
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saheizi-inokori at 2007-03-22 23:48
fukuさん、この本で藤村氏のことも当然書いているのです。興味深い人ですね。
津村に押し倒されて能楽師になったような人です。「文がら」のワキは降りてしまうのです。そのときのことを後で述べたのが上のセリフです。
HP覗いてみます。
津村に押し倒されて能楽師になったような人です。「文がら」のワキは降りてしまうのです。そのときのことを後で述べたのが上のセリフです。
HP覗いてみます。
by saheizi-inokori
| 2007-03-21 22:15
| 今週の1冊、又は2・3冊
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