彼らは過激・異常か?鈴木邦男 森達也 斎藤貴男「言論統制列島」(講談社)
2007年 03月 11日
金正日をバカにできた義理ではない、2世、3世による世襲政治、地方議員も入れると8割近くが世襲だと。
能力なんてどうでもいい。能力があればもっと怖い。そういう子ばかりに支配されている日本。
しかし、それは”民意”で選ばれたのだ。誰のせいでもない。”主語”で話すことを忘れた俺たちがやったことだ(森)。
そしてそういう連中がちょっと前までは右翼ですら言わなかったような過激なことを平気でいい、多くの日本人がそれを支持しているかのように見える。
今、右翼が、大東亜戦争は正しかった、日本は全く間違っていない、創氏改姓もやっていないし、南京虐殺もなかったと言うでしょ。
そして左翼のみならず、自由主義者も悪いと言う。それはかつて左翼がやった手法なんですよ(鈴木ー”右翼”一水会を創立)。
ノーベル賞受賞の江崎玲於奈氏が教育国民会議の座長として公式に言った。
「人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力が分かる時代になってきました。・・(略)ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく時代になっていきますよ」斉藤は、この発言はスクープに値すると思ったが記者連中をはじめ多くの人々が当たり前の発言だととらえていることに気がつく。
日本は壊れてしまったらしい。
憲法というものはほっておくと何をするか分からない(必要悪である)国家に対する制約を定めたものだ。
それが立憲主義というものだ。
ところが自民党(と民主党も)憲法を変えて国民の生き方(国を愛せ、家庭を大事にしろ、、)を決めようとしている。とんでもない間違いだ。
現行憲法が完璧であるとも思えないし、しかるべき改正は必要だと思うが、少なくとも現在の改憲主義者、とくに権力を握っている連中が改正するのは危険極まりない。
その意味では護憲を言わざるを得ない。
改憲派の代表の小林節・慶大教授も、支配欲に取り付かれている権力を世襲しただけの政治家がまるで封建時代の領主サマのような発想で、他人の生命をコストとしてしかとらえていない状況で改憲したら、とんでもないことになる、と護憲に回った。
本来なら市民自らが律すべき市民のマナーまで全て警察の介入を望む空気が強い。
自分の主張をもちそれを公に発言したり行動に移すことをしないで何かに”決めて欲しい””支配されたい”という空気が日本に蔓延している。
主語のない日本になっている。自分で考えもしない。常に中身も勉強せずにマスコミの誘導にのって単純な二分法に従い、誰か悪者を作っては叩いてストレスを解消する多くの日本人。
そういう国民を見透かして売らんかなのマスコミ。
俺の意見と本の中の3人の意見がごちゃ混ぜだが殆ど俺は同感だ。
彼らは左翼、右翼・・いろんなレッテルを張られているし過激な意見を述べているかのように思われているらしい。
俺はそうみる世の中の方がよほど異常であり過激だと思う。
彼らは自らも言うとおり普通に生きてきて普通に考えて自分が納得できないことを納得できないと言っているだけだ。
常識の書として心ある人には一読をお勧めする。
「誰も言わなかった右翼と左翼」が副題。
インスピレーション元: * 梟通信~ホンの戯言:彼らは過激・異常か?鈴木邦男 森達也 斎藤貴男「言論統制列島」(講談社) ... more
護憲は国民の意識を軽視しているようで、そちらのほうが危険に思えるのですが。
でも、1匹を「見失った羊」と訳している聖書もあって、その解釈では1匹が、99匹の見失った道であるとするものです。この譬えは賢い羊飼いは99匹を山に残して1匹を捜しに行くと続くのですが、そうありたいと思う私です。
齋藤氏は視点がとても低く内側にあるとおもいます。この人も普通なのに極端な人にみえてしまう。座標軸が大きく変わってしまった。
テレビでましな映像ってあるでしょうか?
NHKへの介入問題ひとつ取っても言論は統制、しかも”空気”による自主統制の形で強まっていると思います。
その辺りは本書で三人が具体例をたくさん挙げていますよ。10年前には平気で言えたことが今はマスコミも企業も言えなくなっている。
大衆はヒステリックに悪者創りをしていますね。
自分達の先行きに対する不安を刹那的な娯楽やへんてこな占い、霊の話、オカルトに紛らわしているのではないでしょうか。
不安を受け止める組織もないままに、国家主義的な勇ましいことを言って、から元気を出しているのではないでしょうか?
医療、教育、税制、、何をとっても大衆が喜ぶような政策はないのに、それを知らないでただ”朝鮮、中国を叩け”とわめいている人も多いようにかんじます。
羊の例で言えばこの本で言ってることは、「さっきまで99匹の仲間と一緒にいたと思ったら知らぬ間にみんな右折してまっすぐな道を歩いていた自分が一匹になってしまった」ということでしょうか。
本書でも通常の右翼が聞いたら押し寄せてきそうな発言がポンポン飛び出します。
異なった意見の持ち主に対して寛容であることを旨としている人ですね。
環境問題ひとつ取っても事実としての環境悪化は進行しているし、車はますます我が物顔に走り回っています。
戦争はひとときもなくならず、環境を壊しまくっています。
今の若者達の気持ちが荒んでいないか、今回の芥川賞作品の主人公の生活は決して荒んでいるというか書かれ方ではないけれど、仕事や人生に若者らしい何の喜びもなく生きていく若者が普通に書かれていること自体が現代の不毛を象徴しているような気がします。
ノーベル賞を受賞した学者さんが、そんなドタワケな事を言ったのですか!?
これは「馬鹿」としか形容できませんね。
非常に危険な発想ですね。
「身分」ではなく「遺伝子」という理屈をもって、封建体制を復活させる思想のように思えます。
「遺伝子版カースト制度」と言ってもいいでしょうか?
今をときめく養老孟子も、同じようなことをベストセラー書籍に書いてましたね。
人間の可能性や努力というものを小ばかにするエライ学者の発言には反発を感じますが、それを無条件に受け入れてしまう民衆も危ないですね。
それを仰ぎ見る人たちが情けないと言うか気の毒と言うか。
この認識がまるで逆転してるんですよね。
欧米人や我々占領世代の日本人には当たり前なんですけど...
英国には憲法がない、と私が言っただけで宴会が突如お開きになったことがあります。
寒気がしました。
山師が大山を掘り当てただけだと思いますけど...
ノーベルはそれを認識したからノーベル賞を設けたのですが、受賞者の中にはその認識が欠け、自分はエライと誤解しているセンセイが少なくないようですな。
だから「先生とよばれるほどのバカでなし」が説得力を持つのです。
鈴木邦男という人はなかなか面白いですね。もう10年ほど前ですが、日の丸・君が代の問題で「強制は絶対いけない」と新聞のインタビューに答えていたので、変った右翼だと思って職場の労組の日刊紙にその話を紹介したことがあります。
右であれ左であれ、異なった意見に寛容であることが大事だと思います。
国家が何かいい事をしてくれるはずだ、その国家の行く手を阻むものをぶっ殺せ!そうわめくことで自分達も強くなったような錯覚をもつ。
なんてったって総理大臣とかノーベル賞のおじさんが言ってることだモノ!その言葉が自分達の首を絞めていることも気がつかないで。気がついたときはもう遅いのです。進め一億火の玉だ。ほんとに火の玉のなっちゃった!