馬鹿な息子ほど可愛いってね
2007年 02月 26日
賞味期限切れだけど(最初から賞味すべき内容じゃない?)。
「眠れない」訴えながら高イビキ
夜用に取って置きたいこの眠さ
すとーんと落ちていくこの快感
起きて泣く子でもやっぱり可愛いよ
お題と無関係で。
慰労会手作りでやり疲労会
役員が酒を注がせる慰労会
「やあ、ご苦労さん、今日は無礼講だ。ゆっくり飲めよ」といいながらゴマすり社員たちに取り巻かれて自慢話にふける偉い人たち、磊落そうに見せながら、誰が酒を注ぎに来なかったかをじっと観ている。
相続税とか累進課税が高いと働く意欲を損ない社会から活力がなくなる、などとのたもうタワケ=恥知らずがいる。
働く意欲がなくなるほど”貰って”みたいもんだ。
というより金だけが欲しくて働いているわけじゃないだろうに。
本当は逆じゃないか?
巨額な遺産を遺すと馬鹿息子やアホ娘の勤労意欲がマスマス無くなる。
その上そいつらが親の七光りで人の上に立つと部下たちの意欲がなくなるんじゃないか。
再チャレンジというなら自分の息子たちもスタートラインは平等にしてチャレンジのチャンスをやらなきゃ、獅子は千尋の滝に我が子を突き落とす、というけれどそこまでは言わないよ。
せめてみんなと一緒に、ということだ。
芸術を育てるのはそうして得た相続税や累進課税の増額分を当てればいい。
貧しいからこそ頑張って来たのが一代目、創業者だろ。
どんなに累進課税がきつくてもそんなことを考える間もなく頑張ってきたのじゃないのか。
相続税が高いから、この辺で手を抜こうなんて考えるような玉じゃなかったろうに。
良くも悪くも。
功なり名遂げた途端に息子のことが気になるのはまことに人間らしい。
だからと言って産まれて来た、という幸運?以外に何の功績もないやつが最初から社会の上層に地位を確保されることが公正な美しい国だとは思えない。
機会均等って死語になったのか?
YUKI-arch さんのブログに触発されて書きました。
写真上は今日入った銭湯、恵比寿。熱い湯。
下は散歩で見かけた”年度末予算消化工事”。修理しなければならないほどいたんじゃいないのになあ。
近くに銭湯があったら行ってみたいです。長崎にはあんまり無いですよ。(少なくとも近場にはひとつもないなあ~)
町営の温泉がありますが、5:00くらいに閉まるんじゃないかなあ。。。でも、100円です。
夜、やっと床につくとき「あーあ、寝るほど楽なことはなし」というのが働きづめだった母の口癖でしたが、同様に妻は「ああ極楽極楽」とたちまちいびきをかくようになりました。昔も今も、世の中はこういうささやかな“眠り”に支えられているような気がします。
坂が多いから?関係ないよね。自宅にある人が多かったのかなあ。
公に言えばいくらでも好きなことを言え、というけれど。
偽装計算、JR西日本、病院、バス会社、、あちこちに彼の予言が的中しつつあります。
眠りが最高の慰安、というのも辛いかつての日本の妻たちの家庭内労働を物語りますね。
最近の妻たちは?
功成り名遂げてもいないのに「お前らには何も残さん」とセガレどもに宣言して預金以外の資産を全部預金に変えてしまった私は人間らしくありませんな。
ちょっと間、東京に行ってました。
歩行禁煙の徹底に、ちょっと驚かされました。
そのせいか、街の空気が妙に綺麗に見えました(笑)。
>どんなに累進課税がきつくてもそんなことを考える間もなく頑張ってきたのじゃないのか。
先日、ある社長(創業者)のお話を伺う機会があったのですが、おんなじようなことを仰っていました。
「とにかく、一生懸命やってきたよ。そんな余分な事を考える暇なんて、無かったよ」
という感じのことを仰っていました。
私も馬鹿息子に後を継がせたいと思っていますが、世の中よく出来ていると思うのはそういう馬鹿息子どもにはものすごく金がかかるということです。それで税金を払いたくないとなんか云っている訳ではないんですよ。政治屋や役人が、職員とともに汗水流して作った金を好き勝手に使っているから払いたくなくなるんです。寄付を税金と同じに見做してくれれば、みんな赤い羽根を買いまくるでしょう。
カーネギーの時代の米国には奴隷か奴隷に近い労働力があったかわりに、法人税というものがなかったと聞いています。その点、中産階級でなくとも中流意識を持っていた日本人は立派だと思います。
傷んでない道でも、最近では事故防止のためキラキラさせたりしてますが、あれもどれだけの効果があるんでしょう。
>私もCount_Basie_Bandさんと同じみたいです。
同好の士(?)がいらっしゃって安心。
>大学まで見てやればオンの字ですよ。
私は高校卒業式の日にバッサリやりました。次男はその日にタバコを止めました(^^;)。
私自身、親から貰うどころか、20代の時から両親を扶養していましたから「それに比べれば温情だろう」が私のセガレたちに対する言い分。