苦しみが安らぎに変わる不思議  柳澤桂子「安らぎの生命科学」(早川書房)

著者は前途有望な遺伝科学者であったが突然難病に冒され九死に一生を得るものの研究生活を断念する。
生と死の間をさまよい人生の目標を失うという苦しみの中で彼女は”健康なときと質の違った安らぎの体験を次々と経験した”という。

まず、訪れたのが絶望の中での至福体験。
朝の光が指し初め、障子が白く浮き上がったとたんに私の心の中に一瞬火が燃え上がった。激しいめまいとともに悲しみはあとかたもなく吹き飛ばされていた。目の前に赤々と輝く一本の道が見え、私は言葉にあらわすことのできない満ち足りた気持ちに包まれた。一転、希望と幸せの絶頂に立ったのである。
やがて彼女は宇宙の鼓動を感じるようになり、宇宙のリズムにあわせて、自然の中に自分を浮遊させるときに苦痛が安らぐことを知る。

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病気が悪化する一方だったが残された力で何かをしたいと願い文章を書くようになった。
世の中の役に立つようにとの思いから始めたのだが次第に書くことそのものの中に喜びを見出す。

そのようにして書かれた多くの本のひとつがこれだ。
40編近くのエッセイ集。
生命の誕生(我々の細胞の中には40億年前の海の水が入っている)、遺伝子、死とは何か、永遠に生き続けるもの、宇宙のリズム、、、。
先に書いた至福体験についての科学的考察(脳内麻薬物質がどういう状態で放出されるか)もなされる。

昼間学習したことは、眠っている間に脳内の細胞に定着するようだ(寝る間も惜しんで勉強することの間違い!)。
彼女は言う。
細胞という空間的な存在に、なぜ記憶という時間のファクターをもったものが定着するのであろうか。しかもそれが眠りと深くかかわっているというのであるから、「私」というものの神秘に感嘆せざるを得ない。自分自身についてどれほどのことも知らないで、私たちは今日も生きているのである。
忘れることによってこそ、頭の中が整理され、必要な記憶が取り出せるようになる。
忘却の能力に感謝だ。
もっとも俺は忘れる一方、新たな記憶が増えることはないのがチイト哀しいけれど。

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科学研究を効率至上主義で行う風潮には危ない罠がある。
効率至上主義は、科学技術至上主義と結びついて、科学の発達をゆがめてしまう。人間を傲慢にし、環境や生命までも意のままに支配しようとする。
科学は人間の精神の芸術的産物である。

分かりやすい、興味深い話を愉しんだ。
同時に”こうして生きている奇跡・不思議”を思い”感謝すること”、そして”謙虚であること”がどんなに大事なのか、それなのに俺は何と傲慢な生き方をしているかと反省した。

本の写真は昨日アップしました。上の写真は夕べ近所で見た枝垂れ梅。
Commented by ちゃめ at 2007-02-11 00:47 x
>科学は人間の精神の芸術的産物である。
 素晴らしい表現ですね。

>科学研究を効率至上主義で行う風潮には危ない罠がある。
 学者をやっている友人によると、この風潮が強いようですね。
 一つの価値観のみに、国の科学技術行政が寄って立つのは、かなり危険ですよね。
 前例は幾らでもありますし…。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-11 06:56
ちゃめさん、彼女の般若心経もいいですよ。
Commented by tona at 2007-02-11 08:51 x
この方の本数冊読みましたが、専門の生命科学に関するのは未だです。
saheiziさんが引いてくださった文も奥が深く、いろいろ考えさせられそうです。
あの難病に襲われなかったらまた別の研究がなされていたのですが、彼女には酷であったけれども、今こんな形の本で教えられてありがたいです。
枝垂れ梅と椿いいですね。
そうそう前回のいろいろな機会には笑ってしまいました。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-02-11 11:48 x
柳澤さん・・すばらしい方ですよね。ドキュメンタリーや本を拝見していますが、私も生命科学の本は未だです。
あの方のことを知ると、人生というか、人間のすごさと同時に、神のような救いは自らの心の中に宿っているのだと感じました・・うまくいえませんが。
機械・・・会社人間として、機械になってあげられたらどんなにいいだろうと思ったことがあります。でも、機械にはなれない。フリッツ・ラングの映画「メトロポリス」・・を思い出していました。
Commented by みい at 2007-02-11 11:55 x
「行くものよ 行くものよ 彼岸に行くものよ さとりよ 幸あれ」」生きて死ぬ知恵・わかりやすい美しい文章で般若心経を現代語に訳してくれていますね。
書道の練習にと写経をしていますが、意味を深く考えることなく書いていました。この本に出合ってから、一字一字その意味を想いながら書くようになりました。
最近書いてないですけれど・・・・。
「安らぎの生命科学」これも読んでみたいです。

白梅きれいです^^
Commented by namiheiii at 2007-02-11 15:04
苦しみと絶望の中の至福体験!それを冷静に分析する科学する心、数年前に読んで大きな衝撃を受けました。効率主義に走り倫理観を喪失した科学者が増えつつある今貴重な書と思います。
Commented by tona at 2007-02-11 15:29 x
機会でなく機械でした。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-11 17:56
tonaさん、生命科学といってもエッセイですから、四方山話の趣もあります。
相変わらずそちらに送信できないのが残念です。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-11 17:57
fukuさん、ほんとに清らかさと真摯ということを感じますね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-11 17:59
みいさん、その般若心経の本も読んでいます。タダ私にはまだもうひとつピンとこないのです。苦しみ方が足りないのかも。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-11 18:06
namiheiiiさん、神無き信仰ということを彼女がどこかに書いていましたね。苦しみの果てに理性がたどりついた結論なのでしょう。人間の限界を知っての結論。謙虚でなければならないということですね。
Commented by みい at 2007-02-11 18:27 x
>苦しみ方が足りないのかも
 苦しまなくていいです(笑
私には死ぬまで「空」という状態?は解らないと思う。
凡人すぎて^^
Commented by hanabi_cyu at 2007-02-11 20:38
人間て どんなときも希望の光を見つけるんですね。
五体満足に生きている幸せをもっと大切にしないといけないなって思いました☆
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-12 08:14
hanabi_cyuさん、科学的に言うと苦しんだ時に脳内麻薬物質が出やすくなるのだそうです。なぜそうなるかは神のみぞ知る?
感謝しているのと不満を言ってるのとでは同じ状況に対してもまるで違ってしまいますね。貧しい人が金持ちより幸せ(に感じている)のは同じことに対する感謝の気持ちがあるからでしょうね。
一生に一度でいいから食べてみたいごちそうも毎日ではね。
Commented by 散歩好き at 2007-02-14 22:15 x
小石川植物園のヤブシロツバキ綺麗ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-02-14 22:28
散歩好きさん、名前を直ぐ忘れる、というより覚えることが出来ないのです。聞いた途端に忘れてしまう。変ですね。きれいだったという感覚は覚えているのに。感覚の方が複雑で覚えにくいと思うのですが不思議です。
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by saheizi-inokori | 2007-02-10 21:16 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori