縁は異なもの粋なもの 流れ流れて川端柳
2007年 01月 15日
mmiizzz さんが突然始めたのに刺激された。
mmiizzz さんは、映画「ニキフォル」についての私の記事をご覧になってコメントしていただいたのがご縁の始まり。
「ニキフォル」は行きつけの定食屋(今日はカキフライ、うまかった)の親爺に教えてもらったのだ。親爺が何故教えてくれたかというと「仏像展」でみた円空の薬師如来つながり。
縁が縁を呼び川柳だ。
定食屋、円空、ニキフォル、mmiizzz さん、縁のどれが欠けても今と違う俺になっている。
不思議やナァ。
最初mmiizzzさんが川柳を始めるという記事を読んでも「フーン」という感じで自分が創ろうとも創れるとも思わなかった。
サラリーマン川柳などの入賞作品を見て、面白いことを言うなあと思ったことはあってもこういう世界には縁がないと思っていたのだ。
母・祖母は俳句と短歌、これも俺にはお呼びじゃない。
ところが浅草をふらついていてふっと出たのだ!
屁、じゃない。一句。
初詣 背筋伸ばして 屁をひれり
これが川柳になっているかどうか、「現代川柳入門」を買って読んでみたが良く分からない。
実は川柳かどうかなんてどうでもいいのだ。
創るのが面白い。
575というのは日本語のリズムだ。リズムに乗ってものをいうのは心地いい。
感じたことを文章にするのは元々好きだし。
視点を変える面白さ。自分と対象、第三者。表から裏から。上から下から、今と昔。
距離を変える。ロングショットにクローズアップ。
言葉を変える。口語に文語。丁寧に慇懃に。
散文はいけないことと知りながらあれもこれも書きたいことをダラダラと、牛のヨダレになってしまう。
575の制約が嫌でもいろんな工夫を必要とする。
最初は到底575には収まらない、せめて短歌くらいの長さが欲しいと思ってもひねくりまわしているうちに・・・575に収まったときの快感!
改めて言葉が本来もっているイメージは豊かなんだなあ、と。
その言葉が組み合わされて更に新たな意味を持ってくる。
視点や距離感を変えているうちに自分の中の自分が少し変わっていくような気がする。
ユトリにちょっと近づいたか?(無理かあ~。)
と、いう訳で・・
人ごみは ゴミではないぞ 命あり
正月は あちらこちらに 日本一
小さくも 幸せ重ね 鏡餅
見抜いたか 俺の心底 鏡あり
あるならば 笑顔見たいと 鏡云い
どうせなら 嫌なこったが アベサダに
なぜ俺は 悩んだのかと ラスコリニコフ
縁を縁と するのは誰ぞ それも縁
簡潔を 説く文章の くだくだし
お後がよろしいようで・・。
写真は・・懐かしかった。高峰三枝子は「湖畔の宿」を涙を浮かべながら歌っていた。ダーク・ダックスと雪村いずみの若さ!
NHK衛星放送。この放送があった頃俺はテレビを持っていなかったんだ。
嬉しいです♪
ニキフォルもまさかこんなことになろうとは…と
天国で思ってくれることでしょう。
何となく、その定食屋さんにも行かなくてはという気になってきました(笑
何句と何句が好き…と書こうとしましたが、どれもいいですね!
どうしてもというなら
1と4。6も気になりますね~。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
引きつられ駄句で一人佐平次ばる
以前の、鋸の続き
人妻は大工コーナー避けとおり
失礼いたしました。
naoさんというブログ仲間は猫の人形を作っています。これもなんだか愉快なのです。
前にもこんなことがsaheiziさんのブログでありましたね。
mmiizzzさんのブログも拝見させていただき楽しみました。
800万あるブログの中で100ぐらいしか見ていないと思うのですがこれも不思議な縁で拝見して感動しているんですね。
私もお邪魔させていただきました!
これからもよろしくお願いいたします。
ブログをしてなかったら、たぶん一生縁もゆかりもない方々と
こうしてお知り合いになれるって
本当に「それも縁」ですね♪
この句は最初「するのはだれぞ 俺と神」としたのですが、掲載句に変えました。縁をすくい取るのは主体があるからだとは思いますが、やはりその主体をそのように生かしてくれているのは縁なのだと。