正月の思い出 伊坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」のことは・・書いてない
2007年 01月 07日
前にも書いたけれど俺は小学校5年から中学にかけて新聞配達をしていた。
5時前には起きて駅に行きホームに投げおろされた新聞を販売店までリヤカーで運び、仕分けされたものを4キロほど離れたところに逓送ー自転車で運ぶ。これをやるとそれぞれ100円づつ(月にデス)余計に手当てがつくのだ。
そこで他の配達少年に分けてやって俺も100部ほど配って帰る。
暖冬なんてないから北信濃の雪や北風とモロに戦う。
髪や睫毛が凍ってチャラチャラいった。鼻がビシビシ。
新聞配達の面からいうと正月は嬉しくて嫌だった。
嬉しいと言うのは2日は休刊日(年に一度だったかも)で休めたことと販売店からお年玉が出たのだ。
月500円ほどの賃金の頃、お年玉が500円ほどもらえた。ボーナスって事だったか。
一応頑張っている子とそうでない子の差をつけるという。
「佐平次はよくやったから」なんてモッタイつけて袋を渡すのだった。
中学に入る年にお年玉で”岩波英和辞典”を買った。
新しい辞書の匂いが忘れられない。
その後今までどれだけ本を買ったか分からないが、本を買うという、そのことだけであれだけ興奮し、感動したことはない。
嫌だったのは元旦の新聞がメチャクチャ厚くて自転車の荷台に乗せて走るのがひと苦労、ちょっとバランスを崩すと転ぶ。転んで新聞を汚すと戻って新しいのを補充しなければならないし弁償もしなきゃならない。
配るときに重いし、重ねてある中から一部を取り出すのが大変だ。
かじかんだ手が雪で濡れた新聞の束からうまく引き出せないで破ったりすると・・。
配達していくと外に出てきて「いつもご苦労さん」と声をかけてくれたり、お年玉の意味か飴玉を包んでくれる家があって、とても嬉しかった。
新聞配達のことを除くとやはり正月は最高!
いつも会社に行く母と弟、家族3人が一緒にご馳走を(ごまめ、玉子焼き、煮物、黒豆、栗きんとん、お雑煮・・みんな一緒に作った)食べ遊ぶ。
引き揚げる前に朝鮮で覚えたポッサムキムチは近所の引揚者グループで一緒に漬け込む。
何かとご近所は一緒にやり一緒に喜び悲しんだ。俺たちは”近所の子供”としてどの家にも我が家のように遊びに行ったものだ。
白菜の一枚一枚の間に、栗、梨、タラコ、にんじん、ネギ、大根、アミ、にんにく、イカ、唐辛子、昆布・・いろいろ刻んだものを挟み込む。寒冷地でないと味が変わってしまう。
横に切って大皿に出すと大輪の花が咲いたようだった。
他所でご馳走になると手のひらにとって(小皿なんてそんなに無かった)食べてその手のひらはコタツのやぐらで拭いてしまった。
”正月におろす”ことにしてあった下着とかセーターに着替えて外に出る。
近所の人がみんな集まり当番の人の音頭でオメデトウと言い合う。
それから学校へ行く。登校日なのだ。
校長先生の挨拶を聞いてミカンを頂いて帰宅するとトランプ、カルタ、百人一首(坊主めくりもやった)、すごろく、福笑い・・
やりたいことばかり!
2日は書初め、母はいつも百人一首の中から一首書いた。
みんな揃って何かをやると言うことが嬉しくて楽しくてしょうがなかった。
ラジオはあってもテレビのない毎日がどれだけ家族の会話を豊かにしていたかを考えると呆然とするくらいだ。
たいてい雪が積もっていたから雪合戦や竹スキー、雪合戦用のトーチカを作り雪玉を凍らせておく。思えばヤバイ遊びだったね。
こうして書いていくとキリが無い。老化現象。
伊坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」(創元推理文庫)の読後感を書く積りだったが、なんとも書きようがない。
あっという間に最後まで読みました、というのみだ。
この人は最初の「オーデュボンの祈り」を読んで面白いと思ったんだけどなあ。
この本も面白くなくはないのですが・・。
物語は現在と過去のが展開されている。 過去の物語でも登場して現在も登場している人物がいる。 過去の物語では登場して現在は登場しない、人物がいる。 過去の物語では登場せず現在は登場している人物がいる。 物語の本当の主人公、そして物語の主軸は現在なのか過去なのか。 滋味溢れる文章とあいまって、傑作作品の様子です。 ... more
既存のミステリーの枠にとらわれない大胆な発想で、読者を魅了する伊坂幸太郎のデビュー作。レイプという過酷な運命を背負う青年の姿を爽やかに描いた『重力ピエロ』や、特殊能力を持つ4人組の強盗団が活躍する『陽気なギャングが地球を回す』など、特異なキャラクターと奇想天外なストーリーを持ち味にしている著者であるが、その才能の原点ともいえるのが本書だ。事件の被害者は、なんと、人語を操るカカシなのである。 ... more
>中学に入る年にお年玉で”岩波英和辞典”を買った。
泣けちゃいました。
佐平次さんみたいな方が日本を背負ってくれていると思うと安心感があります。
新年遅い挨拶になりましたが、お許しください。
saheiziさんは北信濃に少年時代をすごされたのですね。
私はsaheiziさんより少し若いようですが、お正月の楽しみや幸福感はとても懐かしいです。
当然自分にも責任のあるところですが、どうしてこんなにつまらない世の中にしてしまったのでしょう。
この国の首相とは違った意味で、私はこの国を美しいと思ってきたし、それだけに打ちひしがれてもきました。
ただ今は、私の美しいという意識がそう重要なものではなく、それでも存在する『美』もまた含むものを意識します。
言葉は持ち合わせがないし、語るほどに思いとかけ離れていきますが‥
そんな私がブログなど始めてしまって‥なのですが、多くの方に支えていただきました。
拙い写真ブログにも込めたい思いはいま少しあるようです‥今年もよろしくお見守りください。
しんしんと寒い中での新聞配達・・お母様のキムチ・・・全てがsaheiziさんなのでしょうね。感慨深い話です。
私のころも元旦は登校日でした。いつも枕元に真新しい下着がおいてあって、夜なべで作ってくれた服を着て、父を囲んでみんなでおめでとうをしたら、学校へ行きました。寒いけど、すがすがしい新年の気持ち新たな気になったものです。そこでみかんをもらって帰ってくると、年賀状が届いていて・・2日は我が家も百人一首。父が詠んで、姉たちと興じます。末っ子だったのでオミソ扱いで、紫式部のだけをおまけでとらせてもらった気がします。いいお正月光景でしたね。
貧しかったけれど、幸せでした。それにしてもあのころの母たちは忙しかったですねー。お客も来て、年始も行って。15日が女正月とはよく言ったものです。
甘栗の露天販売とか、ホテルのリネン回収とか、ティッシュ配りとか、クリーニング店でのスチーム掛けとか、いろいろでした。吹きっ晒しの仕事も多かったのですが、その寒さは比べ物にならないでしょうね。
正月はいつも親に怒られていた様な気がします。「正月ぐらいしゃんとしなさい。」「正月ぐらい寝ていたいよ~。」親の心子知らずですか。
それも今となってはいい思い出です。
ほんとに何から何まで新品の晴れ着を着、普段とは全然違うごちそうを食べ、、、普段は忙しく働いている母が、朝からうっすらお化粧をし着物なんぞ着ていたりして、、、。
今は、あまり普段と変わらないような、、、。
冬の新聞配達!手の先が凍えるような思いで読んでしまいました。
辛かったけれど得るものも多かったです。毎日自転車で坂道を走っていたから脚が丈夫になって駅伝の選手になったり・・。
今ではちょっと歩いても息が上がってしまいますがこの間までは”走る友”もいたのですよ。
客観的に観れば今は幸福の絶頂にあるのかもしれませんね(これからは下降していく?)。それなのに多くの人が幸福飢餓感とでも言うべきものに追いまくられている。”癒し”が求められる世の中、”志”なんてナイト平然と言う若者が当たり前になった世の中。
つくづく幸福とは物質的な豊かさではないことを知らされますね。
又美しい写真を見せてください。
今新しい下着なんてユニクロで直ぐ買えてしまう。
書初めを一緒にやるより”面白い・興奮できる”事が一杯ある。でも、その何をしてもそれほどの満足感・充足感はない。
貧乏はもう真っ平ではありますが・・。
単に老化のせいだけじゃなく、確かに昔の方が良かったことはたくさんあるようですね。
毎日にメリハリがなくなってしまった。欲望が充たされ飽和状態。
常にどぎつい刺激を求めないともの足らず、その結果疲れて”癒し”を求めていれば世話はないですね。
お正月の緊張感と期待感、すっかり無くなってしまいましたね。
すっかり世俗化してしまったようです。
裏を返せば、お正月をじっくりと祝うだけの心の余裕が、日本人から消え去ったのかも知れませんが…。
もう少し高い理想を持たないと緊張感は出てこないように思います。
ご家族は引き上げも経験しているのですね。本当に大変でしたね。
私は小学高学年で母の封筒貼りの内職の手伝いをしたのを思い出しました。
saheiziさんの新聞配達とは比べものになりませんが。
そのあとは学生時代の家庭教師、6人くらいやりました。
お食事をご馳走になったのが忘れられません。すごく美味しかったのです。
家族で過ごせるお正月はとってもありがたいとおもいます
そこへいくと今の日本はいいお兄さんがバイクの音をけたたましく響かせて夢を破って廻っていますね。あれ、自転車にならないかなぁ・・ そう言えば新聞配達の少年は何時の頃からか見かけなくなりました。
家庭の喜びも伝わってきます。
私は真ん中でたたむような感じで小脇に抱えていて上から順に抜いて配ったのですが、厚いとそれが抜けなくなるのでした。
自転車と歩きの併用、一つのエリアでは自転車を立てかけて歩きで配る分だけ手に持って行きました。
今は小学生は禁じられているのかも知れませんね。
懐かしく読ませていただきました。
「もういくつねるとお正月…」ってホントにそうでしたよね。
新しい服も、夜更かしも、ご馳走も年に一度でした。
そして、近所の子というのも、正にそうでした。
両親が働いていたので、私いろんな家でご飯を食べ
お風呂に入り、叱られた気がします。
いろんな、おじちゃんやおばちゃんに育てられた感じです。
昔の子の方が、小さい頃から処世術を身につけて
そしていざというときの「逃げ場」も持っていた気がします。
お正月と子供は、切っても切れない関係なのかもしれませんね。
何だか、そんなことを思ってしまった。
『アヒルと鴨のコインロッカー』…辞書つながりかと思いましたよ(*^_^*)
「アヒル・・」に出てくる若者たちはどんなお正月で育ったのかなあと思います。少なくともあの3人組はろくなもんじゃなかったんだろうと。親も悪いよね。そらさんはこの本未読ですか?