やばい!はまりそう 能の初体験 観世座「邯鄲」外
2006年 12月 22日
10月に三響會という鼓、太鼓、笛を中心に歌舞伎や能を楽しむ催しに連れて行って頂いて目が開いた心地がして、今度はいよいよ能の初体験。
神社の境内でやっているのを垣間見たことはあるが、ここは渋谷松涛・「能楽観世座」、恐れ多くもホンマもんの能楽堂できちんと鑑賞するのは初めてだ。
難しくてきっと途中で寝てしまうだろう、と思っていたのと
正直言って、歌舞伎とか能って俺のような貧乏育ちの野卑な男には縁なきものと思っていた。
大学に入って直ぐに「歌舞伎研究会」に入部した。
新歓コンパの会費が高すぎて即座に脱退、東京出身のお坊ちゃまが主体のクラブだった。
俺には新劇やセイゼイ落語が似合うと決めていた。
打楽器の競演なら面白いかも知れないと三饗会に行って能(安達原)をスゲーと口あんぐりでみたのだ。
独調 帳良 謡 宝生 閑
小鼓 曽和正博
いい声と音で気持ちがいい。アリアみたいなものか。
狂言 月見座頭
シテ 座頭 茂山忠三郎
アド 上京の者 善竹十郎
八月十五夜、座頭は目が見えないから「月を見ることはならない」が虫の声を聞いて名月の夜を楽しもうと野辺にやってくる。
「これはコオロギ、これは松虫、いい声だがあまり夢中になっていると引き込まれて魂をなくすから」などとこれは能「松虫」を下敷きにしているのか、杖を頼りに虫の音を探り「鈴虫が一番だ」と、聞きほれる風情。
通りかかったのが上京の男、二人は酒を酌み交わし歌を詠む(といったって古人の作った誰でも知っている歌の盗作合戦!)、目の見えない人から舞を所望され、目の見えない人の舞を所望し・・肝胆合い照らして大きな声で笑いあい、見ているこちらの気持ちもゆったり微笑んでくる。
と思いきや、上京の男は座頭に喧嘩を売り小突き回しひっころがして去る。
イジメだね。さっきまでのさばけたいい男、どっちが本性?
哀れ座頭は大きなクシャミを一発。
静かに世界を照らす名月がずっとそういう人間を見ているんだ。
しょうもない、哀れな人間。しかし、可愛い人間。哀しみの滑稽。
月と道化って似合いだね。
茂山師の座頭はそういつでも見られるというものではないのだって、後で教えてもらった。
能 邯鄲 夢中酔舞
「邯鄲の夢」の元になった話だ。
人生に迷う青年が楚の国の皇帝になり栄耀栄華の50年を過ごす、かと思いきやそれは夢の中の出来事、宿で粟メシを炊くわずかな時間に不思議な枕で見た夢だった。
その枕こそ人生のはかなさを悟らせてくれた恩師だ。
話もいいけれど、ただただ美しい。
静かに始まる楽の音、地鳴りのように響いてくる地謡、装束、声、舞、楽器の掛け合い(なんていうのかな)、小鼓がこんなにも表情豊かにおしゃべりをするものだろうか、笛はこの間のイッソさん、相変わらずピイィツとはねている、人々の舞台上の配置、手の動き、顔の上げ下げ、足取り、腰の位置・・美しい!
すべてが流れる、話が現と夢の間を行きかうようにうっとりと、突如と目覚め、その間も時間は流れ、うねり、流れ続ける。
狂言も能も「美しい・はかない・流れ」でした。
困ったぞ、とらわれそうだ。
能楽堂を出た後はセンター街に流れて旨い魚に襲い掛かりつつ落語の「夢の酒」(夢の中で酒の燗をしている間に目が覚めて「ヒヤで飲むんだった」という噺)などで盛り上がりました。
シテ 盧生 観世清和
子方 舞童 観世三郎太
ワキ 勅使 宝生 閑
アイ 宿の女主人 茂山良暢
笛 一噌幸弘
小鼓 曽和正博
大鼓 亀井広忠
太鼓 助川 治
三饗会のみんなだ!
後見 木月孚行
山本章弘
地謡 梅若六郎他7人
付録、ミカン550円と「おーいお茶」 130円を近所の八百屋で買ったら三角くじを二枚引け、という。そしたら当たった!
醤油と百円。こんなの初めてだ。今日はついてないことばっかりだったけれど最後に挽回だ。
神社の境内でやっているのを垣間見たことはあるが、ここは渋谷松涛・「能楽観世座」、恐れ多くもホンマもんの能楽堂できちんと鑑賞するのは初めてだ。
難しくてきっと途中で寝てしまうだろう、と思っていたのと
正直言って、歌舞伎とか能って俺のような貧乏育ちの野卑な男には縁なきものと思っていた。
大学に入って直ぐに「歌舞伎研究会」に入部した。
新歓コンパの会費が高すぎて即座に脱退、東京出身のお坊ちゃまが主体のクラブだった。
俺には新劇やセイゼイ落語が似合うと決めていた。
打楽器の競演なら面白いかも知れないと三饗会に行って能(安達原)をスゲーと口あんぐりでみたのだ。
独調 帳良 謡 宝生 閑
小鼓 曽和正博
いい声と音で気持ちがいい。アリアみたいなものか。
狂言 月見座頭
シテ 座頭 茂山忠三郎
アド 上京の者 善竹十郎
八月十五夜、座頭は目が見えないから「月を見ることはならない」が虫の声を聞いて名月の夜を楽しもうと野辺にやってくる。
「これはコオロギ、これは松虫、いい声だがあまり夢中になっていると引き込まれて魂をなくすから」などとこれは能「松虫」を下敷きにしているのか、杖を頼りに虫の音を探り「鈴虫が一番だ」と、聞きほれる風情。
通りかかったのが上京の男、二人は酒を酌み交わし歌を詠む(といったって古人の作った誰でも知っている歌の盗作合戦!)、目の見えない人から舞を所望され、目の見えない人の舞を所望し・・肝胆合い照らして大きな声で笑いあい、見ているこちらの気持ちもゆったり微笑んでくる。
と思いきや、上京の男は座頭に喧嘩を売り小突き回しひっころがして去る。
イジメだね。さっきまでのさばけたいい男、どっちが本性?
哀れ座頭は大きなクシャミを一発。
静かに世界を照らす名月がずっとそういう人間を見ているんだ。
しょうもない、哀れな人間。しかし、可愛い人間。哀しみの滑稽。
月と道化って似合いだね。
茂山師の座頭はそういつでも見られるというものではないのだって、後で教えてもらった。
能 邯鄲 夢中酔舞
「邯鄲の夢」の元になった話だ。
人生に迷う青年が楚の国の皇帝になり栄耀栄華の50年を過ごす、かと思いきやそれは夢の中の出来事、宿で粟メシを炊くわずかな時間に不思議な枕で見た夢だった。
その枕こそ人生のはかなさを悟らせてくれた恩師だ。
話もいいけれど、ただただ美しい。
静かに始まる楽の音、地鳴りのように響いてくる地謡、装束、声、舞、楽器の掛け合い(なんていうのかな)、小鼓がこんなにも表情豊かにおしゃべりをするものだろうか、笛はこの間のイッソさん、相変わらずピイィツとはねている、人々の舞台上の配置、手の動き、顔の上げ下げ、足取り、腰の位置・・美しい!
すべてが流れる、話が現と夢の間を行きかうようにうっとりと、突如と目覚め、その間も時間は流れ、うねり、流れ続ける。
狂言も能も「美しい・はかない・流れ」でした。
困ったぞ、とらわれそうだ。
能楽堂を出た後はセンター街に流れて旨い魚に襲い掛かりつつ落語の「夢の酒」(夢の中で酒の燗をしている間に目が覚めて「ヒヤで飲むんだった」という噺)などで盛り上がりました。
シテ 盧生 観世清和
子方 舞童 観世三郎太
ワキ 勅使 宝生 閑
アイ 宿の女主人 茂山良暢
笛 一噌幸弘
小鼓 曽和正博
大鼓 亀井広忠
太鼓 助川 治
三饗会のみんなだ!
後見 木月孚行
山本章弘
地謡 梅若六郎他7人
付録、ミカン550円と「おーいお茶」 130円を近所の八百屋で買ったら三角くじを二枚引け、という。そしたら当たった!
醤油と百円。こんなの初めてだ。今日はついてないことばっかりだったけれど最後に挽回だ。
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fuku(ginsuisen)
at 2006-12-23 01:48
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パチパチパチ・・・見事な観察眼。さすがですわー、一回でここまで見れるなんて。どんどんはまって、saheizi感想聞かせてくださーい。
100円があたるなんて、年末にうらやましい。私なんて、ティッシュばかりですわー。
100円があたるなんて、年末にうらやましい。私なんて、ティッシュばかりですわー。
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molamola-manbow at 2006-12-23 07:11
情操教育の一環とやらで、中学2年の時に学年全員が水道橋の宝生能楽堂に連れ出された。若年層に集団で見せる演劇じゃないと、まだ続けているようなら、文句のひとつも付けたいですね。
ただただ退屈なだけでしたが、私語を許さぬ緊張感だけは舞台から伝わってきた。
ただただ退屈なだけでしたが、私語を許さぬ緊張感だけは舞台から伝わってきた。
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saheizi-inokori at 2006-12-23 09:51
fukuさん、恐れ入りやです。おかげさまで新しい喜びを教えて頂きました。これからもよろしくお導きくださいませ。
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saheizi-inokori at 2006-12-23 09:57
manbowさん、私も田舎の中学の講堂で真似事みたいのをみたような気がします。ああいうのは原体験としてかえって能嫌いを増やしてしまうかも知れません。
能に限らず、数学とかなんでも最初の教え方が大事ですね。
能に限らず、数学とかなんでも最初の教え方が大事ですね。
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piomio(yoco)
at 2006-12-23 13:20
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私には、能はむずかしかったですが、この頃、俳句に惹かれはじめました。
Saheiziさんのカテゴリ「わが母と祖母の遺したまいしうた」を時々開いて味わっています。
母親の気持ちを詠んでいるものが多いので、胸にじんわり染みてきます。
せっかちな性格のせいか、短歌より俳句の方が好きです。
まずは、日本文化の好きなところから、入ってみます(^^)
Saheiziさんのカテゴリ「わが母と祖母の遺したまいしうた」を時々開いて味わっています。
母親の気持ちを詠んでいるものが多いので、胸にじんわり染みてきます。
せっかちな性格のせいか、短歌より俳句の方が好きです。
まずは、日本文化の好きなところから、入ってみます(^^)
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fuku(ginsuisen)
at 2006-12-23 14:49
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そう、子どもにとっては能なんて、あんなわけわかんない声出して、動かないで、なんて苦痛ですよね。ただ、それももしかしたら名人のものを見たら違ったかも。いつだったかすごい喧騒の子どもたちいっぱいのホール能があったとき、どうなることやらと思っていたら、悪がきたちが最初は面を見てクスクスしていたのですけど、最後はシーンとなりました。
もちろん、当代きっての名能楽師の羽衣でしたが。
ただ、修学旅行にしろ鑑賞会にしろ、なんでもお勉強しちゃうのが問題では。今ごろ文科省は日本の伝統芸能を音楽の授業にという取り組みをしているようですが、これも、音楽としてとらえて、音符に直して教えたらダメなんですよね。体感しないと。あんなにすばらしい音を民族楽としてさわって聞く会をもっとしてほしいものです。そうしたら興味のある子は大きくなって能などの伝統芸能に接していくと思うのですけどねー。決して高尚もなく門は閉じてません。どこからも見やすい能舞台、皆様もどうぞ。
もちろん、当代きっての名能楽師の羽衣でしたが。
ただ、修学旅行にしろ鑑賞会にしろ、なんでもお勉強しちゃうのが問題では。今ごろ文科省は日本の伝統芸能を音楽の授業にという取り組みをしているようですが、これも、音楽としてとらえて、音符に直して教えたらダメなんですよね。体感しないと。あんなにすばらしい音を民族楽としてさわって聞く会をもっとしてほしいものです。そうしたら興味のある子は大きくなって能などの伝統芸能に接していくと思うのですけどねー。決して高尚もなく門は閉じてません。どこからも見やすい能舞台、皆様もどうぞ。
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saheizi-inokori at 2006-12-24 10:21
piomio(yoco)さん、一家団欒楽しい毎日をお過ごしのことでしょう。
祖母の歌は少し時代が古いかもしれませんね。
祖母の歌は少し時代が古いかもしれませんね。
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saheizi-inokori at 2006-12-24 10:26
ただただきれいだなあ、美しいなあ、いい音だなあ、と座っているのがいいです。内容は分からなくても。
外国の音楽なんて歌詞は分からなくてもいい曲だなあ、と喜んで聴いているのとおなじことですね。意味が分かるに越したことはないでしょうが。
外国の音楽なんて歌詞は分からなくてもいい曲だなあ、と喜んで聴いているのとおなじことですね。意味が分かるに越したことはないでしょうが。
姉が主人を亡くしてからお謡いを始めました。そのお陰で私も
日本の伝統芸能に接する事が多くなりました。
こういう稽古事はゆとりのある方で無いと月謝や諸々に
お高くつくので年配者が多いですね。
若い方が少ないので廃れるのではないかと心配しましたが
先生方が大学などに出張教授をされておられると伺い
ホッとして居る所です。私など意味などよく判りませんが
良いものだなぁ~と言う事は体で感じます。
伝統美術、芸能は永遠に不滅であって欲しいですね。
saheiziさんはあらゆるものを吸収されるのですね。すごいな~・・
日本の伝統芸能に接する事が多くなりました。
こういう稽古事はゆとりのある方で無いと月謝や諸々に
お高くつくので年配者が多いですね。
若い方が少ないので廃れるのではないかと心配しましたが
先生方が大学などに出張教授をされておられると伺い
ホッとして居る所です。私など意味などよく判りませんが
良いものだなぁ~と言う事は体で感じます。
伝統美術、芸能は永遠に不滅であって欲しいですね。
saheiziさんはあらゆるものを吸収されるのですね。すごいな~・・
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saheizi-inokori at 2006-12-24 14:04
sakuraさん、能の凄さは完成された様式の美しさが何も知らない無骨な男の魂までズカッと鷲つかみにしてしまうところにあると思いました。
by saheizi-inokori
| 2006-12-22 22:52
| 能・芝居
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