現代日本の病根は?円空に聞いてみよう  梅原猛 「歓喜する円空」(新潮社)

円空は1654年に美濃の国に「まつばり子」として生まれた。「まつばる」という方言は「密かにへそくりを貯める」という意味、すなわち私生児だった。
父を知らず、母とも幼くして別れる。7歳の時に洪水で死んだという説もある。
若くして出家し33歳でスポンサーに死なれ傷心を抱いて下北半島、津軽半島、蝦夷地へ旅する。芭蕉の「奥の細道」に先立つこと24年、その旅は円空の方がはるかに厳しい。

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そのような生い立ちの円空の故郷に対する屈折した思いはその後の紆余曲折を経てこの世に対する無常観にもつながっていく。
その円空がどうしてあのような歓喜に満ちた笑顔の仏像を沢山作り得たのだろうか?


いまだ円空についてはアカデミックな研究の積み重ねが少なく民間の円空フアンによる研究調査が主体で、その生涯は謎に包まれた部分も多い。先週書いたようにいまや「体の中に円空が入っている」という梅原氏は精力的に既存の研究結果や日本全国の円空遺物にあたり”梅原=円空伝説”を書き上げる。

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円空は仏像だけではなく絵と和歌もよくした。
特に42歳の頃志摩片田で「大般若経」の見返しに描いた184枚の絵は棟方志功を思わせる。
いたずら好き故にかわざと順不同に描かれた絵の中に著者は円空の宗教観を探る。
ミステリのような楽しい部分でもある。

幼くして死別した母の成仏を祈る気持ちがそれまで女性と悪党は成仏しないと考えられていた仏教とは異なる円空の仏教観を創りあげる。さらにそれは貴族の仏教ではなく庶民の仏教でもあった。
阿弥陀仏の光背が消えて龍女が呪力をもって登場する。
白山の神に神託を受けたのが48歳、彼の創る仏像は愈々円空独特の歓喜像が現れる。
畑にいる農夫のような親しみを感じる仏様が刻まれる。

自ら予言していたように64歳で覚悟の入定をする。

著者はいう。

円空は神仏習合思想を復活し護法神をたくさん作り、仏法を護ることを願ったが、実際は国学が明治維新の思想となってしまった。
そこでの神は新しく作られた国家という神で、仏を滅ぼし、
仏とともに日本のいたるところにいた古き神々をも滅ぼしたのである。そしてその新しき国家という神もまた、戦後を境にして死んでしまったのである。こうして日本は世界の国々の中でほとんどただ一つの、少なくとも公的には神も仏も失った国となったのである。
神仏を殺した罪は大きい。いろいろな祟りが今、たとえば国の指導者である政治家や官僚の腐敗や青少年の恐るべき犯罪となって現れつつある。円空はこのような問題の根源がどこにあるかを像や歌で密かに語っているように思うのである。

白山や 神の御形の 馬なる賀(か) 口とり上げて 笑在す

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円空の和歌は雄大だ。白山を馬と見るだけではなくその馬にうちまたがる自身(?)までイメージをする。
そしてもうひとつ、遊びと笑いの精神が横溢している。白山という巨大な馬をヒヒーンと笑わせてしまう。

梅原氏が特に感動した歌。

老いぬれば 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)

円空がこの歌を作ったのは60歳頃。
80歳を越えた著者は書く。
そのような老人にも春があるのである。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊びなのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸術でなくして、どうして人を喜ばせることができようか。(略)・・
遊びと荘厳、それはふつう結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。
下の写真は小林一茶を版画にし続ける池田君(長野在住)の作品。円空より130年後に生まれた一茶の馬をみるまなざしはずっと接近する。一茶は65歳で死ぬが本人はまだまだ生き続けるつもりだったらしい。
Tracked from ~花まき日記~ at 2006-11-19 22:17
タイトル : 仏像展
東京国立博物館 平成館で開催されている『仏像展』に、おととい、行ってきました。 十一面観音菩薩立像・善女龍王立像・善財童子立像 聖観音菩薩立像 この2枚の写真の仏像は江戸時代の仏師『円空』作です。 この素朴さに魅かれました。 東京国立博物館 平成館 特別展 「仏像 一木にこめられた祈り」 2006年12月3日(日)まで。 開館時間 午前9時30分~午後5時 (入館は閉館の30分前まで) 休館日 月曜日... more
Commented by hanamaki3 at 2006-11-19 22:17
ああん? 
花まきブログに4つも同じTBを!
と思ったら全部違う記事のTBであった(笑)
んでは、花まきはこの記事だけにTBしますね~
Commented by saheizi-inokori at 2006-11-19 22:26
そうです。みんな違う。それだけ今円空なの!
Commented by きとら at 2006-11-19 22:31 x
 私は活字人間ですから円空も棟方志功も岡本太郎も解らないんですよ。(笑)
 
 梅原猛は好きではありません。私はアマチュアの古代史学徒ですから、梅原氏の古代史関係本には「?」です。
 
 しかし梅原猛『湖の伝説』は好きです。ずいぶん昔の本です。若くして骨腫瘍で亡くなった日本画家三橋節子を描いています。三橋節子の絵は解るんですよね。言葉の多い絵です。好きです。
 
 十年近く前、余呉湖に行きまして小さな民宿に泊まりました。居間に『三橋節子画集』があったので尋ねますと、私の泊まっている部屋で三橋さんが絶筆を描いた、とのことでした。いつか大津の三橋節子美術館に行ってみたいと思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2006-11-19 22:37
きとらさん、梅原さんもアマチュアみたいなところがありますよ。東大史学とは違うハチャメチャなところが。思い込みが激しくて文章も破格。
湖の伝説、は読んだのですが中身は忘れてしまいました。
名古屋にも彼女の美術館があって何度か行きました。
いいですね。
Commented by tona at 2006-11-20 08:28 x
以前柿本人麻呂や聖徳太子などの本を読んで以来ご無沙汰でした。
円空は不幸な出生と生い立ちだったのに歓喜像を作り、いつも遊びと笑いの精神を持ち続けていたことは驚異です。ここに書かれたことを知った上で、仏像を見てきます。
明治維新時に公的に神も仏も失った国となったというくだりは普段の疑問が解けたような気がします。
絵が何ともいえない味わいです。
Commented by hanabi_cyu at 2006-11-20 09:33
難しい本は、見ただけでアウト!
だけどね。さへいじさんが、わかりやすく書いてくれるから
“うんうん”て頷きながら一冊読んだ気になってます^^;

いじめ問題も“うんうん”て読みました。
その通りだと思います。
なんでも出せばいいとは、思えないし
出したらその先までケアをしてほしです。
このことについて語ると明日の朝まで長くなるのでここまでにします^^;
Commented by saheizi-inokori at 2006-11-20 10:55
tonaさん、絵は展覧会でてなかったです。
どうかしてほんものを見たいと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2006-11-20 10:57
hanabi_cyuさん、私の独断と偏見の文章です。その点ご注意の上読んでいただければ幸いです^^。
いじめの文章を下手にケアすると現場の報告業務などが増えてあまりいいことにならないかも。本当に大事な役に立つケアをしてくれるようならいいのですがね。
Commented by kazemachi-maigo at 2006-11-20 11:15
旅をすると、あらこんなところに?と思う場所で不意に円空に出くわすことがありました。
すると不思議に、私を待っていてくれたんだ、というような気になるんですね。
そういう田舎のおっちゃん的な親しみと、慈愛に満ちた仏の顔の両方を感じさせる人だと思っていました。
洗練と熟練を見につけた流麗な線のほとけさまも、それはそれで美しいですが、鉈彫りには作家の心をもっとダイレクトに伝えるものがあるようです。

偏見のある歴史観(笑)が好きなので、梅原氏のファンでもあります。
Commented by saheizi-inokori at 2006-11-20 14:21
kazemachi-maigoさん、仏像は何百年もの間多くの人の祈りや悲しみを聞いてきたのに静かに正対していると私のことだけを考えてくれているようにみえることがあります。
”私を待っていてくれたんだ”と感じるときですね。
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by saheizi-inokori | 2006-11-19 21:52 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(1) | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori