十一面観音菩薩立像(向源寺)の素晴らしさ 仏像展 (2)
2006年 11月 12日
7日から前回の目玉とも言うべき「菩薩半跏像」(宝菩提院願徳寺)が表題の十一面観音に替わっている。
十一面観音菩薩の最高峰とも言われる。
なんともいえないやさしさ、腰を少しひねった立ち姿がどちらから見ても完璧だ。
十一面観音菩薩について。
菩薩とは悟りをひらいて釈迦如来になる前の修行中の身だ。
そのうち既に修行は完成して次の世には如来になることが約束されているが、阿弥陀如来に付き従う観音菩薩。
その役割は「願いの声(音)を聞いて衆生をよく観て、苦難から救い出してくれる」。
多くの人々の願いに対応するためにいろいろな姿に変身する(変化観音)。
そのひとつが十一面観音菩薩だ。
頭頂の小さな仏さまは穏やかな顔の慈悲面、怒りの瞋怒面、牙を剥く狗牙上出面、怒りと笑いの混ざった暴悪大笑面、頂上は仏面となるのが普通だ。
観音さまの持つさまざまな力・性質を明らかにしている。
右の「宝誌和尚立像」(京都・西往寺、今回出展)は11世紀のものだが徳高き和尚の顔が二つに割れ十一面観音菩薩がいまや化現(ケゲン)、すなわちこの和尚の中に潜在する仏が現われでようとしている。
化現と言えば円空だ。
彼は朽ちかけた木っ端にすら仏は宿ると見て鑿をふるい仏を現そうとした。
円空の仏は怒っているはずの神将ですら笑みをたたえているように見える。
(写真は薬師如来・埼玉・薬王寺)
梅原猛「歓喜する円空」(新潮社)を半分ほど読んだ。
今年出版されたこの本の「はじめに」で「円空が自分(著者)の中に入ったのは2年程前のこと」、しかし今は「梅原生きるにあらず、円空わがうちにありて生きるなり」と書いている。
パウロがキリストについて語った「われ生きるにあらず、キリストわがうちにありて生きるなり」という言葉をもじって語る82歳の哲学者だ。
この本の中に泰澄(682~767)という大師が登場する。
白山信仰・神仏習合の先駆けであり行基とともに円空に決定的な影響を与えたという。
彼が「十一面観音式礼拝文」を表して十一面観音について信仰のあり方などを書いている。
その中に
十一面ノ請願ハ平等ノ法性ヲ観察シテ、瞋慈軟暴ノ相ヲ示シ給フ。或イハ大イニ顔(かんばせ)ヲ笑(よろこ)ハシメテ、善悪ノ衆生ヲ度シ、誓ッテ萬法ヲ一心ニ表ハス十一面観音は人間の性を深く観察し、人間を笑顔にさせると言っているのだ。
泰澄の十一面観音は頂上仏に如来、菩薩、明王を置く。
上記の普通の十一面観音(如来の下に位置する菩薩)とは違ってすべての仏を総合する仏なのだ。
その仏の本質は笑顔でもあるという。
俺が前回の記事で「円空仏は観るものをして笑顔にさせる、それこそ仏の本質か」みたいなことを言ったのはあながち的外れでもないようだ。
12月3日までの展覧会、もう一度行ってみよう。なんたってタダだもん。
湖北を訪ねるなら初冬と決めていた。 私のイメージの中にある余呉の湖(うみ)は、我慢を重ねた雪雲の下にあった。 そんな小説を読んだことがあったのか、はたまた夢で見た光景なのか、いまだ妄想の出所は不明のままだ。 高校生の頃からひとり旅をゆるしてくれた両親に、私はものすごく感謝していた。 友人たちからも羨ましいと言われた。 私は、大学生になっても、卒業してプータローとなっても、そういう恵まれた自分を自慢したいと思うとともに、ゆるしてくれた両親を誇る気持ちもあり、こまめに絵葉書を書いた。 ...... more
実は、少し前から拝見しておりました。
(読み逃げしておりました。失礼いたしました。)
実は、向源寺の十一面観音が、東京で展示されることを知らぬままに、拙ブログにこのほとけさまにまつわる想い出話をアップしました。
20年ぶりに再会したいような、いやしたくないようなフクザツな気持ちでおりましたところ、こちらの記事を拝見し、やはり見たいとの意を強くいたしました。
勝手ながら、TBもさせていただきましたので、ご了承ください。
大変な思い出のある仏さまだったのですね。でもいかにも十一面観音さまに似合う仕事でしたね。どれだけの方のそういう祈りを聴いてこられたのだしょうか、何事もないような慈しみの顔ですが。
仏像~~~いいですねぇ。
私は、先週東京におりましたが、殆ど物欲の塊と化しておりました(苦笑)
次回は、じぇったい!!美術館巡りをしようと心に誓うのでした(^▽^;)
今夏、札幌で鑑真和尚の彫刻や美しい仏像を眺めることが出来ましたが
あんまり観る機会はないのです(;へ:)
↑ 素朴で本当に良いお顔ですね~~~。
もう遅いのですが・・・「父親たちの星条旗」やっと観てきました♪
後姿の君です^^。
円空さんの仏さまに、会いたくて、あいたくて、明日やっと行けそうです。
三十代のころ、円空さんの仏さまに恋をして、あちこち拝顔して歩きました。 しばらくお目にかからなかったので、早く行きたくてそわそわしています。明日は、一番に行ってゆっくり拝顔します。
saheiziさんが、書いてくださったので予備知識ができました。
僕もこれは行きたいと思ってるんです。
僕の先輩で、引退されてから仏教関係の大学に
仏教学専攻で大学院に行かれた方がいて
仏像の楽しさを教えていただいたことがありました。
先日、その方からこれを知らせてはいただいてました。
私も大好きな地蔵には、熱海で出会いました。
明日、上野に行ってきます。渡岸寺の十一面観音、とても見たかったのです。こういうときは会いたいと言うべきかしら。
円空にはまられたお気持ち、なんとなくわかりました。
私は、もう一体、お気に入りの方に出会ってしまいました。
律するような奥深い目で見つめられ、ちょっと遠のくと、目を伏せたようになられるのです。阿弥陀寺の薬師如来様。
「また会いにきます」と約束しました。
円空の薬師如来もいいでしょう?脇の日光・月光と三人の笑顔の三重奏が素晴らしいです。
これです。これから行かれる方におすすめです。http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/index.htm