戦争の現実と幻想 使命感のない権力者たち 「硫黄島の星条旗」 ②

硫黄島で擂り鉢山の頂上に国旗を掲揚する6人の写真は実は二回目の掲揚だった。上陸4日目。

最初の掲揚のときはいつ日本兵が襲ってくるかと決死の覚悟だったが掲揚後に日本兵数名の殺戮はあったものの、全体としては平穏に掲揚できたのだ。
一部始終をみていた海軍長官の「記念に自分にその旗をくれ」と言う伝言に接し、大隊長は「ふざけんな」と言う。大隊の記念にすべきものだ。

そこで出来るだけ早く件の旗を確保しようと代わりにより大きな旗を〈遠くからも見えるように)掲揚させることにする。
そのときの様子が偶然あのような美しい感動的な写真になった。
撮影した新聞記者(この写真でピューリツアー賞をとる)も殆ど無意識で撮った写真の一枚だ。

戦争の現実と幻想 使命感のない権力者たち 「硫黄島の星条旗」 ②_e0016828_8145926.jpg
AP通信に送られた多くのフイルムの中からこの写真が選び出されるまでには何回もボツになる可能性があったけれど、写真がアメリカ全土に巻き起こした感動は凄まじかった。
それまでの厭戦気分はすっかり吹き飛んだ。
この国旗掲揚は弾丸雨あられと飛び交う中での必死の英雄的行為でなければならずこれをもって硫黄島の戦いは収束に向かったとみなされる。
神話がつくり上げられたのだ。
現実には凄惨な戦いはその後1ヶ月以上続くのだが。

国旗掲揚に携わった6人のうち3人は戦死、生還した3人はヒーローとして狂騒的歓迎を受ける。
戦費を賄うための国債募集キャンペーンに全国を巡回させられる。
ある会場で3人の一人、ジョン・ブラッドリー(著者の父親)がマイクの前に進み出て言う。
「戦闘中の前線にいる兵たちには、どうしても必要としている補給物資の購入のために国債を売る集会の必要性など理解できません。国債を買う人はただ、もうかるから金を貸してくれといわれますが、戦っている人間は命をくれといわれているのです」
このキャンペーンの結果国債は目標額の2倍、263億ドルが買われた。
年収1700ドルで4人家族が楽に暮らせる頃、アメリカ人は一人当たり200ドル近い国債を買ったのだ。
著者がこの数字を財務省の役人に確認したとき役人はしばしの沈黙のあと
「当時のアメリカ人は、ひとつになっていたんですね」と明快にいったそうだ。

3人のその後の人生が狂い始める。
2人はその狂気の中で日常を取り戻すことが出来ないまま若死にをする。
ただひとりジョン・ブラッドリーが大きな葬儀会館を経営し地域のリーダーとして多くの家族を育て”よきアメリカ市民”としての人生を全うする。著者の父親だ。

彼は絶え間ないマスコミや作家たちなどの攻勢にも対応せず硫黄島のことを語るのを嫌がった。
海軍殊勲賞を貰っていたことも家族に話していなかった。
新婚当時何年も夜すすり泣いているのを妻は知っているけれど。

著者が9歳のとき学校でアメリカ史の教科書にあの写真が出てきた。
著者は帰宅して、父に「パパはヒーローだったんだね。先生が学校で話をしてほしいんだって」
という。
父は「何かも忘れてしまった」と学校での話を拒否する。そして”私の目をまっすぐ見て、ある考えを生涯忘れないように私の脳に埋め込みたいという信号を送ってよこした”後に
「ずっと忘れないでいてもらいたいことがあるんだ。硫黄島のヒーローたちは、帰ってこなかった連中だ」
と、それだけを語った。

戦争の現実と幻想 使命感のない権力者たち 「硫黄島の星条旗」 ②_e0016828_8162956.jpg
6人の生い立ち、訓練、硫黄島の地獄体験、3人の戦死、生還した3人の数奇な人生・・。
当たり前の感想だが
勝った側も負けた側も、死ぬのは若者、悲しむのはその家族、戦争を起こした人間たちは勝利の栄光(勝てば、だ。負けても責任は負わないが)を我が物として経済的・政治的利益もついでに遠慮なく頂いていく。

硫黄島、沖縄、広島、長崎、、飲酒運転だの苛めだので世界がひっくり返ったような騒ぎをしている人たちは想像するだけで発狂するような(まあ、そんな想像力がないから無事これ平安な人生を送っているのだが)地獄図絵は当時の権力者が自らを捨ててエリートとしての使命を果たせば避けられたはずだ。
若者の特攻精神を褒めるなら彼らエリートは戦争続行を画すものたちを必殺の気合を持って封じ込めるべきであった。
知的衰弱、使命に対する無責任、不作為の罪、東京裁判よりはるかに痛烈な判決が下されるべきであった。

スミヤキストさんが「戦争絶滅請負法案」を紹介されている。
その記事にもあるとおりリーダーたちに使命感・覚悟がないことが”美しくない国”を現前している。
危うい口舌の徒の跋扈する日本になってしまった。淵源は戦争の責任の取り方にあるのかもしれない。
この本をもとにした映画「父親たちの星条旗」が今日から上映される。
観にいくつもりだ。

写真、上は「韓国民族村」、古代の帆掛け舟。下は「宋廟市民公園」にあった、「月南李商在先生」という像。1927年の「新幹会」会長になるが一ヶ月で亡くなった。
朝鮮独立を目指し後の3・1運動に影響を与えた、というが勉強不足で詳しくは不知だ。
Commented by みい at 2006-10-28 09:52 x
おはようございます。
「父親たちの星条旗」私も観にいくつもりです。
Commented by hanabi_cyu at 2006-10-28 10:15
うゎ~~!!
ちょっとソウルに行ってきます~って私も言ってみたいです~☆
私もここで ソウル観光をさせていただきました^^♪
トイレと鮮やかに写ってるビビンバが、印象的です~
気分は、ビバ!ソウル~~~(*^0^*)/~~~"".:*:・☆.:*:・'゜'・
Commented by antsuan at 2006-10-28 10:46
 ノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)、「武士道」に繋がるこの言葉は今や完全に捨て去られてしまった感があります。戦争にあれこれ言う為政者は車馬賃を与えるから戦場に来いと言う古代ローマだかギリシャの闘士の言葉をマッカーサー元帥は執務室に掲げていたそうです。生意気ですが私もそういう義務感を持って自衛隊に志願しました。武士道を会得していない政治家及び官僚は、戦争はもちろんのこと平和についても論じる資格は無いと思います。
 映画についてはイーストウッドがどういう戦争観を持って監督したのか興味はあります。
Commented by sakura at 2006-10-28 11:30 x
戦争に勝った側も負けた側も、死ぬのは若者、悲しむのはその家族.
本当にそうですね。saheiziさんは文章が本当にお上手で、
胸に ジンっときました。良いお話有難う御座いました。
Commented by rin rin at 2006-10-28 12:18 x
祖母のお通夜の日、叔父が広島で被爆したときの話をしてくれました。主人の父方はほとんど被爆者です。終戦から50年も経ってから、初めて話す。と言って聞かせてくれましたが、それは、体験した人が話す重みで私などが聞いて誰かに聞かせる気にもならないくらい、聞くほうも覚悟のいるものでした。
何もかも忘れてしまった。と言う言葉は戦争を体験した方にしか解らない事なんでしょうね。
Commented by gakis-room at 2006-10-28 18:41
李商在(1850-1927)について。朝鮮王朝末期に改革派官僚として活躍。外圧の強大化に抗して独立協会(1896)の設立に参加,副会長に就任。1998年,守旧派政府の弾圧により逮捕される。その後,拘禁と復権を繰り返したが,1905年に官界を引退。

その後は青年運動,教育運動に携わり,YMCA宗教部総務兼教育部長。日本の植民地時代には民立大学期成会を組織した。1924年には経営難に陥っていた朝鮮日報社の第4代社長に就任。以降,朝鮮日報は左派民族主義の牙城となった。1927年1月,民族主義者から社会主義者を連ねた新幹会が組織されると彼は初代会長に選出されたが,同年3月に急死。全国各地で追悼会が行われたという。
Commented by きとら at 2006-10-28 22:41 x
 佐平次さん、こんばんは。
 硫黄島のヒーロー達は不幸な人生を送った、とどこかで断片的には読んだ記憶があります。ベトナム帰還兵のようなものですね。

>知的衰弱、使命に対する無責任、不作為の罪、東京裁判よりはるかに痛烈な判決が下されるべきであった。
 
 十五年戦争の総括、まだまだですね。逆に、自存自衛論が力を得つつあります。
 『散るぞ悲しき』を読む気がしないのは、もしかしてこの本も・・・という危惧があるからです。
 
 知的衰弱、使命に対する無責任は今の政治家・官僚にも見られます。
 「総責任」というわけではありませんが、私達にも当てはまる部分がありますね。使命を考えるどころか、生活防衛に追われてしまってます。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:03
みいさん、二部作ですってね。後の方が栗林将軍。そうとは知らずに二冊とも読んだのが不思議です。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:07
hanabi_cyuさん、でもほんとに近いですね。博多に行くのと変わらない。帰ると直ぐに行きたくなります。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:10
antsuanさん、使命感などというと古臭いようですがどんな時代でもそういう人物がいなければならないと思います。国レベルのみでなく企業、地域、学校・・いろんなところに必要なものは使命感を持っている人物だと思って生きてきました。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:11
sakuraさん、過分のお言葉痛み入ります。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:15
rinrinさん、そんな体験を罪のない市民に強いて自らはのうのうと生きてきた人々が許せないと思います。
人より早く偉くなり尊敬され重要な職務につく人たちはそういう処遇に伴う責任をもきちんと果たすべきだと思います。
それがエリート=選ばれて使命を果たすべき人、の意味だと思うのです。
それがアイマイになったから今のようないい加減な連中が大きな顔をするようになってしまった。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:17
gakisさん、ありがとうございます。この像があることが老人たちに公園に来たいと言う気持ちをかきたてることもあるのでしょうかね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-10-29 16:20
きとらさん、rinrinさんへの返信にも書いたように、戦争時の”エリートたち”の責任の所在をはっきりさせなかったことが今の日本に影を落としていると思えてなりません。みんなでわたれば怖くない、ですか。
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by saheizi-inokori | 2006-10-28 08:53 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(14)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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