俺も参加したいよ! カレン・ジョイ・ファウラー「ジエィン・オースティンの読書会」(白水社)
2006年 10月 15日
私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンをもっている。最年長・67歳のバーナデットのオースティンは”喜劇の天才”、シェイクスピアとは大違い。シェイクスピアのジョークはシェイクスピアだから笑わなければならないような気がして、笑うだけなのだが、オースティンは今読んでも可笑しい。
つい先日、彼女はもう身なりにかまうのはやめたわ、と宣言した。
「鏡を見ないことにしたのよ。もっと前に思いついていればよかったのにねえ・・」二回目の読書会にバーナデットは
砂漠の遊牧民風の服を着ているが、ただその色は鮮やかな青紫だった。髪を切ってすっきりしたので、なかなか素敵に見えた。鏡なしでこの魔法を成し遂げたというのは脅威だった。”私たち”という不思議な語り手が皮肉とユーモア(これは登場人物に負うのだが)で語る愉快な小説。
ローデシア・ブリッジバッグのブリーダーであるジョスリンのオースティンは、恋愛と求婚についての素晴らしい小説を書いたのに、生涯結婚しなかった人だ。
11歳のときから50を越す今まで親友として付き合ってきたシルヴィア(司書)が32年間連れ添ったダニエルと離婚することに胸を痛めて読書会を提案したのかもしれない。メンバーも彼女が決めた、なぜかグリッグと言う妙な名前の40チョイの男性を誘って。
シルヴィアの娘、アレグラははっとするような美人だが必要以上に自分がレズビアンであることを公言する。目下”恋人”と喧嘩別れになりそう。
器用な手先とセンスを生かしてアクセサリーを作っている。
ただひとりの(もう直ぐ離婚するシルヴィアを勘定に入れなければ)既婚者・ブルーディーは27歳、フランス語を会話に混ぜる癖が”私たちの”気になる高校教師、母親のつてで入っているアレグラとは違い”筋金入りのオースティン愛好者”だ。
色気づいた生徒にどぎまぎするが夫をこよなく愛している。
オースティンの遺した6編の小説を毎月ひとつづつメンバーの家を回り持ちで会場にして語り合う。それぞれの家庭やもてなしの様子も楽しい。
小説についてのメンバーの会話、オースティンフアンはさぞかし、と思うが、
オースティン知らずの俺にも面白い(著者はオースティンを読んでことのない読者も想定して書いた由)。
メンバーそれぞれの個性、人生経験、今の状況が一言ひと言に活きている。
月ごとの読書会の様子と平行してメンバーの過去と現在の物語が語られていく。
メンバーの生い立ち、現在進行形の男女の別れと出会い、仕事、ホーム・コメデイのようなドタバタ・・
ドラマッティック・ちょっと変わった人たち。
でも”変ってない人””ドラマティックではない人”ってあるのだろうか?
同じ人間や人生なんてどこにもない。人の数だけ個性と人生がある。
その意味では”フツー”のお隣さんたちかもしれない。
小説の後半にいたって急激にドラマは盛り上がる。
難を言えば少し安易かな?と思うくらいに盛り上がって大団円。
温かい、いい気持ちが残る。
アトランダムに気に入ったセリフや文章を
「ジエイン(オースティンをこのように気安く呼ぶことについて”私たち”はいい気持ちではない)が言ってることの半分はアイロニーよ。アイロニーは二つのことを同時に言う手段なのよ。」(ブルーディのセリフ)オースティンを読まなくちゃあ!
私たちも、ほとんど母親を亡くしている。みんなが自分の母親を思い出していた。西の空に太陽がばら色に輝いている。木々はいっぱいに葉を繁らせている。大気は明るく爽やかで、芝生とコーヒーと溶けたブリーチーズの香りが漂っていた。母たちが生きていれば、どんなに喜んだだろう!(グリッグの家の読書会で母を亡くして欠席したブルーディのことを話題にしたとき)
(ジョスリンのアドバイスでいなくなったダニエルの嫌いだったことのリストを作ろうとしたシルヴィアだが)いざそれをしようとすると、嫌いだったと思っていたことが実は好きだったのだと気づかされる結果ばかりになってしまった。
「私はね、人はみんな、自分で勝ち取った以上の評価をしてもらうべきだと思うの。変な言い方だけど」シルヴィアが言った。「世間はもっと寛容になってほしいものだわ。ディック・マスグローヴ(『説得』の登場人物)がかわいそうよ。誰も値打ち以上に愛してあげなかったんですもの」。
(矢島尚子訳)
by saheizi-inokori
| 2006-10-15 20:39
| 今週の1冊、又は2・3冊
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