無残にひろがる郊外の風景が生み出す思想は?   姜尚中&中島岳志の問題提起

昨日の毎日夕刊で中島岳志(「中村屋のボース」の著者)と姜尚中が対談をしている。
月一回の「中島岳志的 アジア対談」、今回は「郷土愛とナショナリズム」と題して面白い。

二人が共通していうのは「愛郷心と愛国心を簡単につなぐことが、いかにイデオロギー的か」ということ。

たしかに「日本」という概念自体、7世紀(飛鳥浄御原令・689年が多数説)からであって、それですら列島全体を覆う国家ではなかった。列島西部、ヤマトを中心とする北部九州、四国、本州西部を基盤とし、異質な文化圏である中部、関東、東北南部を組み入れたに過ぎない。
南九州以南、東北北部以北はその中に入っていなかったのだ。
北海道や沖縄を含んだ日本は19世紀半ば以降のことである。
日本は「単一民族・単一国家」などというのは事実に反し”神話”といっても良い。
むしろ列島は日本海を内海とするアジア大陸東辺の架け橋であって「孤立した島国」というのは当たらない。
地図をよく見ればそのことはよく分かる。
そして海が本来国境という概念に馴染まないばかりか逆に大陸と島々を結ぶ役割を果たしてきたことも見て取れる。
こういうことを実証的に解き明かしているのが網野善彦である。(「『日本』とは何か」・講談社)
そう考えれば人が生まれ育った古里に対して感じる”愛郷”の念が制度的に作られてきた国に対する”愛国”の念に当然結びつくとはいえないと思う。
もっとも俺は対談で触れられている二人の書物を読んでいないからそういう意味で言っているのかどうかは分からないのではあるが。

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姜 「近代国家ができる過程には、ネーションに抗するパトリア〈郷土〉の力がいっぱいあったと思います。その力が今後、グローバリズムに対抗して、また出てくるんじゃないか。その意味で、地域の動きをもう少し思想化すべきです。すると、九州は必ずアジアとつながります。」
この後二人は橋川文三を再評価すべきだという。
橋川文三の「超国家主義」とは言葉どおり国家を超える・国境のない世界を提起しているという中島。
そして
姜 「保守といわれる人たちのさまざまな層を掘り起こすべきではないか。それと最近、戦後日本のリベラル・左翼の失敗のひとつが、愛国・憂国を一部の人の専売特許にしたことではなかったかと思っています。」
中島 「今、非常に軽薄なナショナリズムがはやっていることが恐ろしい。安倍晋三氏の『美しい国へ』を読んで、何でもかんでもナショナリズムに回収させる単純な議論に頭を抱えました。「美しい」というが、彼の美意識は全然見えない。なのに、それが社会の空気を作っています。」
姜 「実質的なものは受け入れられず、空虚なほど熱狂できる。ひょっとして、今の日本に深い思想はいらないのかと思います。」
さらに二人は若者の一部に血盟団に通じるような危険性を見る。中島が
「彼らは自我の問いを突き詰め、究極の暴力と宗教的ナショナリズムに行き着いた。」
というのに姜は
「都市郊外の無残な風景の中で育った人が、自分の古里を幻想的な体験として作り出したような、唯脳論的な感じがしますね。」
と受けてそのような郊外は韓国・中国・インド・・アジア全土に拡がっていると指摘する。
中島 「でも、この状況をただ嘆くんじゃなく、そこで何かを考えないといけない。アジアという空間でアイデンティティーを問う、小泉氏が投げ捨てたねばり強い思考、あるいはエートスとつながる何かヌラヌラしたもの。それをあきらめず、格闘するのが大事なんです。」
姜 「アジアの郊外が、どんな思想を生み出すか。ジャンプして突き抜けるナショナリズムやスピリチュアリティーかもしれない。あるいは、ある種のアジア主義かもしれない。ただ、「美しい国」でないことだけは確かだと思いますね。」
対談の前半で強調された”愛郷”の対象たるべき古里が都市郊外の荒涼たる風景には求め得ないということだろうか。

日本=東京みたいな様相、その東京のまた一握りの富裕層と権力者がすなわち日本そのものであるかのような今。
そう信じて疑わないかのような東京偏重の報道姿勢を取り続けるマスコミ。
そのくせ、その東京に若者を引っ張っていく価値観や思想・文化の力が不足していると思う。
つまらないことのようだがお祭りひとつとってもネブタに阿波踊りにサンバ・・浅草・神田など旧都心部の江戸文化を承継しているところを除けば地方のお祭りを借りてきて間に合わす次第だ。

生還の希望の無い硫黄島に出兵した16歳の少年兵たちは夕方軍歌に飽きると「夕空晴れて秋風吹き」〈故郷の空)を歌ったという。
毎日いろんな方のブログを拝見していると各地の美しい草花や小鳥、光景がみられる。
秋の稔りの田、色づく里山、ススキの繁る土の道・・俺の原風景だ。
そこには美しい景色という以上の、俺にとっての特別な何かがある。
かけがえのない何かがある。
それらの風景に結びついた記憶が今の俺を作っている。

一見小奇麗で機能的につくり上げられた・置き換え可能な都市郊外の風景はそこに育つ子供たちにどんな原風景となるのだろうか?

もし、遠きにありて思いをはせる「故郷」の父母や野山が無いとしたら、たしかに”幻想的・唯脳的な”(ときにイデオロギッシュな)国家にすがるしかないかも知れない。
故郷の光景は実体として見ることが出来るが「国家」なるものはこの目で見ることはできない。
精々「日の丸」とか「君が代」に象徴されたものとして感じるのみだ。

希望格差社会にあって希望すらなくなった青年たちが郊外に育つことで心の古里を失い、アイデンティティの危機に陥ったあげくに新興宗教に救いを求め、暴力に快感を覚えて、辛うじて生きていくという図式は決して想像の世界のことではないようだ。
Commented by きとら at 2006-09-26 23:28
 『論座』今月号の、「『美しい国へ』を読む」の、中島岳志「すべてをナショナリズムに回収させる論理的飛躍」を読みました。内容は表題通りです。もともと『美しい国へ』に内容はありません。空虚ですがムードだけはあります。甚だ危険なムードです。
 
 ニュータウンに住んで茶髪でナショナリズムもないものだと我々は考えますが、彼らにも空虚感はあるのでしょうね。だから何かを求める。それに旧世代は応え得ていない。
 
 私のブログのコメントをご覧下さい。斬られました。(笑)
Commented by サプリ at 2006-09-28 00:08
アミノ酸についてのブログを書き出し始めました
トラックバックフリーにしてあるので
よかったらいっぱいトラックバックして絡んでください
Commented by suiryutei at 2006-09-28 00:22
こんばんは。
このお二人が橋川文三を再評価すべきだと言っているんですね。今晩(もう28日ですから)飲む約束をしている人は、かつて明治大学で橋川文三ゼミで学んだ人。彼にこのブログを読ませたいです。喜ぶだろうなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-28 09:29
suiryuteiさん、わが叔父は橋川とは親友でした。叔父の家で何回か橋川に会いました。穏やかな人でした。
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by saheizi-inokori | 2006-09-26 22:34 | よしなしごと | Trackback(5) | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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