キツツキ対梟 こずかたに火花散る恋の鞘当て (盛岡散歩 ②)
2006年 09月 23日
教養を身につけようとすると腹も減る。
市内に戻るタクシー(580円)の運転手さんがオススメの店。
宮澤賢治の童話に出てくるような古い店。4つの木製のテーブルに教会にありそうな長椅子。
350円のもりそば。悪くない。俺の前に座ったおばさんは中華そばのモリを。
お客様もみんな地元、賢治ワールドだ。
店を出ると「寺の下寺院群地区」といって古いお寺が並ぶ。
なんとなく”感じがある”豆腐屋、ちょいと昔なら迷わず入って行って試食したところだが。
旧第90銀行の建物を使った「もりおか啄木・賢治青春館」も覗いてみる。
啄木21歳のときに盛岡中学校友会雑誌に寄稿した文章。啄木が盛岡で”日本一の代用教員”になろうと頑張っていた頃だ。
携帯の電池が切れそうなのでドコモショップを探して充電、店の盛岡美人が俺をじっと見つめている。えっ?何で?何かの間違い?
「かわいい!」きゃあ、ドーユーこったい!
ピンバッチだった。汐を吹く鯨のピンバッチをしていたのだ。それがお目にとまったというわけ。
俺の錯覚、早とちりでした。メンボク、トウヘンボクもない。
教養を身につけ啄木の早熟な恋愛を学んで少々・・
ホラ、西部劇を見るとジョン・ウエインになったように感じるでしょ。それよそれ。
市内に戻るタクシー(580円)の運転手さんがオススメの店。
宮澤賢治の童話に出てくるような古い店。4つの木製のテーブルに教会にありそうな長椅子。
350円のもりそば。悪くない。俺の前に座ったおばさんは中華そばのモリを。
お客様もみんな地元、賢治ワールドだ。
店を出ると「寺の下寺院群地区」といって古いお寺が並ぶ。
なんとなく”感じがある”豆腐屋、ちょいと昔なら迷わず入って行って試食したところだが。
旧第90銀行の建物を使った「もりおか啄木・賢治青春館」も覗いてみる。
啄木21歳のときに盛岡中学校友会雑誌に寄稿した文章。啄木が盛岡で”日本一の代用教員”になろうと頑張っていた頃だ。
どうか、諸君、諸君は伴食大臣よりも代用教員の方が豪いと感じないか。(略)どうか壊れた時計になってくれるな。今頃、”壊れた時計になりたい症候群”の皆さんがシノギを削っているんだろうなあ。
携帯の電池が切れそうなのでドコモショップを探して充電、店の盛岡美人が俺をじっと見つめている。えっ?何で?何かの間違い?
「かわいい!」きゃあ、ドーユーこったい!
ピンバッチだった。汐を吹く鯨のピンバッチをしていたのだ。それがお目にとまったというわけ。
俺の錯覚、早とちりでした。メンボク、トウヘンボクもない。
教養を身につけ啄木の早熟な恋愛を学んで少々・・
ホラ、西部劇を見るとジョン・ウエインになったように感じるでしょ。それよそれ。
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hanamaki3 at 2006-09-23 14:25
ホントにかわいい佐平次さん、ピンパッチは梟ではなかったの?
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saheizi-inokori at 2006-09-23 19:51
そういえば梟のバッジはもっていなかった。これはしたり!私としたことが。
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poralis
at 2006-09-24 10:37
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saheiziさんおはようございます「キツツキ対梟」面白い対決ですね。
こんなのは、どうかしら・・・・・・友人の看護師を勤務先の医院に訪ねた時のこと、待合室で待つ間キョロキョロ・・・受付カウンターに『梟の花瓶とペンたて』見上げれば『梟の時計』壁には『梟のいる風景画』どれも可愛くてほほえましい、ああ、この医院のマークふくろうだったと納得。
ところが、友人に診察室に連れていかれてビックリ!
診察机の上には、5ミリぐらいから20センチほどの梟の置物がぎっしり置かれ、数え切れないほど、窓際にはさらに30センチ以上のがずらりと並べてある。友人は「医院に来た人が持ってきたのが、積もりつもっていっぱいになってしまった」と笑った。
「先生ってふくろうみたいな感じの人」?と聞くと、友人は即座に「キツツキみたい」と言った。この対決はいかが?
こんなのは、どうかしら・・・・・・友人の看護師を勤務先の医院に訪ねた時のこと、待合室で待つ間キョロキョロ・・・受付カウンターに『梟の花瓶とペンたて』見上げれば『梟の時計』壁には『梟のいる風景画』どれも可愛くてほほえましい、ああ、この医院のマークふくろうだったと納得。
ところが、友人に診察室に連れていかれてビックリ!
診察机の上には、5ミリぐらいから20センチほどの梟の置物がぎっしり置かれ、数え切れないほど、窓際にはさらに30センチ以上のがずらりと並べてある。友人は「医院に来た人が持ってきたのが、積もりつもっていっぱいになってしまった」と笑った。
「先生ってふくろうみたいな感じの人」?と聞くと、友人は即座に「キツツキみたい」と言った。この対決はいかが?
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saheizi-inokori at 2006-09-24 11:02
poralisさん、それは風貌なのかな?まさかアチコチつつく?
ホントにそういう目で見るせいか梟、人気ですね。はじめは喜んで写真に撮っていましたが今は全店梟みたいなのもあって撮りきれません。
なぜ、河童は人気がないのでしょうかね?少し応援してやろうかと思うけどあまりいないのです。
ホントにそういう目で見るせいか梟、人気ですね。はじめは喜んで写真に撮っていましたが今は全店梟みたいなのもあって撮りきれません。
なぜ、河童は人気がないのでしょうかね?少し応援してやろうかと思うけどあまりいないのです。
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散歩好き
at 2006-09-26 22:20
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小生は紀野一義氏の本をよく読み宮沢賢治と法華経のつながりを知りました。自未得度先渡他の精神を徹底した人でした。自分の幸せより他人の幸せをを実践した人でした。日本人の精神の根底にこの思想が残っていたのではないのではと思います。栗林中将の項にも通じると思います。
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saheizi-inokori at 2006-09-26 22:51
散歩好きさん、賢治の仏教との関わりを書いた本も読もうと買ってあるのですが、まだ手が廻りません。
賢治とか栗林には”気高さ”というもの、それは利他の心に見られると私は思うのですが、を感じます。
硫黄島で栗林の指揮の下、最後まで戦い抜いた兵士たちにも。
しかし、当時においてもすでにエリートといわれる人たちの多くは保身に走り庶民の苦労などは省みない有様だったのではないかと疑います。
本来のエリートの意味はまさに人よりも利他の精神を実行できる”選ばれた”民ということだったはずですが。現代のエセエリートに至っては論外です。
賢治とか栗林には”気高さ”というもの、それは利他の心に見られると私は思うのですが、を感じます。
硫黄島で栗林の指揮の下、最後まで戦い抜いた兵士たちにも。
しかし、当時においてもすでにエリートといわれる人たちの多くは保身に走り庶民の苦労などは省みない有様だったのではないかと疑います。
本来のエリートの意味はまさに人よりも利他の精神を実行できる”選ばれた”民ということだったはずですが。現代のエセエリートに至っては論外です。
by saheizi-inokori
| 2006-09-23 13:13
| こんなところがあったよ
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