萬、松本、舟越、、岩手県立美術館は一見も二見も価値あり(盛岡散歩 ①)
2006年 09月 23日
「岩手公園」というネーミング、考えてみると面白い。「盛岡城公園」とか「こずかた公園」じゃないのだ。「東京公園」とか「神奈川公園」はない(よね?)。
夜、パーテイ会場を抜け出して街にさまよい出ようと思ったが部屋に戻ったら急に疲れたような気がして早寝をした。充実しているといえば言えないことはないが6時間近くみっちり講演やら挨拶やらナンやら、その後立食では俺にはきつい。
早寝が効を奏して快晴の盛岡を歩く元気がみなぎっている。
前に取り上げた田中淳の「画家がいる場所」に登場した萬鐵五郎、松本竣介などの作品があるという県立美術館へ。
素敵な建物だ(日本設計)。
入って直ぐに目を奪われる二階への通路、実際は手前からエレベーターであがった。
右は常設展示室の新たに収蔵された深澤紅子「小さな帽子」ゆったりした展示室。写真はフラッシュは禁止だが携帯でとるのはお構いなしのようだ。
萬鐵五郎展示室へ。15歳の頃(1900年)に描いた「栗」、ゴッホの影響が見られる「女の顔(ボアの女)」(1912)
上記の本にも書いてあったが萬の絵は年代により、制作した場所により変化する。左は東京時代に描いた「雲のある自画像」(12~13)、岩手において自らを追い詰めていった萬は神経衰弱と肺結核になる。
転地療法のために移住した茅ヶ崎は、作風をも大きく変える。
右は「地震の印象」(24)関東大震災の印象が軽妙・ユーモラスに描かれる。田中は海辺の砂浜の”柔らかさに抵抗するのではなく、むしろ砂のように、自然、風土、それと人体を、多様、多彩に表現しようとしたといえる”と書いている。41歳で亡くなる萬は後期印象主義、表現主義、キュビズムなどさまざまな西欧の「近代」と対峙し(現地・現物を見るのではなく雑誌やカタログを通じて知るのだが)、しかも追従するのではなく主体的に受けとめていこうとした。”これは、日本の「近代」のひとつの在り方を示したものではなかったか”とも田中は言う。
盛岡中学の同期生だった松本竣介と舟越保武は親友でもあった。ここには二人の名前の展示室がある。
36歳で亡くなる松本が子供を得て父親としての強い意志を明らかにした「序説」(39)、中学時代に聴覚をうしなった松本の絵はどれもやさしさの中に靭く、貫く深さを感じさせる。
舟越は89歳という長寿を全うした彫刻家。76歳、脳梗塞で右手が麻痺すると左手で制作を続ける。松本と相通ずる深い、静かな精神性を感じる。
大理石、それも普通のものと、より肌理の粗い紅霰と呼ばれるもの、砂岩、これも諫早石というもの、、石の特徴と対話するかのように彫り方を変えている。
右は「原の城」(71)、クリスチャンの舟越が島原の乱の舞台・原の城址を訪れて現実と幻想の間を浮遊する兵士のイメージを得る。
美術館の外は気持ちの良い緑が広がる。盛岡市中央公園は岩手山の前景であるかのようだ。小さな子供をつれた奥様たちがノンビリと話している。
”コマザワンヌ”とはいささか趣が違って、俺はこっちの方が良いなあ。
隣接して「盛岡市先人記念館」新渡戸稲造、米内光政、金田一京助を中心に郷土の偉人130人の生涯・資料・業績を紹介している。
さらに少し歩くと「子供の科学館」があって「盛岡市遺跡の学び館」がある。
「遺跡の・・」に入ってみる。どこも身体障害者は無料というのがウレピイ。
北上川、中津川、雫石川、三つの川が合する肥沃の地には縄文時代から村落が営まれていた。
発掘された土器がたくさん飾られてある。
いやはや半日の逍遙で教養が身につき・・はしません。でも、心が遊んで伸び伸びしましたよ。
夜、パーテイ会場を抜け出して街にさまよい出ようと思ったが部屋に戻ったら急に疲れたような気がして早寝をした。充実しているといえば言えないことはないが6時間近くみっちり講演やら挨拶やらナンやら、その後立食では俺にはきつい。
早寝が効を奏して快晴の盛岡を歩く元気がみなぎっている。
前に取り上げた田中淳の「画家がいる場所」に登場した萬鐵五郎、松本竣介などの作品があるという県立美術館へ。
素敵な建物だ(日本設計)。
入って直ぐに目を奪われる二階への通路、実際は手前からエレベーターであがった。
右は常設展示室の新たに収蔵された深澤紅子「小さな帽子」ゆったりした展示室。写真はフラッシュは禁止だが携帯でとるのはお構いなしのようだ。
萬鐵五郎展示室へ。15歳の頃(1900年)に描いた「栗」、ゴッホの影響が見られる「女の顔(ボアの女)」(1912)
上記の本にも書いてあったが萬の絵は年代により、制作した場所により変化する。左は東京時代に描いた「雲のある自画像」(12~13)、岩手において自らを追い詰めていった萬は神経衰弱と肺結核になる。
転地療法のために移住した茅ヶ崎は、作風をも大きく変える。
右は「地震の印象」(24)関東大震災の印象が軽妙・ユーモラスに描かれる。田中は海辺の砂浜の”柔らかさに抵抗するのではなく、むしろ砂のように、自然、風土、それと人体を、多様、多彩に表現しようとしたといえる”と書いている。41歳で亡くなる萬は後期印象主義、表現主義、キュビズムなどさまざまな西欧の「近代」と対峙し(現地・現物を見るのではなく雑誌やカタログを通じて知るのだが)、しかも追従するのではなく主体的に受けとめていこうとした。”これは、日本の「近代」のひとつの在り方を示したものではなかったか”とも田中は言う。
盛岡中学の同期生だった松本竣介と舟越保武は親友でもあった。ここには二人の名前の展示室がある。
36歳で亡くなる松本が子供を得て父親としての強い意志を明らかにした「序説」(39)、中学時代に聴覚をうしなった松本の絵はどれもやさしさの中に靭く、貫く深さを感じさせる。
舟越は89歳という長寿を全うした彫刻家。76歳、脳梗塞で右手が麻痺すると左手で制作を続ける。松本と相通ずる深い、静かな精神性を感じる。
大理石、それも普通のものと、より肌理の粗い紅霰と呼ばれるもの、砂岩、これも諫早石というもの、、石の特徴と対話するかのように彫り方を変えている。
右は「原の城」(71)、クリスチャンの舟越が島原の乱の舞台・原の城址を訪れて現実と幻想の間を浮遊する兵士のイメージを得る。
美術館の外は気持ちの良い緑が広がる。盛岡市中央公園は岩手山の前景であるかのようだ。小さな子供をつれた奥様たちがノンビリと話している。
”コマザワンヌ”とはいささか趣が違って、俺はこっちの方が良いなあ。
隣接して「盛岡市先人記念館」新渡戸稲造、米内光政、金田一京助を中心に郷土の偉人130人の生涯・資料・業績を紹介している。
さらに少し歩くと「子供の科学館」があって「盛岡市遺跡の学び館」がある。
「遺跡の・・」に入ってみる。どこも身体障害者は無料というのがウレピイ。
北上川、中津川、雫石川、三つの川が合する肥沃の地には縄文時代から村落が営まれていた。
発掘された土器がたくさん飾られてある。
いやはや半日の逍遙で教養が身につき・・はしません。でも、心が遊んで伸び伸びしましたよ。
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greenagain at 2006-09-23 12:42
はじめまして。
行きたかった美術館です!
素敵なご紹介、興味深く拝見いたしました。
ゆったりした雰囲気の美術館のようですね。いいですね~
行きたかった美術館です!
素敵なご紹介、興味深く拝見いたしました。
ゆったりした雰囲気の美術館のようですね。いいですね~
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saheizi-inokori at 2006-09-23 13:14
greenagainさん、いらっしゃいませ。
今日くらいから「ロダン展」、私にとってはラッキー、空いてました。
今日くらいから「ロダン展」、私にとってはラッキー、空いてました。
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saheizi-inokori at 2006-09-23 13:17
みどりさん、現実逃避病でもなんでも大歓迎です。素敵な漫画!
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hanamaki3 at 2006-09-23 14:23
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saheizi-inokori at 2006-09-23 16:01
hanamakiさん、私もずいぶん盛岡には行ってるのですがここは初めて、居酒屋ばかりじゃ教養がね。
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suiryutei at 2006-09-23 17:02
こんにちは。
高校のとき同学年にヨロズという男がいました。クラスは別だったんで、あまり親しくはなかったですが、変った名字なので印象に残っています。卒業してから何年かして友人に「おい、あのヨロズのお祖父さん、有名な画家だったんだって」と言われて、初めて鉄五郎と結びつきました。それまで「まんてつ・ごろう」なんて読んでいましたから。
高校のとき同学年にヨロズという男がいました。クラスは別だったんで、あまり親しくはなかったですが、変った名字なので印象に残っています。卒業してから何年かして友人に「おい、あのヨロズのお祖父さん、有名な画家だったんだって」と言われて、初めて鉄五郎と結びつきました。それまで「まんてつ・ごろう」なんて読んでいましたから。
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saheizi-inokori at 2006-09-23 19:52
suiryuteiさん、世の中狭いですね。お孫さんは絵は上手でしたか?
お帰りなさい。お仕事をし、教養を身につけ、お呑みになりお忙しかったですね。
茅ヶ崎の萬さん、こちらが先だったんですね。
深澤紅子さんの作品もあるなんてなかなか素晴らしい美術館ですね。
館内の写真がとても良く撮れていますね。
盛岡は2度も行きましたが、美術館は知りませんでした。
茅ヶ崎の萬さん、こちらが先だったんですね。
深澤紅子さんの作品もあるなんてなかなか素晴らしい美術館ですね。
館内の写真がとても良く撮れていますね。
盛岡は2度も行きましたが、美術館は知りませんでした。
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saheizi-inokori at 2006-09-23 22:10
tonaさん、深澤美術館も盛岡にあるのです。私はまだ見ていませんが。
by saheizi-inokori
| 2006-09-23 12:34
| こんなところがあったよ
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