ありがとう 先生方! ”奇跡の”中学時代でしたよ
2006年 09月 16日
一昨日、山形から来た修学旅行の中学生のことを書いた。
車内で見かけた子供たちがとてもスガスガしくて見ているだけで気持ちがよかった。
何をするのでもないのに、身に着けている空気がよかったのだ。
最初はそのことを書こうと思ったのだ。
冷たい雨の中を迷って歩くのも良い経験かも知れないが、やはり道を教えてあげられてよかった。彼らのためというより、オジサン、俺のためによかった。
そんなことを書こうと思って投稿画面に向かった。
そうしたら連想が膨らんできて、中学の先生のことまで書いてしまった。
電車の中では自分の修学旅行のことを懐かしく思い出しただけだったのに。
あれから青柳先生、そう、それが先生の名前、のことが何かの折に思い出される。
小太りとまでは言わないか、ちょっと猫背でメガネをかけていたようなあの笑顔とか、
「無法松の一生」を見に行ってみつかった映画館の様子、土を固めたまんまの床だったぞ、とか・・。
不思議なことだね。
山形・長井の子供たちが俺に青柳先生を思い出させてくれている。
恐らく二度とないだろうが、あの感じのよかった子供たちに、モシ会って、このことを説明しても意味は分かるだろうが、このなんとも言えない俺の気持ちは分からないだろうなあ。
第一、俺もどう表現していいか分からない妙な気持ち。
何でもちゃんと片付けることが出来ない俺にしては偶然(ホントにこれも!)だが机の脇の本箱の一番見やすいところに、中学の40周年記念誌があった。昭和62年の発行だ。
俺が当たり前のようにして通って・卒業した中学を歴代の先生たちが一生懸命にいい中学にしようと努力されていたことなどが分かる。
今の目から見ると奇跡的といってもいいような良い中学に学んだのだ、そういう時代でもあったのだ、ということがひしひしと分かる。
あの中学生たちはどこかでそういう30年代の空気を感じさせてくれたのかもしれないなあ。
卒業生の名簿を見ていると、コバ、ミヤ、タヌキ、ヨシイチャン、フミちゃん・・昔の名前で出ています。
先生たちの名簿、その頭に担当を書いてあるのを見ていて・・参った!
青柳先生の担当は国語じゃない、社会と数学、校長の次に載っている教頭さんだったのだ!
今で言う生活指導もやっていたらしい。
いやはや、あのニヤっと笑いは?
叱られた思い出は全くないのだよ。
映画・「グエムル 漢江の怪物」、全然退屈しないで面白く観た。
でも改めて感想をまとめようと思うと、タダ「面白かった」しかない。出演者の皆さん熱演・好演でしたよ。一番の好演は怪物・グエムル(考えてみるとその名が映画の中で出てきたかどうか、はっきりしないのだが)だったかなあ。アメリカに対する韓国の反感が底流にある、なんちゃって。
車内で見かけた子供たちがとてもスガスガしくて見ているだけで気持ちがよかった。
何をするのでもないのに、身に着けている空気がよかったのだ。
最初はそのことを書こうと思ったのだ。
冷たい雨の中を迷って歩くのも良い経験かも知れないが、やはり道を教えてあげられてよかった。彼らのためというより、オジサン、俺のためによかった。
そんなことを書こうと思って投稿画面に向かった。
そうしたら連想が膨らんできて、中学の先生のことまで書いてしまった。
電車の中では自分の修学旅行のことを懐かしく思い出しただけだったのに。
あれから青柳先生、そう、それが先生の名前、のことが何かの折に思い出される。
小太りとまでは言わないか、ちょっと猫背でメガネをかけていたようなあの笑顔とか、
「無法松の一生」を見に行ってみつかった映画館の様子、土を固めたまんまの床だったぞ、とか・・。
不思議なことだね。
山形・長井の子供たちが俺に青柳先生を思い出させてくれている。
恐らく二度とないだろうが、あの感じのよかった子供たちに、モシ会って、このことを説明しても意味は分かるだろうが、このなんとも言えない俺の気持ちは分からないだろうなあ。
第一、俺もどう表現していいか分からない妙な気持ち。
何でもちゃんと片付けることが出来ない俺にしては偶然(ホントにこれも!)だが机の脇の本箱の一番見やすいところに、中学の40周年記念誌があった。昭和62年の発行だ。
俺が当たり前のようにして通って・卒業した中学を歴代の先生たちが一生懸命にいい中学にしようと努力されていたことなどが分かる。
今の目から見ると奇跡的といってもいいような良い中学に学んだのだ、そういう時代でもあったのだ、ということがひしひしと分かる。
あの中学生たちはどこかでそういう30年代の空気を感じさせてくれたのかもしれないなあ。
卒業生の名簿を見ていると、コバ、ミヤ、タヌキ、ヨシイチャン、フミちゃん・・昔の名前で出ています。
先生たちの名簿、その頭に担当を書いてあるのを見ていて・・参った!
青柳先生の担当は国語じゃない、社会と数学、校長の次に載っている教頭さんだったのだ!
今で言う生活指導もやっていたらしい。
いやはや、あのニヤっと笑いは?
叱られた思い出は全くないのだよ。
映画・「グエムル 漢江の怪物」、全然退屈しないで面白く観た。
でも改めて感想をまとめようと思うと、タダ「面白かった」しかない。出演者の皆さん熱演・好演でしたよ。一番の好演は怪物・グエムル(考えてみるとその名が映画の中で出てきたかどうか、はっきりしないのだが)だったかなあ。アメリカに対する韓国の反感が底流にある、なんちゃって。
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seilonbenkei at 2006-09-17 00:05
こんばんわ。グチャグチャ書きたくなくて、ただ、その気持ちわかるなぁ~。そんな感じです。変なコメントですみません。でも、saheizi-inokori さんがすごく身近に感じられて。
遠く離れていますが、一杯やりますか。
遠く離れていますが、一杯やりますか。
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saheizi-inokori at 2006-09-17 00:25
seilonbenkeiさん、ありがとうございます。嬉しいです。機会をつくりましょうか?
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みい
at 2006-09-17 09:43
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saheizi-inokori at 2006-09-17 09:46
みいさん、おはよう。讃岐の空は・台風が近づいているのですか?
東京はむしむししますよ。あの子達は今頃東京の雨のことなど思い出しているのかもね。
東京はむしむししますよ。あの子達は今頃東京の雨のことなど思い出しているのかもね。
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sakuraasako
at 2006-09-17 10:13
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台風が近づいているのだか、いないのだか、よくわからない四国の空です。
きっと、みいさんのところもそうだと。ね、みいさん。
11月末に山形に行くことになりそうです。
土門拳写真館の建物を見たいという友人、
最上川と日本海を見せたいという酒田出身の友人、
藤沢周平の海坂藩を感じてみたいという私。
久しぶりに三人の思いが重なったものですから、行くことにしました。
でも、四国からじゃぁ、結構大旅行になるのよねぇ・・・。
きっと、みいさんのところもそうだと。ね、みいさん。
11月末に山形に行くことになりそうです。
土門拳写真館の建物を見たいという友人、
最上川と日本海を見せたいという酒田出身の友人、
藤沢周平の海坂藩を感じてみたいという私。
久しぶりに三人の思いが重なったものですから、行くことにしました。
でも、四国からじゃぁ、結構大旅行になるのよねぇ・・・。
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みい
at 2006-09-17 10:39
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asakoさん、そのとうりですよ。今は晴れております。でも少し風が出てきたみたい。涼しいです。
山形、行ったことないです。一度行ってみたいな。
楽しい旅になりますように。又旅の感想おきかせくださいね。
山形、行ったことないです。一度行ってみたいな。
楽しい旅になりますように。又旅の感想おきかせくださいね。
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at 2006-09-17 10:41
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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saheizi-inokori at 2006-09-17 11:36
asakoさん、「中村屋のボース」という本を読んでいます。インド独立運動と近代日本のアジア主義、が副題。酒田は大川周明の生まれ故郷でボースは大川と一緒に酒田に講演に行きます。
「遠くにそびゆる大小の山々を背景とし、パノラマの如く眼前に展開せられたる規則正しく区画された広茫たる田野を見て、私は故国印度の光景を想起せざるを得なかった
(略)
私は幾度か太平洋で日の出を見た、が日本海で日没を見たのは今度が初めてである。私は此時の自然の美しさを生涯忘れぬであらう」。
29歳でイギリスの追求を逃れて来日、以後日本にあって故国の独立のために人生をなげうつボースは酒田に行ったときは44歳、夕日を眺めながら「寂しい」と叫び、船底に身を伏せて慟哭したそうです。
土門拳美術館は遠いけれど行ってよかった。あの高い全集を買いそうになって思いとどまるのが大変でした。お金もだけど置いとくとこがないもん。
いい旅を祈ります。
「遠くにそびゆる大小の山々を背景とし、パノラマの如く眼前に展開せられたる規則正しく区画された広茫たる田野を見て、私は故国印度の光景を想起せざるを得なかった
(略)
私は幾度か太平洋で日の出を見た、が日本海で日没を見たのは今度が初めてである。私は此時の自然の美しさを生涯忘れぬであらう」。
29歳でイギリスの追求を逃れて来日、以後日本にあって故国の独立のために人生をなげうつボースは酒田に行ったときは44歳、夕日を眺めながら「寂しい」と叫び、船底に身を伏せて慟哭したそうです。
土門拳美術館は遠いけれど行ってよかった。あの高い全集を買いそうになって思いとどまるのが大変でした。お金もだけど置いとくとこがないもん。
いい旅を祈ります。
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saheizi-inokori at 2006-09-17 11:39
シーサイドさん、じげもん市場やオット、娘さんの楽しい生活を覗かせてもらえないのは淋しいですよ。
又いつか再開して下さいね。
こちらにはどうぞどうぞ、なにもお構いできませんが。
じげもん便りでもコメントしてくださると嬉しいな。写真が問題だけど。
又いつか再開して下さいね。
こちらにはどうぞどうぞ、なにもお構いできませんが。
じげもん便りでもコメントしてくださると嬉しいな。写真が問題だけど。
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sakuraasako
at 2006-09-17 12:23
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sakuraasako
at 2006-09-17 12:27
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「中村屋のボース」。教えてくださってありがとう。
次読むの、これにします。
田中秀征さんの本、
旅先で読もうと思ってカバンに忍ばせていたところ
合コンでちょうど秀征さんの話になり、
貸して貸してと、取り上げられてしまいました。
たぶん・・・、もう帰ってこないでしょう(笑)。
次読むの、これにします。
田中秀征さんの本、
旅先で読もうと思ってカバンに忍ばせていたところ
合コンでちょうど秀征さんの話になり、
貸して貸してと、取り上げられてしまいました。
たぶん・・・、もう帰ってこないでしょう(笑)。
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saheizi-inokori at 2006-09-17 13:42
秀征さんは昔からもてたからなあ。
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シーサイド
at 2006-09-17 16:29
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knaito57 at 2006-09-18 14:28
この夏、五能線で日本海沿いを下ったとき、泳ぎをやめてこちらに手を振る子どもらが多かった。「こんな子がいるんだなあ」という感銘はめずらしい景色やご馳走よりも深く、観光客である自分が恥ずかしいような気持になりました。
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saheizi-inokori at 2006-09-18 16:25
knaito57さん、夕日はごらんになりましたか?五能線は夕日の鉄道です。
毎日あんな夕日を見ていたら人も違ってくるのかもしれませんね。
毎日あんな夕日を見ていたら人も違ってくるのかもしれませんね。
by saheizi-inokori
| 2006-09-16 12:43
| よしなしごと
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