茜さす、セピア色の夕日だよ。 味はすっぱく。
2006年 09月 09日
初めての場所を番地で訪ね当てるのは楽しいし得意なのに、この店は苦労した。
神田須田町には番地表示が少ない上に番地がとんでいて1丁目10から突然2になったりする。二回も聞いてやっとついた。まあ、土地の人に道を聞くのも結構楽しいんだけれど。言葉使いとか、説明の仕方などさまざまだよ。
今日はお菓子屋のおばあさんと、飲み屋の入り口にいたおじさん、当然かもしれないが歯切れのよい親切な教え方だった。
店の入り口は2メートルくらいの幅の路次に”進入”する。
「牛肉と大根のバーボン煮」とか「わさび漬け」など、つまみも趣向があって(”ナンチャッテ”ではない)いけるがやはり蕎麦がよかった。
ただし、少し飲みすぎていたなあ。
板橋駅の近くにもかつて住んでいた。たまたま所用で庚申塚に行ったので足を延ばして昔を偲んだ。果物屋にはネコも売っていた。
「亀の子束子」の本社。写真が巧く撮れなかったが、大きな束子がぶら下がっている。
麻布・「とく山」。コースの最後に松茸ご飯、お腹一杯だから全部は食べられない。残りは持って帰る。それが嬉しい。
小布施・「竹風堂」前の栗の木。昔、弟が近所の栗の木になっている栗を取っていて持ち主に捕まり木に縄で縛りつけられた。友達に教えられて救出に行くと夕日が射す木の根元でワンワン泣いている弟がいた。小学校2年くらいだったか。
当時はリンゴなど畑の脇道で遊んでいるときに「オジサーン!リンゴちょうだい」と叫ぶと「おお!いいよ」と鷹揚なものだった。おいしそうなのを捥いでズボンでゴシゴシこすって(洗ったつもり)ガブッと噛みつく。今のような甘いリンゴは少なくてシュパーと酸っぱい味が口の中に広がった。紅玉、国光なんかだ。青い早生も美味しかった。
甘酸っぱい想い出だ。
松茸ごはん美味しそう、もって帰ってくださいな。私に^^
弟さんの縛られていたお話、遠い昔のいたずら坊主を思い出します。
弟さん救出のお兄さんと泣いている弟さんが絵の中にいるようであり、まさにセピア色。
「とく山」もう、松茸ですか。
美味しそう!
でも、栗も。
昔は、お月見の日はドロちゃんしてもOKだったような。
我が家にはよく柿ドロが。
その弟さんは、その日のことを覚えてますか。
なんで、そんなに、縛るほど。きっと、違うドロと間違えられたのかしら。
感じのよいスタッフでした。
リンゴ箱も籾殻と共に懐かしいです。段々食べていって籾殻の下の方をかき回してあった!と見つけたことなど、思い出しますね。
学生時代まではリンゴが嫌いで食べられなかったんですが、不思議と社会人になってからリンゴが食べられるようになりました。
考えてみると学生時代はブドウも駄目でした。
沢山損をしているようです。
近所の中学校の栗木に沢山イガイガがなっていて、欲しくて仕方がありません(笑
今度、恵○寿で馬肉&イタリアン、どうですか?