中沢新ちゃんに今は教えてもらっていますよ おばあちゃん
2006年 08月 29日
中沢新一の「芸術人類学」を読んでいる。
彼のお父さんが中沢厚さんといって山梨県日下部で篤農家であり在野の民俗学の研究者であり・・なかなかの人だったらしい。
そうとも知らずに俺は厚さんに甘えたりお世話になったのだ。
というのは彼の家にわが祖母と叔母は下宿をしていたから。
俺は小学校の頃から夏休みになると弟と二人でおばあちゃんのところに遊びに行ったものだ。
豪農だったらしくおおきな屋敷の片隅に二人は一部屋借りて、便所も小作人用の真っ暗なのを使っていた。
当時、新一君はまだ小学校にも入っていなかった。
一緒に遊んだこともある。
何処かいいとこのおぼっちゃまという感じはした。
芸術人類学で中沢厚さんの書物から引用しているのを読んで急に日下部の夏を思い出した。
いいおじさんだった。
オヤジの学説をそれといわずにさりげなく引用するなんてあったかいね。
ねっからの田舎の人ぞ気やすかりたかぶりもせず諍ひもせず
亡き吾子が着しと同じき柄の浴衣干しある見ればせつなかりけり
追憶は老いのこよなき慰めなり陳腐の歌と人見らむとも
久々の田舎は話変わらぬなり物持つ家の吝き事なぞ
俺は田舎ばかりじゃないと思うよ、おばあちゃん。
いつも人の噂と妬みと愚痴と、さもなきゃドーダ!ばっかり。
東京の方が多いようだよ。
写真は先日社内レクで墨田川クルージングのとき。
窓に室内の明かりが映ってしまった。二時間ほどなかなかいい船旅でございましたよ。
彼のお父さんが中沢厚さんといって山梨県日下部で篤農家であり在野の民俗学の研究者であり・・なかなかの人だったらしい。
そうとも知らずに俺は厚さんに甘えたりお世話になったのだ。
というのは彼の家にわが祖母と叔母は下宿をしていたから。
俺は小学校の頃から夏休みになると弟と二人でおばあちゃんのところに遊びに行ったものだ。
豪農だったらしくおおきな屋敷の片隅に二人は一部屋借りて、便所も小作人用の真っ暗なのを使っていた。
当時、新一君はまだ小学校にも入っていなかった。
一緒に遊んだこともある。
何処かいいとこのおぼっちゃまという感じはした。
芸術人類学で中沢厚さんの書物から引用しているのを読んで急に日下部の夏を思い出した。
いいおじさんだった。
オヤジの学説をそれといわずにさりげなく引用するなんてあったかいね。
ねっからの田舎の人ぞ気やすかりたかぶりもせず諍ひもせず
亡き吾子が着しと同じき柄の浴衣干しある見ればせつなかりけり
追憶は老いのこよなき慰めなり陳腐の歌と人見らむとも
久々の田舎は話変わらぬなり物持つ家の吝き事なぞ
俺は田舎ばかりじゃないと思うよ、おばあちゃん。
いつも人の噂と妬みと愚痴と、さもなきゃドーダ!ばっかり。
東京の方が多いようだよ。
写真は先日社内レクで墨田川クルージングのとき。
窓に室内の明かりが映ってしまった。二時間ほどなかなかいい船旅でございましたよ。
まるで小説の中にあるようなお話ですね。ちょっとびっくりしました。
おばあさまのご縁でsaheiziさんが中沢新一さんと遊んだりして。民俗学研究者のお父さんに可愛がってもらったりして。
2番目の歌、本当に切ないです。
隅田川クルージング、涼しかったですか?これは人数が集まらないと乗れないんですよね。
おばあさまのご縁でsaheiziさんが中沢新一さんと遊んだりして。民俗学研究者のお父さんに可愛がってもらったりして。
2番目の歌、本当に切ないです。
隅田川クルージング、涼しかったですか?これは人数が集まらないと乗れないんですよね。
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saheizi-inokori at 2006-08-30 19:50
tonaさん、考えてみればもう半世紀も前のことなんですね。
隅田川、これは都経営の舟で貸切でした。個人で乗れるのもあるのかなあ。民営で。この舟は完全密閉で冷房がきいてました。本当は川風がいいのでしょうが。
隅田川、これは都経営の舟で貸切でした。個人で乗れるのもあるのかなあ。民営で。この舟は完全密閉で冷房がきいてました。本当は川風がいいのでしょうが。
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みい
at 2006-08-31 21:55
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saheizi-inokori at 2006-09-01 00:17
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suiryutei at 2006-09-01 17:43
こんばんは。
佐平次さんと中沢家とは、そんなつきあいがあったのですか!
中沢新一著『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)を去年読んで、とても面白かったです。歴史家・網野善彦は中沢厚さんの妹と結婚して、新一さんにとっての叔父となりました。そしてユニークな中沢家の人々との交流は網野史学の形成にとって重要な要素であったようです。
こんど会うとき、中沢家のことなどお聞かせください。
佐平次さんと中沢家とは、そんなつきあいがあったのですか!
中沢新一著『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)を去年読んで、とても面白かったです。歴史家・網野善彦は中沢厚さんの妹と結婚して、新一さんにとっての叔父となりました。そしてユニークな中沢家の人々との交流は網野史学の形成にとって重要な要素であったようです。
こんど会うとき、中沢家のことなどお聞かせください。
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saheizi-inokori at 2006-09-01 20:15
suiryuteiさん、こんばんは。中沢家の人々、というのは歌奴(円歌)の爆笑落語の題ですが、私はなにぶん小さいときの断片的な思い出しかないのでお話できることはあまりないです。
by saheizi-inokori
| 2006-08-29 23:58
| わが母と祖母の遺したまいしうた
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Comments(6)