悠々たる人生 ユーモア見本帳だ 早川良一郎「さみしいネコ」(みすず書房)
2006年 08月 26日
中学(旧姓麻布中学)の博物の先生は頭がつるっ禿なのでホタルの逆、つまりギャボというあだ名であった。あるとき私は授業をしている先生をじっと見詰めていた。先生は、「なんだい」と私の前に来ていった。私は、「先生の頭を一度でいいからさわってみたいと思っていたんです」と正直にいった。そしたら「ほれ」先生は頭を私にさし出した。私はおそるおそるなでてみた。先生の頭は妙に冷たい肌ざわりだった。しかし先生はいつも温かい感じの人だった。
出世をしないサラリーマンだった。一流大学を出なかったからだろうか。いまはなんでも自分のせいにしないでほかのせいにするのがはやっているから、その伝でいけば、私が一流大学に行かなかったのは、銀座があったせいだといえるだろう。あるいは映画があったせいだろうか。著者一流の韜晦。中学をでてロンドンに留学し背筋をマッスグニすることとパイプの愉しみを覚えて帰り日大仏文をでて生涯ヒラの道を楽しみ60歳、待望の定年生活に入る。
愛でて育てて19歳の娘は私の理想像とはかけ離れている。私のワイシャツの襟を旧陸軍の襦袢みたいに直したのにパンテイだけで家の中を闊歩する。
この野郎、蹴飛ばしてやろうと思っても空手を習っている娘には逆襲されそうだ。
これを書くについてオクさんに相談したら、書いてもよろしいけれど、私がお風呂から出ると、パンツもしないで娘の前に現れること・・などを書いておかないのは平等に反するといった。
オクさんには叶わない。と思わせておくのも戦略、ほら孫悟空がお釈迦様の手のひらをとび回って自由自在だと思っているように。
とはいうもののオクさんの方でも、そのように思っているかも知れない。
自由、それこそ早川さんの最大の砦かもしれない。軍隊では上官にあったら帽子はかぶったまま挙手の敬礼をしなければならない。
でも彼は”心は自由人でありたいと思っていたせいか”中隊長に軍帽を取ってお辞儀をしてしまう。
サラリーマン時代、時間後にオフイスで友人と将棋に興じていたら、総務部長が来て、「誰かいるか」と怒鳴った。勤務時間外だ。思わず「誰もおりません」と叫ぶ。
著者の観察した”サラリーマン珍景奇景”が面白い。
定年になるとボケるという人は実は定年以前にボケていたのだ、といい放つ。
時間に追われることもなく、ゆっくりと髪にブラシをかけながら、鏡に向かえるのも定年後の楽しみの一つ、定年後は日常茶飯なんにでも楽しんでしまう。
毎日定期券をもって銀座に通う。
会社とは関係ない友人がたくさんいる。
パイプを作って楽しむ会の名前をどうしよう。
他意もなく「パイプカットクラブ」という彼は「ゴルゴジュウサン」といい「銀河鉄道きゅうきゅうきゅう」と言って娘に”親をバカにした表情丸出し”で「スリーナイン」といわれてしまう。
お金のことは心配すればきりがない。電気をこまめに消せ、などと若い頃をうるさく思っていた年寄りに自分もなってもいる。
しかし”お金を使わない楽しみこそ最高の楽しみ”という金持ちの友人がいう言葉を素直にそのとおりと思うのでもある。
こういう人の生き方が羨ましくてならない。
夕べ寝る前に読んだ般若心経の解説書に寄れば「”空”を実践化すると、貪らないこと、我をたてないこと、の二つに帰着する」という。
さすが良いことをいうね。でもそれが俺にはできない。
山口瞳の書いた「江分利満氏の優雅な生活」(62年直木賞)。映画にもなった。ほとんど内容は忘れたが本書を読んでいて思い出したからどこか似ているのかもしれない。
著者は1991年72歳で亡くなる。
今これを読むともう少し長生きをしてこういう高雅なユーモアに富んだ本を書いて欲しかった。
面白い本を書く人はたくさんいるけれどこういうユーモアは今の時代には生きていけないのかもしれない、あまり見ない。
なお書名は作中の一編から取ったもの。”さみしいネコ”をもって著者の定年後の生活を表していると思う?そう思ったなら早川さんの技あり!だね。
彼はチョビという犬を愛しなぜか公園嫌いのチョビとの散歩も日課(日曜なし)なのだ。
写真。夏休みでおやつを食べる癖がついて、オサンジになると口がさみしくて買い食いをしてしまった。銀座鹿の子「銀つば」栗が入っている。
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at 2006-08-26 22:25
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
at 2006-08-27 09:27
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by saheizi-inokori
| 2006-08-26 10:50
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(2)