俺は「恥」を知っているのか? 辺見庸「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)
2006年 08月 22日
人権も国籍も失った難民が現在、全世界で2千万人いるといわれる。餓死し、なんでもない病気で死んでいく。希望はない。
今この瞬間にも戦争で殺されている人がたくさんいる。
「平和憲法のあるおかげで日本は戦争で一人の人間も殺さないですんだ」という。
嘘だ!アメリカの言語学者・ノーム・チョムスキーが「日本は憲法を改悪しようとしている」という辺見さんに(いささかの侮蔑をこめて)語った。
現実に戦後日本が米国の戦略的枠組みのなかでしてきたこと、それは憲法破壊以上ではないのか?そういうことを知らんふり、精々口先だけの批判をして後はぬくぬくと。
ひどい人は叙勲を嬉しそうに受けたり。何が護憲か!
天皇の戦争責任について誰がきちんと総括をしたのか!
恥ずかしくはないのか。
と、チョムスキーの言葉を受けて辺見さんも糾弾する。
前に紹介した「自分自身への審問」で辺見さんが自分自身をも告発した罪、特に今ここにそうして自足して善良な市民面をしていることにつきまとう「人類として都合の悪い事実を知らない・認めようとしない・ないものにしようとする恥=罪」をいっそう鋭く糾弾する。
警戒すべきは「グレーゾーン」の人たちだ。
善でもなければ悪でもない領域。
明示的でない、日常生活のなかの中間色、あるいは保護色に隠れた恥辱だ。
俺の言葉に直せば”いい子ぶってる、または悪いこととは無縁な普通の生活を送ってるつもりのノンポリ”みたいな連中の罪、恥だ。
さらに、資本や市場、またそれらの潤滑油たるマスメデイアにまつわることにはもっとも深い恥辱があるという。
2003年12月9日、コイズミというまごうかたない憲法破壊者が、憲法について講釈した。
自衛隊のイラク派兵の論拠が憲法前文にあると言って。
前文の主要な、たとえば「諸国民の公正と信義に信頼して」などの、部分は省き「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」の部分のみを取り出して派兵の根拠としたのだ。
それを居並ぶ大新聞社の”エリート”記者団は黙って聞くのみで誰一人質問すらしなかった。
社説で批判もできない。
そのことを辺見さんは人間としての恥辱の最たるものと激しく怒る。嘆く。
芸能人のスキャンダルを追いかける記者の悲哀は受容できても政治部記者の”権力のまく餌と権力の排泄物のどこまでもたかりつく”、あの行為は許せない。糞バエだ、と。
どうすれば「恥」を少しでも雪げるのだろう?
辺見さんの”遺書のようにいいたい”答え。
俺の下手な紹介よりも本書にじかに当たって欲しい。
とても分かり易い。哀しくなるほどに。
自分では一滴どころか数滴の血を流して生きてきたつもりだったが、こんなに分かりやすい遺言を公表されてはたまらない。
まだ幾らかは血も残っているだろう。辺見さんに較べたら。
それにしても、もっと生きてください。苦しいでしょうが。
今この瞬間にも戦争で殺されている人がたくさんいる。
「平和憲法のあるおかげで日本は戦争で一人の人間も殺さないですんだ」という。
嘘だ!アメリカの言語学者・ノーム・チョムスキーが「日本は憲法を改悪しようとしている」という辺見さんに(いささかの侮蔑をこめて)語った。
50年にもわたってアジア地域での(米国の)戦争に貢献してきたことに較べたら(憲法改悪などは)ささいな問題です。朝鮮戦争における特需で回復した日本経済、ベトナム戦争で米兵の遺体を入れる袋から武器まで、日本はあらゆるものを製造し、提供した。インドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていった。
戦後の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担したことによっている。
現実に戦後日本が米国の戦略的枠組みのなかでしてきたこと、それは憲法破壊以上ではないのか?そういうことを知らんふり、精々口先だけの批判をして後はぬくぬくと。
ひどい人は叙勲を嬉しそうに受けたり。何が護憲か!
天皇の戦争責任について誰がきちんと総括をしたのか!
恥ずかしくはないのか。
と、チョムスキーの言葉を受けて辺見さんも糾弾する。
前に紹介した「自分自身への審問」で辺見さんが自分自身をも告発した罪、特に今ここにそうして自足して善良な市民面をしていることにつきまとう「人類として都合の悪い事実を知らない・認めようとしない・ないものにしようとする恥=罪」をいっそう鋭く糾弾する。
警戒すべきは「グレーゾーン」の人たちだ。
善でもなければ悪でもない領域。
明示的でない、日常生活のなかの中間色、あるいは保護色に隠れた恥辱だ。
俺の言葉に直せば”いい子ぶってる、または悪いこととは無縁な普通の生活を送ってるつもりのノンポリ”みたいな連中の罪、恥だ。
さらに、資本や市場、またそれらの潤滑油たるマスメデイアにまつわることにはもっとも深い恥辱があるという。
2003年12月9日、コイズミというまごうかたない憲法破壊者が、憲法について講釈した。
自衛隊のイラク派兵の論拠が憲法前文にあると言って。
前文の主要な、たとえば「諸国民の公正と信義に信頼して」などの、部分は省き「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」の部分のみを取り出して派兵の根拠としたのだ。
それを居並ぶ大新聞社の”エリート”記者団は黙って聞くのみで誰一人質問すらしなかった。
社説で批判もできない。
そのことを辺見さんは人間としての恥辱の最たるものと激しく怒る。嘆く。
芸能人のスキャンダルを追いかける記者の悲哀は受容できても政治部記者の”権力のまく餌と権力の排泄物のどこまでもたかりつく”、あの行為は許せない。糞バエだ、と。
どうすれば「恥」を少しでも雪げるのだろう?
辺見さんの”遺書のようにいいたい”答え。
われわれは、勝手に誰からか、あるいは自分で、領域設定をされてしまっている。これ以上は立ち入るな、・・・(略)われわれそれぞれの「個体知」により世界を自由に想像し気づかうのではなく、「メデイア知」のみを絶えず食わされて、権力と市場と資本に都合のよいテーマだけを日々、投げあたえられ、もっぱらその枠内で発想し、喜び悲しみ反発するよう導かれている。もうそろそろ、それを拒んでもいいのではないか。まず、せめて自分の内面の境界線をなくすこと。境界線をあえて踏み越えていくこと。テーマをやつらからなげあたえられるのではなく、われわれみずからが、「個体知」にこすりつけながらいまもっとも考えるべき主題を設けること。・・(略)改憲反対をいうこと自体は大したことではない。タダ、たいしたことなのは、そのために指の先から一滴でも血を流す気があるかどうか、そのことではないでしょうか。”まちがいなく憲法は改悪される”と考える辺見さんは
でも、私はどこまでも反対します。この国の全員が改憲賛成でも私は絶対に反対です。2006年4月東京で行われた講演草稿を大幅に修正、補充した「いまここに在ることの恥」ほか今年前半に発表された文章を集めたもの。
俺の下手な紹介よりも本書にじかに当たって欲しい。
とても分かり易い。哀しくなるほどに。
自分では一滴どころか数滴の血を流して生きてきたつもりだったが、こんなに分かりやすい遺言を公表されてはたまらない。
まだ幾らかは血も残っているだろう。辺見さんに較べたら。
それにしても、もっと生きてください。苦しいでしょうが。
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from 雑談日記(徒然なるままに..
at 2006-08-25 04:09
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suiryutei at 2006-08-23 09:03
おはようございます。トラックバックありがとうございます。
さすがにチョムスキーは明快だなあ。
辺見庸さんの本も読まなくては。
さすがにチョムスキーは明快だなあ。
辺見庸さんの本も読まなくては。
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saheizi-inokori at 2006-08-23 09:56
suiryuteiさん、お久しぶり!明快に分かりやすいと困るのが日本のインテリ(良心的?)かも知れませんね。
チョムスキーさんの鋭さもさることながら、辺見さんの遺書も痛烈ですね。
読みたい本が増えてしまいました。
読みたい本が増えてしまいました。
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sakuraasako at 2006-08-24 00:02
この本の中に収められているエッセイ、「名残の桜、流れる花」好きです。
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saheizi-inokori at 2006-08-24 08:44
邂逅、もいいですね。
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sakuraasako
at 2006-08-24 08:57
x
「いまならば、彼女にせよ私にせよ、花の群れに身を隠すことはないだろう。
二人してよろけながら海を見にいくのもいいかもしれない。」(邂逅より)
って、ね。
聞いた話では、辺見さん、現在身の回りのお世話をしてくださる方がいるそうです。
二人してよろけながら海を見にいくのもいいかもしれない。」(邂逅より)
って、ね。
聞いた話では、辺見さん、現在身の回りのお世話をしてくださる方がいるそうです。
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saheizi-inokori at 2006-08-24 13:45
その人なのかなあ。まあ、詩みたいなものだからどこまでが現でどこからが夢幻かはわからない。すべてが真実ではアル。
辺見さん、『もの喰う人々』以来です。現在どこか具合が悪いのでしょうか?
saheiziさんの解説でおぼろげながら少し理解できました。こういうことを何も考えていない私はバカみたいです。
saheiziさんの解説でおぼろげながら少し理解できました。こういうことを何も考えていない私はバカみたいです。
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saheizi-inokori at 2006-08-24 21:33
tonaさん、辺見さんは脳出血の後遺症の治療中に癌が発見されて手術、その直前にママならない手をつかって書いたのが「自分自身への審問」でした。今もなお死と戦いつつ講演活動を再開した、それがこの本になりました。
私は「もの食う人びと」は買ってあるけれど未読です。
バカみたいというtonaさんは恥を知る人だと思います。
人間であること自体が「恥」だとすればせめてそのことを自覚して生きたいと思います。
《恥知らず》ではいたくないです。
私は「もの食う人びと」は買ってあるけれど未読です。
バカみたいというtonaさんは恥を知る人だと思います。
人間であること自体が「恥」だとすればせめてそのことを自覚して生きたいと思います。
《恥知らず》ではいたくないです。
by saheizi-inokori
| 2006-08-22 22:17
| 今週の1冊、又は2・3冊
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