曼荼羅思想が世界を救う 俺は成就するのか? 鶴見和子・頼富本宏「曼荼羅の思想」(藤原書店)
2006年 08月 15日
7月31日に88歳で亡くなった碩学。不肖は名前しか知らなかった。
同じ日に逝かれた吉村昭の記事にむしろこの方を惜しむコメントが多かったのに。
種智院大学学長をされ密教に造詣の深い頼富氏との対談。
鶴見さんは「コレクション鶴見和子曼荼羅」という全9巻の著作があるほど曼荼羅思想に打ち込まれた。特に南方熊楠に傾倒し彼の独創になる「南方曼荼羅」を高く評価する。
それはニュートン力学の必然性・因果律を探ることが科学の使命であるという直線的な世界観が全盛であった時代に偶然性も科学の方法論に欠くことができないという複眼的な世界観の提唱だ。
南方の考え方が正鵠を得ていたことはその後の「不確定性の原理」「量子力学」などの確立で実証されている。かれこれ一世紀近い先見だ。
真言密教の曼荼羅を世界認識・科学方法論のモデルとして認識し、南方曼荼羅に発展させる。静的な平面的な閉鎖的な”聖なる空間”としてとらえられがちであった「金剛界曼荼羅」と「胎蔵曼荼羅」に対し動的な立体的な開かれた、”聖なる結界を壊すものとしての”南方曼荼羅。
二人は南方の考え方は本来の曼荼羅思想に矛盾するものではなくむしろ真髄をつかんでいるという。
現実世界に対する”力”の契機をもたらすという。
そのような考え方に「変化・交替・平等の受容」が潜在していると説く。
それこそがブッシュに表されている一国主義の前に身動きが取れないかに見える世界に共生・棲み分けをとおした平和への道筋を示す考え方ではないかと熱く語り合う。
前に米原万里の本の紹介でも触れた”強いものが弱くなる”ということについて鶴見氏もジャック=イヴ・クストーの言を引く。
しかし、今までに読んでいる仏教の話とか中沢新一の「対称性の世界観」などに通じるものを感じた。遠回りをしながらぐずぐずしながらではあるが、何か真実の近くをさまよっていることだけは間違いないようで嬉しかった。
鶴見さんの
同じ日に逝かれた吉村昭の記事にむしろこの方を惜しむコメントが多かったのに。
種智院大学学長をされ密教に造詣の深い頼富氏との対談。
鶴見さんは「コレクション鶴見和子曼荼羅」という全9巻の著作があるほど曼荼羅思想に打ち込まれた。特に南方熊楠に傾倒し彼の独創になる「南方曼荼羅」を高く評価する。
それはニュートン力学の必然性・因果律を探ることが科学の使命であるという直線的な世界観が全盛であった時代に偶然性も科学の方法論に欠くことができないという複眼的な世界観の提唱だ。南方の考え方が正鵠を得ていたことはその後の「不確定性の原理」「量子力学」などの確立で実証されている。かれこれ一世紀近い先見だ。
真言密教の曼荼羅を世界認識・科学方法論のモデルとして認識し、南方曼荼羅に発展させる。静的な平面的な閉鎖的な”聖なる空間”としてとらえられがちであった「金剛界曼荼羅」と「胎蔵曼荼羅」に対し動的な立体的な開かれた、”聖なる結界を壊すものとしての”南方曼荼羅。
二人は南方の考え方は本来の曼荼羅思想に矛盾するものではなくむしろ真髄をつかんでいるという。
現実世界に対する”力”の契機をもたらすという。
そのような考え方に「変化・交替・平等の受容」が潜在していると説く。
それこそがブッシュに表されている一国主義の前に身動きが取れないかに見える世界に共生・棲み分けをとおした平和への道筋を示す考え方ではないかと熱く語り合う。
前に米原万里の本の紹介でも触れた”強いものが弱くなる”ということについて鶴見氏もジャック=イヴ・クストーの言を引く。
地球上に、生物の種が多様であることが、生物にとって持続して生きることの可能な条件であり、その種が減るほど、生き難い条件になる・・(略)多様なものがともに助けあって、生きていくのでなければ、生物はこの地球上に存続できないことを、実証的にはっきり述べたのです。その上で、文明・文化についても同じことが言えるといいました。強い文明が弱い文明を滅ぼしてゆくことによって、その強い文明自身が滅びに向かうことになるということです。正直なところ密教の曼荼羅解釈をめぐる話の半分も理解できなかった。特に頼富さんの話は分かりにくい。
しかし、今までに読んでいる仏教の話とか中沢新一の「対称性の世界観」などに通じるものを感じた。遠回りをしながらぐずぐずしながらではあるが、何か真実の近くをさまよっていることだけは間違いないようで嬉しかった。
鶴見さんの
老病死というけれども、死は一番すばらしいと思う。自分が大宇宙の一部に還っていくんだから。それで民俗学の中では、死は最高のハレと言いますでしょう。だからこれが成就なんですね。それまでに自分の本領を成就したい。成就して死ねば成就ですよね。成就して死ななければむだ死です。そう思って、毎日、一生懸命勉強しております。厳しい。87歳のときの対談である。
私はこの本を読んだことがありませんが、仏教における曼荼羅世界の宇宙観は神秘的なものがありますよね。
大日如理を中心とする金剛界、胎蔵界曼荼羅にも何かひきつけられるものがあります。
私は成就するということは、死ぬ寸前まで分からないものだと思ってます。死ぬ直前に幸せだったと思える生き方がしたいです。
大日如理を中心とする金剛界、胎蔵界曼荼羅にも何かひきつけられるものがあります。
私は成就するということは、死ぬ寸前まで分からないものだと思ってます。死ぬ直前に幸せだったと思える生き方がしたいです。
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haruikuyoshiさん、真ん中にいる大日如来と周辺部の菩薩とかいろいろな尊格の間には悟りの程度に差がありヒエラルキーもあるんだそうです。それでいて相互に交替もできる、という摩訶不思議な考え方ですね。魅力も感じますよ。
仏教ではこの世界は因果必然の世界である、というのが、根本の考え方であるはずです。
自然科学でも、この世界をエネルギーの働きと一体不可分でつくっている自然法則は、因果必然の法則として、理解されていますし、実際、自然法則のこの性質のおかげで、パソコンは、つねにパソコンとして使うことが出来ます。
量子力学的発見が、この世界の根源のところで、因果必然の法則を否定している、という主張は、なぜ、この世界が量子化されているのか、また、その量子化の原理は何かについて、まったく知らないことから来る誤解です。
この原因は、自然法則とエネルギーの性質、起源、働き方の原理、自然法則とエネルギーとの関係等について、科学基礎論的、科学哲学的な知識をいまだ科学者が欠いているからに過ぎません。
曼荼羅などを、いまさら持ち出しても、現実には何の役にも立たないどころか(たとえばイスラム教徒を納得させ得るでしょうか!)、世の中を混乱させるだけです。
もう少し実用的な哲学に基づく自然観、世界観、人間観がほしいのならば、次のブログをお調べください。
http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
自然科学でも、この世界をエネルギーの働きと一体不可分でつくっている自然法則は、因果必然の法則として、理解されていますし、実際、自然法則のこの性質のおかげで、パソコンは、つねにパソコンとして使うことが出来ます。
量子力学的発見が、この世界の根源のところで、因果必然の法則を否定している、という主張は、なぜ、この世界が量子化されているのか、また、その量子化の原理は何かについて、まったく知らないことから来る誤解です。
この原因は、自然法則とエネルギーの性質、起源、働き方の原理、自然法則とエネルギーとの関係等について、科学基礎論的、科学哲学的な知識をいまだ科学者が欠いているからに過ぎません。
曼荼羅などを、いまさら持ち出しても、現実には何の役にも立たないどころか(たとえばイスラム教徒を納得させ得るでしょうか!)、世の中を混乱させるだけです。
もう少し実用的な哲学に基づく自然観、世界観、人間観がほしいのならば、次のブログをお調べください。
http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
一般法則論者さん、ご教示ありがとうございました。
saheiziさん、とっても難しそうで読むのはあきらめます。
本には関係ありませんが、埼玉県立美術館(北浦和駅西口からトホ5分)
で「曼荼羅展」開催中です。私はこれから行こうと思っていたところです。
9月15日まで(確認してね)です。
地方の美術館も、静かでいいですよ・・・・
行かれる方は、おついでに美術館の「椅子」も見てください。もちろん、座ってもOkです。
本には関係ありませんが、埼玉県立美術館(北浦和駅西口からトホ5分)
で「曼荼羅展」開催中です。私はこれから行こうと思っていたところです。
9月15日まで(確認してね)です。
地方の美術館も、静かでいいですよ・・・・
行かれる方は、おついでに美術館の「椅子」も見てください。もちろん、座ってもOkです。
polarisさん、私の書き方が悪いのかも。面白いところもあるのですよ。美術館いってみます。
突然の病後に書かれたものですよね。読んではおりませんが・・・。「私がおしゃれをしなくなるのは、死ぬ時よ」と言っていた鶴見さん、凛とした美しい人でした。写真で拝見しただけですが。
歌人でもある彼女の最近の歌
「生類の滅亡に向かふ世の中に生き抜くことぞ終の抵抗」
「萎えたるは萎えたるままに美しう歩み納めむこの花道を」
死ぬまで成長できると言い切った人でした。
歌人でもある彼女の最近の歌
「生類の滅亡に向かふ世の中に生き抜くことぞ終の抵抗」
「萎えたるは萎えたるままに美しう歩み納めむこの花道を」
死ぬまで成長できると言い切った人でした。
みいさん、この本の後書きでもっと極めたいことを具体的に書いていらっしゃいます。すごい人です。
無駄死にしないために毎日一所懸命勉強している。
この最後の対談の言葉、とても感動的です。
有名な方で弟さんも活躍されているのに、熊方曼荼羅に傾倒、研究したことは知りませんでした。私は亡くなってからその業績を知ることが多いです。
この最後の対談の言葉、とても感動的です。
有名な方で弟さんも活躍されているのに、熊方曼荼羅に傾倒、研究したことは知りませんでした。私は亡くなってからその業績を知ることが多いです。
tonaさん、私もそうです。しょうがないですね。全部を知ることなんてでき無いのだから。
私は仏画をやっている時に曼荼羅の世界を一度 描きたく思いましたが出来ずに仏画をやめてしまったことが残念です。
何事も勢いのある時にやり遂げる事が大事ですね。
今振り返ってみると仏像彫刻も仏画もやっている時の無心な気持ちが良かったと思っています。自分が仏像を造り出すのではなく仏様が手伝ってくださった様に思えるのですね。
難しい仏教の話は私には理解できませんので
瀬戸内寂聴さんのCDを聴いております。
何事も勢いのある時にやり遂げる事が大事ですね。
今振り返ってみると仏像彫刻も仏画もやっている時の無心な気持ちが良かったと思っています。自分が仏像を造り出すのではなく仏様が手伝ってくださった様に思えるのですね。
難しい仏教の話は私には理解できませんので
瀬戸内寂聴さんのCDを聴いております。
sakuraさん、そうですか。素晴らしい経験ですね。私はまだなかなか余裕が無いです。
ホントは余裕が先か、無心に何かを(たとえば仏画)やるか、どっちが先かよく考えなければいけないとは思うのですが。
ホントは余裕が先か、無心に何かを(たとえば仏画)やるか、どっちが先かよく考えなければいけないとは思うのですが。
by saheizi-inokori
| 2006-08-15 09:50
| 今週の1冊、又は2・3冊
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