ユニークな評伝 田中淳「画家がいる『場所』 近代日本美術の基層から 」(ブリュッケ)

自然に対する姿勢。
岸田劉生(1891~1929)は
自分は本能的なものはあく迄細密になる方が自然だとこの頃信じられて居る。
其処に在るてふ事の不思議さよー実にーひれふして、祈らんか、されど答へはすまじー実にー只描け。在るてふ事を説き得る迄。
といい、後期印象主義とは訣別、独特の擬古典的な細密写実を積みあげる。

ユニークな評伝 田中淳「画家がいる『場所』 近代日本美術の基層から 」(ブリュッケ)_e0016828_950991.jpg
萬鉄五郎(1885~1927)はそれとは逆に自然を再現することではなく自分を表現するのが絵だと考える。”大地の下になにか恐ろしいものがあって、それを引き出して見せてくれる画家”(野見山暁治)。キュビズムはそのような彼の表現に”使える”限りにおいて取り入れらるがそこに安住する画家ではない。

劉生と萬は対照的な自然観の持ち主だが共に強烈な自意識をもって自然に挑みかかっていくという点では共通する。
川上涼花(1887~1921)は
その頃の涼花にとっては、同時代のどんな絵も自然の冒涜と思はれ、自分を低く、低くして、地平に腹匍ひにならなければ、自然の真と美に同化することができないと考へられたのに相違ない。(青野季吉)
他に、
黒田清輝(1886~1924)、青木繁(1882~1911)、木村荘八(1893~1959)、古賀春江(1895~1923)、坂本繁二郎(1882~1969)、松本竣介(1912~1948)
日本の近代絵画の先駆けとなった画家たちのユニークな評伝だ。
久留米や佐賀、岩手県、フランス、茅ヶ崎等々、画家たちがじっさいにいた「場所」をまわってきました。そうすると、いかに画家がその地の自然や風土と密接にかかわり、またそこで人との関係の中で暮らし、絵を描いていたかが、実感として感じられる場面に何回も出会うことができました。又、特定の宗教ではなく、宗教感情が創作に沁みこんでいる実態も見てみたいのです。
あまりに長々しい肩書き、でも書くか。
独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所美術部 黒田記念近代現代美術研究室長(ひとつの肩書き?)である田中淳さんの講演を基本にした楽しい本だ。
話し言葉を基本にしていること、たくさん絵や図を載せてあること。
何よりもその方法論が示すように土地やそこに住む人々と同じ視線でものを考えていくのが読むものにも美術史、画家論だけでなく旅行や歴史を旅する感覚も味あわせてくれる。

モノクロの挿絵で実物を見ずにその絵のことを語るなんて!とおっしゃりめさるな。
書中にも出てくるが明治末期、彼ら日本のエース画家たちは本物どころか今われわれが手にする素晴らしい印刷もない、海外美術雑誌に載っているモノクロの写真や展覧会のカタログを見てセザンヌ、ゴッホ・・の新しさを理解し受容していった。

明治から大正へ、画家たちは希望に燃えて躍動する個性を伸び伸びと発揮していく。
戦前から戦中、戦後にかけての息苦しさを松本の短い人生に見ると夢の時代だ。

それにしても登場する画家たちの短命さ!
29の青木から41の萬まで30代が4人。
たとえば松本が新妻とかっこよく戦中の新橋を歩く写真をみるとそれからいくばくもしないうちに此の世を去ったことが取り返しのつかない・悔しいこととして胸せまる。
坂本が87歳の長寿を全うすることによって、晩年の幽玄とも評される現世的な執着を離れて自然の美しさにひたりきった作品をものしていたこととあわせて考えてもです。

ユニークな評伝 田中淳「画家がいる『場所』 近代日本美術の基層から 」(ブリュッケ)_e0016828_949579.jpg
しかし、著者はやさしい。
ともすれば36歳で亡くなったこの画家のことを「夭折」ととらえがちでしたが、この困難な時代に確実に竣介は成長し、成熟をとげ、自信にみちていたにちがいないと、あらためておもうようになりました。
しかし・・・。

あとがきで著者が云うように、人と人の連鎖、『ご縁』がとても大きな役割を果たしている。
俺はブログをやってもそれを思うよ。
Commented by polaris at 2006-08-08 17:09 x
7月はじめ、久し振りにブリジストン美術館へ、坂本繁次郎展を観に行ってきました。  坂本繁次郎の作品を見るのは、はじめてです。
ひと言で言えば、わたしが知る限り、いちばん幸せな画家だと思いました・・・。 理由なくわたしを幸せにしてくれたからです。
Commented by sakura at 2006-08-08 19:36 x
私も坂本繁次郎の作品 初めてブリジスとン美術館で観ました。
私が面白かったのは サインでした。 
若い頃は力強い絵で その頃のサインは、どれもまちまちのサイン。
版画も良かったです。水彩画などはサインの変わりに小さなハンコ。
油絵の右からのサインが面白い。『ともかさ』 『年四正大』
と言った具合に綺麗な字で、、、本当に字もうまいと思いました。
サインの色も、どれも晩年は統一して字も1950年頃からは左から書かれていて、、能面や箱類も晩年の絵は色が殆んど使われてないのに
味が出て素晴らしくよい絵でした。
絵のモデルになった 石ころも、レンガも遺品として飾ってあリましたが
有名な方の絵になると石ころも展示までしてもらえる。色々オカシク 
久し振りに絵を鑑賞して参りました。以上感想まで・・・
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-08 23:05
私ももう一度ブリジストンに行って見ます。九州にもブリジストンが在るのですか?八重洲だけじゃなくて。
Commented by sakura at 2006-08-08 23:29 x
私は八重洲で観ましたけど・・・・誰にお聞きになっているのかな?
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 00:16
sakuraさん、八重洲は私も行きました。この本で九州にも在るような書き方をしていたものですから・・。今確かめてみたら私の勘違いのようです。すみませんでした。
八重洲に行ったとき其処まで丁寧に見なかったのです。今度はこの本を携えていってみます。
Commented by イネ at 2006-08-09 00:24 x
松本夫妻すてきですね。何年か前信州上田のデッサン館で松本の絵をみました。生々しくどきっとしたことを覚えています。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 08:19
戦前から戦中にかけて軍部などからプレッシャーがかかる中で抵抗を続けた松本竣介はその面の疲労もあったのでしょうね。
書中に紹介されているナントカ大佐の発言はひどいものがあります。
Commented by tona at 2006-08-09 10:11 x
この画家達について、土曜日の「美の巨人」で紹介されているのを見ました。この本のユニークな評伝も面白そうです。
私の実家の茅ヶ崎の名前が出ていますが、どんな画家と接点があったのか興味が湧きます。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 11:07
tonaさん、萬鉄五郎が晩年、といっても42で逝くのですが、茅ヶ崎で暮らしたそうです。岩手出身の萬が明るい砂浜の茅ヶ崎で明らかに画風も変わっていくことを本書は説明しています。
いかにも眉目秀麗な天才でした。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 11:12
tonaさん、素敵なブログを見つけました。無断でアドレス書いちゃいけないのかもしれませんが、こっそり。
http://homepage3.nifty.com/ShonanZaZaZa/starthp/subpage19.html
Commented by Fou at 2006-08-09 14:26 x
岸田劉生(麗子像の)も茅ヶ崎に住んだ一人ではなかったかとおもいます。先年観た回顧展で茅ヶ崎の風景をみたのは岸田展だったと思います。うろおぼえになってしまいましたが。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 14:35
Fouさん、今ホンが手元にないので後で調べますが茅ヶ崎ではなく鵠沼だったかと・・。その後京都にい。くんですね。
Commented by Fou at 2006-08-09 15:26 x
固有名詞オンチだと自覚あるのに、つい、うっかり口が出てしまいました。
茅ヶ崎、鵠沼、辻堂、あの辺は私の頭では一つ、困ったものです。

その鵠沼の風景画は劉生のまったくちがった画風を見た、と感じたことを憶えています。ありがと!
Commented by tona at 2006-08-09 16:35 x
saheiziさん、萬鉄五郎さんでしたね。茅ヶ崎美術館にも作品があると聞いたような覚えが。今度行ったときに入館してみます。それにサイト紹介ありがとうございました。長くてまだ全部見られませんが。
Fouさんもありがとうございました。劉生と鵠沼、初めて知りました。
Commented by そら at 2006-08-09 17:58 x
九州福岡の久留米に、「石橋美術館」というのがあるよ。梟さんがおっしゃってるのはそこじゃないかな~。「石橋美術館」も、ブリジストンの系列というか、ゆかりあるところだったような。。。。そこには陸揚げの様子を描いた作品があって(だれの何という作品だったか…美術の本には載ってたんだけど)とても心惹かれました。高校生のときの記憶です(^^;)
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 23:05
そらさん、いらっしゃい!そうです、どこかにそんな記事を見ました。
千葉の布良海岸で想を得た「海の幸」が石橋美術館に在るのでした。
この作品がどのように描かれたかを本書は書いています。
坂本繁二朗と青木は久留米高等小学校の同級生、布良にも一緒に行ったのです。
坂本の話に寄れば漁師の水揚げの光景を青木は見ていなかった。しかし坂本の話でインスピレーションを得て一気呵成に、しかも坂本たちを手下のようにこき使いながら、かきあげたのだそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 23:10
Fouさん、tonaさん、彼らが湘南の明らかな光の中で今までと違う絵を描き始めた、場所というものの大きさ、それが本書のテーマです。
GOOGLEでしらべても画家がどこで作品を描いたかと云うことはあまり記述されていないですね。
田中氏の独創だと思います。
Commented by Fou at 2006-08-09 23:32 x
湘南の遮るもののない広い空、草むらや茂みのある鄙びた道の絵が目に浮かびます。「麗子像」のグロテスクな写実とは全然ちがう絵に驚いたようでした。図録を買ったと思いますが、捜す暇なし、このところコンピューターにかじりついていますので。
皆さんのブログはコーヒーなしのコーヒー・ブレイクになっています。感謝、感謝。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-09 23:48
Fouさん、こちらもあなたのコメントを楽しみにブログを続けます。感謝、感謝です。
Commented by Fou at 2006-08-10 01:23 x
佐平次さんはソフィスティケイテッドなお世辞もおっしゃるのですね。

tonaさん、間違えたことをお知らせしてしまって... でもここのご亭主がちゃんと訂正してくださったので安心しました。

Commented by tona at 2006-08-10 08:36 x
湘南の明るい光の中・・確かに日照時間の長い、海がすぐそばに光るかの地は画家に影響を与えるのですね。とても勉強になり、この本も是非読みたくなりました。
Fouさん、そのお陰さまで鵠沼、鎌倉(高校時代の友人がたくさん居て遊びまわりました)など思いを馳せています。
Commented by nari198989 at 2006-08-12 10:47 x
萬は、東和町(現花巻市)の出身で、現在萬記念館というのがあります。小さい美術館ですが、なかなか、こざっぱりして好きです。宮沢賢治記念館や、遠野に足を伸ばしてもいいです。
私は萬は記念館が出来るまで知りませんでした。洋服のデザインもしてたようです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-13 16:00
nariさん、こんにちは、涼しい八ヶ岳から帰ってきたところです。岩手は数年前までは八幡平によく行きました。いい温泉がたくさんありますね。
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by saheizi-inokori | 2006-08-08 09:59 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(23)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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