近づき難いほどの端正さ 緻密な考証 吉村昭「史実を歩く」(文春新書)
2006年 08月 06日
俺はあまり良い読者ではなかった。
初めて読んだのが「史実を歩く」(文藝春秋)、6つの自作の歴史小説を例に史実をどのように確かめて行ったかを書いた本だ。
長崎に33年間で100回近く出かける。
彼を追悼した文章を加賀乙彦が書いている中でもそのことに触れて、吉村の「海外旅行に行くなら自分はもっともっと国内を歩きたい。あれだけ行った長崎の石畳だって全てを踏んではいない」のような言葉を紹介している。
「桜田門外ノ変」を書いたときは思いつく限りの文献・資料に当たって、事件の際降っていた雪がいつやんだかを突き止める。
「生麦事件」では薩摩藩の行列を乱して斬られる英国人の、その斬られ方をめぐって、薩摩示現流の実際を鹿児島で確かめ刀の長さを明らかにする。
そのような顕微鏡とピンセットを駆使しながら拾い集めた事実も小説の中ではたった一行、一言でしか表現されない。
端正な文章。
その筆の陰に潜んでいる対象人物に対する深い愛惜の念・賛仰の心など作者の熱い感情は、読む側が心を白紙にして一行いち行、一言ひと言を確かめながら味あうようなものだ。
俺のようにゴールが逃げてしまわないかと焦り飛ぶがごとく、餓鬼が飯にありついて頬張るがごとく本を読むような奴バラには本来縁無き存在とも云うべき作品たちだ。
「破獄」「暁の旅人」「私の好きな悪い癖」・・悪い読者をも楽しませてくださった吉村さんのご冥福を祈る。
さっそく吉村昭の本を書棚から探したけどなぜか無かった。ならばと近くの書店へ。文庫では数冊しか置いてない。その中から新しめのやつを一冊選んだ。『歴史の影絵』。 作者の...... more
「亭主の家出」という作品があったような記憶が。
友人と落語を聴きに行く(桂枝雀さんでした)約束をしていたのを100%忘れて読んでいたのですが、その中に落語のシーンが出てきて、「アッ、今日落語だった!!」と思いだせたのです。
吉村さんのおかげで、友人との約束をすっぽかさずにすみました。
そもそも奥さんの津村節子さんの書かれたものの中に旦那さんとしてあまりよく書かれていなかったので読まなかったというのが理由です。
そんなことと作品とは全然別ですね。
ぼくの大学時代からの友人で幕末維新研究の大家がいますが、吉村さんは彼のところも訪ね、その強烈な実証精神に友人も感動したというようなことを、どこかに書いているのを読んだことがあります。
途中でやめてしまったの『桜田門外の変』を探しましたが見つかりません。
鶴見和子さんと多田富雄氏の往復書簡の「邂逅」を読み感激しました。
ステキな方でしたね。
髭彦さんのお姉さま(お目にかかったことはない)に、和子さんのイメージが重なることが何度かありました。
吉村さんの 『海も暮れきる』 を読んで、尾崎放哉が
この腕の中で絶命したのではないかと思えるくらいの臨場感を持ちました。
たしかに吉村さんの本は面白くなるまでに時間がかかるように思いました
http://blog.goo.ne.jp/nazohige/e/87dd5211d276adc1b47c367c7590ee99
吉村さんの死を書いたら鶴見さんつながりになるのも面白いといえば面白いです。前に久世さんの記事のなかで米原さんにちょっと触れたらそちらの話しがたくさん来たみたいです。
いい記事をありがとうございました。