毎朝写真に手を合わせてはいるけれど 

7月27日は父の命日、もう半世紀ではきかない。今の俺の子供たちとそう変わらない年で逝ったから、親といっても母と違ってやや遠い存在だ。

毎朝写真に手を合わせてはいるけれど _e0016828_19221433.jpg
酒飲みで、給料日に月給をすっからかんになるまで飲んでしまったとか、エピソードをいろいろ聞いたが母の苦しむ話が多かった。
しかし母はそれを愚痴としてではなく懐かしい思い出として語ってくれた。
天才肌で(要するに努力家じゃないってことかな)・芸術志向が強く・正義感も強く・・どこまでが現実か分からない。
上司とはしょっちゅう衝突したが部下たちには慕われたという。


その父を子とした祖母が歌った歌
「二十九年夏長野へ行く」とあって

亡き父の写真の前にぬかつきて児らは供へぬ成績表を

今さらに亡き人恋いしのこしたるその妻子らを見るにつけても

長野は当時俺たちが住んでいた。夏暑く、冬寒かった
次は昭和32年の歌

送りたるいささかの金にうまごらが喜ぶさまを想ふ楽しさ

ともすれば葬りの事を言ひあひし父母の年も既に越えたり

臆面なく脚を投げ出しあぐらくむこれが昭和の乙女なりけり

第三首、毎週自分たちの読んだ週刊誌を送ってくれたり、時にオコズカイも。
第五首、ヘソダシやら尻だしを見たら・・目を回すかな。
写真は館山の海岸で遊んでいた犬たち もっとたくさんいたけれど携帯で追いかけられなかった
子犬のような俺がこうしてジジイになれたのも祖母などの慈しみの心に支えられたからだ。
そしてまごうことなき父の血を引いて生きてきたのが今の俺だ。
Commented by knaito57 at 2006-07-19 10:13
妻が同人で、しかも「若手に属する」という短歌誌の校正を毎月やっています。技量はともかく自分より20歳も年長のさまざまな暮らしと人生、「生老病死」を懸命に詠むようすに打たれます。上の歌では「送りたるいささかの金に〜」が好きですが、詠み手の心の機微を理解するにはやはり貧窮体験が必要ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-19 11:25
knaito57さん、歌や詩を詠めたらいいなあ、とおもいます。母も祖母もこれがあったから生きてこれたのかもしれません。
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by saheizi-inokori | 2006-07-17 19:32 | わが母と祖母の遺したまいしうた | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori