億万長者になったらば 貧乏学生の夢は果てしない?
2006年 06月 28日
昨日「グスタフ・マーラー」の紹介の中でテイフアニー家の豪華さを書いた。knaitoさんやporarisuさんからコメントがあって返信しているうちに思い出したこと。
前にも書いたように俺は超・極貧家庭に育った。大学も当時育英会「特別奨学生」という制度が出来て月に7500円支給してくれる、その適用第一号になったから行けたようなものだ。
もっとも、チャンとした家庭から来た者も寮に入るような男は大体貧乏で、その貧乏ぶりを自慢にしているような気分もあった。金持ちが恵まれた環境で進学するのはあたり前で俺たちゃ、貧しくっても・・の気概だ。家庭教師が毎週一回(2時間)2500円が相場。俺は二軒くらい週三回。飯つきを選んだ。気が乗らなくてサボると後にたまっていって毎日行かなくてはならない。試験で泥縄、毎晩3冊くらい参考書を読まなくてはならないときに大抵生徒も試験で、サボるわけにはいかず・・つらかったね。でも、大学出の初任給が2万円なかった頃の15000円は寮費が安くて洋服は着たきり雀だし、後は映画を観るか安酒と古本屋、結構楽しくやっていけたね。

計画性なんてありようもない。スッカラカンになると動きが取れない。酒どころか出かける交通費にも事欠く。
勉強などしなくても夜は遅くまでダラダラしている。一部屋4・5人の相部屋だからそうなってしまう。夜10時くらいになると誰ともなく言い出して、ゾロゾロ、サンダルを引きずり、着たきり雀のジャンパーを羽織って近くの外食屋に出かける。3軒ほどある、どの店も大体60円で定食が食えた。「トン汁定食」「ホルモン定食」(マルマルと毒々しい赤のソーセージが一本ごろんとキャベツの千切りの傍らに転がっている)などを毎晩とっかえひっかえ。ところがスッカラカンにはそれすら無理になる。
25円の「経済ラーメン」というのがあって素饂飩ならぬ素ラーメン、要するに何もトッピングしてない。それでも「インスタントラーメン」、「泉屋のクッキー」の空き缶を鍋とドンブリ代わりに寮の洗濯機置き場にある電気コンロに乗っけて「あちち」と唇を焼きながら立ったまますするよりは人間味があった。先ごろ某大学教授を退職した友人にそのラーメンをおごったことは今でも感謝されている。
そんなときに「おい、一日に100万円使い切ってしまえと言われたらどうする?」みたいなバカ話に興じたことがある。「ええと。酒飲んで、ステーキ食って・タクシーで銀座に行って映画を観て・・」、そんなこっちゃラチがあかない。悲しいことに貧乏な国から貧乏を広めにやってきたような連中だから金の使い方なんて想像力が追いつかない。「一日?三日じゃダメか?」なんてね。
そのとき、俺様の回答。「ウイーン・フイルを呼んで来て俺の目の前でペギー葉山の伴奏をさせる。南極から取り寄せた氷で一番高いウイスキー(名前は知らない、せいぜいジョニクロ)を飲みながらそれを聴く。そういう風に考えていけばいくらでも使えるんじゃないか」。
結構みんな感心していたぜ。
考えてみればテイフアニー君はそんなことは当たり前の生活をしていたんだ。奨学金も貰わずに!大麻を吸いながら。
写真は「岩舟」。小学校のとき母が病気とかの時にかけうどんを出前で取ると嬉しくてしょうがなかった。今は夢のような蕎麦がいつでも食べられる。シヤヤセジャノー。
前にも書いたように俺は超・極貧家庭に育った。大学も当時育英会「特別奨学生」という制度が出来て月に7500円支給してくれる、その適用第一号になったから行けたようなものだ。
もっとも、チャンとした家庭から来た者も寮に入るような男は大体貧乏で、その貧乏ぶりを自慢にしているような気分もあった。金持ちが恵まれた環境で進学するのはあたり前で俺たちゃ、貧しくっても・・の気概だ。家庭教師が毎週一回(2時間)2500円が相場。俺は二軒くらい週三回。飯つきを選んだ。気が乗らなくてサボると後にたまっていって毎日行かなくてはならない。試験で泥縄、毎晩3冊くらい参考書を読まなくてはならないときに大抵生徒も試験で、サボるわけにはいかず・・つらかったね。でも、大学出の初任給が2万円なかった頃の15000円は寮費が安くて洋服は着たきり雀だし、後は映画を観るか安酒と古本屋、結構楽しくやっていけたね。

計画性なんてありようもない。スッカラカンになると動きが取れない。酒どころか出かける交通費にも事欠く。
勉強などしなくても夜は遅くまでダラダラしている。一部屋4・5人の相部屋だからそうなってしまう。夜10時くらいになると誰ともなく言い出して、ゾロゾロ、サンダルを引きずり、着たきり雀のジャンパーを羽織って近くの外食屋に出かける。3軒ほどある、どの店も大体60円で定食が食えた。「トン汁定食」「ホルモン定食」(マルマルと毒々しい赤のソーセージが一本ごろんとキャベツの千切りの傍らに転がっている)などを毎晩とっかえひっかえ。ところがスッカラカンにはそれすら無理になる。
25円の「経済ラーメン」というのがあって素饂飩ならぬ素ラーメン、要するに何もトッピングしてない。それでも「インスタントラーメン」、「泉屋のクッキー」の空き缶を鍋とドンブリ代わりに寮の洗濯機置き場にある電気コンロに乗っけて「あちち」と唇を焼きながら立ったまますするよりは人間味があった。先ごろ某大学教授を退職した友人にそのラーメンをおごったことは今でも感謝されている。
そんなときに「おい、一日に100万円使い切ってしまえと言われたらどうする?」みたいなバカ話に興じたことがある。「ええと。酒飲んで、ステーキ食って・タクシーで銀座に行って映画を観て・・」、そんなこっちゃラチがあかない。悲しいことに貧乏な国から貧乏を広めにやってきたような連中だから金の使い方なんて想像力が追いつかない。「一日?三日じゃダメか?」なんてね。
そのとき、俺様の回答。「ウイーン・フイルを呼んで来て俺の目の前でペギー葉山の伴奏をさせる。南極から取り寄せた氷で一番高いウイスキー(名前は知らない、せいぜいジョニクロ)を飲みながらそれを聴く。そういう風に考えていけばいくらでも使えるんじゃないか」。
結構みんな感心していたぜ。
考えてみればテイフアニー君はそんなことは当たり前の生活をしていたんだ。奨学金も貰わずに!大麻を吸いながら。
写真は「岩舟」。小学校のとき母が病気とかの時にかけうどんを出前で取ると嬉しくてしょうがなかった。今は夢のような蕎麦がいつでも食べられる。シヤヤセジャノー。
自分は貧しさを知っている年代だと威張っていますが、現実にそう云う暮らしをした人の話を聞くと頭が下がります。わたしもシアワセモノです。
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antsuanさん、おふくろは「私は貧乏だなんてあまり思わなかったよ。だって回りがみんな同じだったから」といってました。絶対的な貧困は困るけれど、格差が問題かもしれませんね。
暖房器具といえば小さな電気アンカしか持たなかった私は,下宿でキムチを一袋食べて一汗かき,そのまま毛布をかぶって本を読んだことを思い出しました。

お母様のおっしゃるとおり、絶対的な貧困は困るけれど、狂気とも思えるテイフアニーの生き方は、しあわせ・・とはいえないでしょうね。
あまり貧乏すぎて、お金持ちになりたいなんて思いもしませんでした。
おかげで、すこしは、他人を思いやる気持ちをいただきました。
あまり貧乏すぎて、お金持ちになりたいなんて思いもしませんでした。
おかげで、すこしは、他人を思いやる気持ちをいただきました。
ほぼ同じ世代だから、よくわかります。
まして、田舎から、当時は郵便で現金書留で、仕送り。重要なことは電報。郵便配達の人、神様のように思えました。
幡ヶ谷の50円ラーメンが、すごい大盛りで、それはラーメンというよりは
今考えると素麺ではなかったか。でもありがたかった。
岩舟の、その蕎麦の横にある、美味しそうなモノ、何ですか?
まして、田舎から、当時は郵便で現金書留で、仕送り。重要なことは電報。郵便配達の人、神様のように思えました。
幡ヶ谷の50円ラーメンが、すごい大盛りで、それはラーメンというよりは
今考えると素麺ではなかったか。でもありがたかった。
岩舟の、その蕎麦の横にある、美味しそうなモノ、何ですか?

夢のような暮らしはあまりしたいとは思わないなあ。今でいいです(笑
蕎麦の横にある美味しそうなモノ?私も気になってます^^
蕎麦の横にある美味しそうなモノ?私も気になってます^^
金持ちが恵まれた環境で進学するのはあたり前で俺たちゃ、貧しくっても・・というのは私達の学生時代にもありまして、友達同士で貧乏自慢、よくやりましたよ。キャベツの芯料理のレパートリーの広さとか、競い合ったりしましたっけ。
蕎麦の横の美味しそうなモノの向こう側の手は
いつも一緒に岩舟にいらっしゃる(と岩舟の方がおっしゃる)方のお手ですか?
いつも一緒に岩舟にいらっしゃる(と岩舟の方がおっしゃる)方のお手ですか?
皆さん、今日も酔って候。岩舟の美味しそうなもの?多分かき揚げだと思うがの。俺はあの日は鴨だった。会社の若いシュ、4人と遭遇。元はといえば俺が教えてあげた店なんだ。
貧乏って決して悪いもんじゃないよね。美味しい蕎麦を教えてもらって給料日にくる喜び。いつもこれたらあまり嬉しくないかも。もっとももう貧乏じゃないけどね、若いモンも。
貧乏って決して悪いもんじゃないよね。美味しい蕎麦を教えてもらって給料日にくる喜び。いつもこれたらあまり嬉しくないかも。もっとももう貧乏じゃないけどね、若いモンも。
gakis-roomさん、私も同じ、電気アンカで足首に低温やけどした跡のケロイドはまだ残っています。
mitskiさん、キャベツの芯料理自慢はやらなかったなあ。
みいさん、でもあの頃から見たら、今は夢のような暮しかもね。
porarisuさん、隣のオバサンにお米を借りに行ったり病気で休むと我が子のように心配していただいたり・・。
夢八さん、決して定期的とはいえないけれど母が2000円とか送ってくれたときは豊かになった気持ちでした。母にとっては大変なカネだったと思います。
asakoさん、だからそれは冤罪だって!
gakis-roomさん、キムチでしたか。私は玉ねぎをスライスしてお湯を注ぎウイスキーを垂らした特製ドリンクで暖をとりかつ”一時的”な眠気覚ましにしました。ウイスキーの按配が微妙。いれ過ぎるとうまいけれど眠くなってしまいました。懐かしいですね、あの頃。
佐平次さんったら、またasakoさんに必死になって弁解してる~(笑)。
弁解じゃないもん、無罪の抗弁というやつ!
by saheizi-inokori
| 2006-06-28 23:24
| よしなしごと
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