「酷」はCOOL 「カッコイイ」だ 劉徳有「日本語と中国語」(講談社) 

1931年に大連に生まれる。日本統治下、5歳の頃から日本語教育をうける。
日本人が米を食うなかで中国人にはトウモロコシ粉とドングリ粉が配給されるという忌まわしく不愉快極まる記憶をもつ。
だから戦後「二度と日本語を口にするまい」と心に誓った。
なのに新生中国の対日関係の仕事に就かざるを得なくなり郭沫若、毛沢東、周恩来、劉少奇などの日本語通訳を務める。新華社通信の首席記者として15年間滞日。元中華人民共和国文化部副部長。

漢字という共通のツールがあることは日中の人々のコミュニケーションにどれだけ利していることか。しかし、にもかかわらず、時にはであるからこそ言葉のニュアンスの違い、すなわちものの考え方の違いが分からずに誤解しあうことは多い。

李白の「山中 幽人と対酌す」の詩。日中の教養人ならば幽人、都会の喧騒から逃れ山奥に隠棲している人物を直ぐに思い浮かべることが出来る。「一杯一杯復(又)一杯」も盃を悠々と酌み交わすイメージが湧く。
ところがアメリカ人には幽人のイメージが湧かない。いろいろ説明していると「分かった。それはホームレスのことだ」という始末。「一杯一杯」も盃ではなくコップをイメージして単なるウイスキーのがぶ飲みを想像してしまう。

2001年に小泉首相が盧溝橋の「抗日戦争記念館」で「忠恕」の二文字を揮毫した。首相は単純に真心と思いやりの意味を表す言葉として書いたのであろう。
しかし、中国人から見ると「忠」には「忠君愛国」の天皇陛下に対する「忠」という文字のイメージがある。「恕」には「許す」という意味が。いったい誰が誰を許せ、といいたいのか。
日中双方の辞書に載っている「忠恕」という言葉の背景にある国民感情が大きく隔たっているから小泉首相の行為は意図的にやっていないとしたら結果として極めて不適切だったことになる。

というような前書きがあるからかなり本格的な論考かと思ったらそうでもない。
日中の言葉事情あれこれみたいな肩のこらない話題が多い。表題に書いたような「新詞」(新語)という新しい言い方・言葉の使い方が2003年頃から急速に普及するようになったとか。
カタカナが無いから外来語の表記に苦心する話。日本の漢語の逆輸入情況・・などなど。
「拝拝」、これは「バイバイ」。著者は60年代に日本人が「バイバイ」というのを「さよなら」とか「じゃ、又ね」という言葉があるのに、と聞きづらかったが78年に帰国して中国でも当たり前に使われているのに気がつきやがては抵抗がなくなる(俺は今でもいい若いモンが「バイバイ」とやるのがどうも気になるけれど)。

「酷」はCOOL 「カッコイイ」だ 劉徳有「日本語と中国語」(講談社) _e0016828_11465159.jpg
「我輩は猫である」を中国では「我是猫」と訳しているそうだ。「私は猫です」。「I Am a Cat」。
これじゃ漱石も苦笑いするしかない。胃弱は募る一方だね。著者は別の言葉の方が(時代劇などで英雄豪傑が使う言葉)の方がいいと考えるが、その言葉が現代の中国では”市民権”を得ていないから改訳は難しいようだ。著者はいう。
翻訳は単なる「言葉の移し替え」ではなく、いかに相手国の文化を尊重し、深く理解するかという深層に関わる問題である。私は中国の人たちがより文化的に成熟した暁には、「我輩は猫である」が「ザーチャ(口に自、このソフトにはなさそうな文字と家)是猫」か、あるいはもっと適切と思われるタイトルで翻訳される日が来るに違いないと信じている。
写真・背景は「父の日プレゼント」
Commented by Fou at 2006-06-18 12:34 x
今日は李白が顔を出して。
グスタフ・マーラー「大地の歌」に使われたのはこの同じ詩ではないかと思いますが。
カスリーン・フェリアー(コントラルト)、パツァーク(テノール)、ブルーノ・ワルター(指揮)、ウィーン・フィルというのが「私の一枚のレコード」です。
Naxsos レーベルの”Nazos historicals"(?) に780円で出ていますが。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-18 13:22
Fouさん、何楽章ですか?第一楽章と第5楽章が李白の酒に関わる詩ですね。でも、これとはちょっと違うかも。私の持ってるCDはBRUNO WALTAER(NYフイル)です。ミルドレッド・ミラー(ソプラノ)エルンスト・へフリガー(テノール)。初めてCD演奏が出来るオーデイオを買ったときに無料で頂いた(店のサービス)モノです。久しぶりに聴いてみようかな。
Commented by tenjin95 at 2006-06-18 13:49 x
> 管理人様
失礼いたします。
猫で思い出したのですが、最近、中国語で「猫」というのは、インターネット接続に用いる「モデム」のことらしいです。若い人が使うらしいのですが、何故猫なのか?理由は分かりませんが不思議です。ついでに、マウスは「滑鼠」ですから、こちらは良く分かります。

漱石の「我が輩は~」ですが、それこそ本来の題名で『猫伝』の方が、まだ良かったような気もします。
Commented by Fou at 2006-06-18 15:02 x
saheijiさん、
いい加減な記憶でものを言ってごめんなさい。李白は1,4,5歌ですね。「幽人と杯を交わす」を見て終曲のイメージが浮かんだのです。これは別の詩人ですね。
さらに不正確:Nazox historical のは48年ワルター、フェリアーですがNY phil.のライヴでした。フェリアー狂には貴重なものですが、録音はほめられません。
ミルドレッドもあるはずです。この曲は店頭で見かけると買ってしまうので何枚持っているのか数えたことがない。ごく最近の新刊CDについては無知ですが。
suiryutei座敷のように今ワルター/ウィーンphil の一枚が鳴っています。1936年のliveのSP盤からCD化したもの。Kersten Thorborg(ソプラノ!)。「Ewig...」がまもなく...
この後に「私はこの世から忘れられ」がおまけで入っています。
この一枚はお薦めできます。
  オーパス蔵(キングインターナショナル販売)、OPK2049(2004)
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-18 16:31
tenjin95さま、いらっしゃいませ。猫伝、そうですね、その方がまだましですかな。マウスは鼠標とも言うようですね。台湾が滑鼠だと劉さんは書いてます。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-18 16:33
梟巣にもマーラーがジャジャジャジャーント鳴り響きましたよ。
Commented by suiryutei at 2006-06-18 19:00
こんばんは。
マーラーの「大地の歌」は李白の詩と関わりがあったんですか。知りませんでした。
李白の名を目にしただけで、また飲みたくなってきたぞ。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-18 20:06
お帰りなさい,suiryuteiさん。あまりのみ過ぎないように、とはいえ私もいい気持ちです。サッカーを見るかどうか迷ってます。
Commented by nao at 2006-06-18 20:22 x
プレゼントのアロハシャツ素敵ですね!佐平次サンに良く似合いそうです。私もこのままいくとサッカー見てしまいそう〜
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-18 20:28
naoさん、見るっきゃないかもね。国民の義務っちゅうか、浮世のつき合いだね。10時からでよかった。
Commented by shimamelon at 2006-06-19 15:57
おもしろそー、この本、すぐに読んでみます。
来年くらいに、数人で吉林省長春に行こうと計画していて、あのあたりはカントウ軍がえばりちらしたあたりですからねー、一応歴史を勉強してかr行こうと思っているんです。
ステキなシャツー(と、よさげな瓶)、これからの季節にいいですね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-19 20:00
shimamelonさん、吉林とか中国じゃーというところ、行ってないんです。北京と香港だけ。行きたいなあ。
Commented by jiuxihuan at 2006-06-19 23:36
翻訳は単なる「言葉の移し替え」ではなく、いかに相手国の文化を尊重し、深く理解するかという深層に関わる問題である。

これ、すごく納得です。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-20 09:54
jiuxihuanさん、同じことを米原万里さんも言ってました。
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by saheizi-inokori | 2006-06-18 11:57 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(14)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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