楽しく読みやすい 山口仲美「日本語の歴史」(岩波新書)

「太田太郎我身(わがみ)手負ひ、家子郎等(いえのころうどう)多く討たせ、馬の腹射させて引き退く」(平家物語)。
「討たせ」「射させ」は「討たれ」「射られ」をそのままに言うことを嫌い「討たせてやったんだ」という負け惜しみ・強がり表現だ。

こういう空威張り的な表現を「武者詞」という。著者は
どこか滑稽で、私はこういう言い方が好きです。
と、おっしゃる。「がしがしと歩み」じゃなく「がっしがっしと歩み」、「をはりぬ(終わる)」ではなく「をはンぬ」。促音(ツ)や撥音(ン)は、力強さを与える音で武士たちはこれを好んだ。
武士たちが台頭し、平安貴族の愛した情緒的な表現が切り捨てられていく。
その代表が「なむ~連体形」「ぞ~連体形」「こそ~已然形」などの”係り結び”の消滅。

「花無し」のように、「花」と「無し」が主語とか目的語というような関係を明示する助詞がないときに「花ぞ無き」とか「花なむ無き」「花や無き」「花こそ無けれ」というように文中にもぐりこむのが係り結び。「花が無い」となっては「花がぞ無き」とはいえない。
鎌倉・室町時代は、文の構造や文と文とのつながり方を明示し、日本語に論理性を付与する。”係り結び”の崩壊は、日本人の考え方の変化を教えて重要な徴証だったのだ。

楽しく読みやすい 山口仲美「日本語の歴史」(岩波新書)_e0016828_2165699.jpg
表題や岩波の名を見るとさぞかし難しい本かとしり込みする人もいるかもしれない。

しかし、これはとても読みやすく工夫された本だ。「話し言葉と書き言葉のせめぎあい」という観点を中心に奈良時代から現代までの日本語の変遷を説く。
中国からきた漢字にめぐりあい、日本語を必死になって漢字で書き表そうとしたところから日本語の歴史は始まる。
いくら大先輩・中国の素晴らしい文化であるとしても異なる言語体系を借り物にして日本語を作っていくのはかくも大変なことだとは当時の日本人は思わなかったのだろう。

例文がその時代の代表的な文書から選りすぐられている上に実物を写真で示し、書かれた背景とか前後の筋書きなどを紹介し、分かりやすい現代語訳もつけてある。なんとなくその古典を読みたくなる。この例文だけ読んでいっても”日本語の歴史・展覧会”の趣だ。
220ページという短い分量によくも手際よくまとめられた日本語の歴史。素敵な歴史!

今こうして書いている”言文一致体”が公用文にも使われるようになったのは昭和20年、敗戦後の民主主義の登場を必要としたのだ。お上の申し付ける言葉としては文語体でなくては格好がつかなかった。
ヨーロッパではルネサンスの頃から言文一致の努力が積み重ねられてきたのに対し4~500年の遅れ。

言葉である以上日本語もどんどん変化している。その変化は使い手であるわれわれの考え方で内容も変わってくる。あとがきで著者はいう。
日本語には、遠い昔の日本人からの代々の熱い血と切なる思いが流れている。私も、彼らの残してくれた日本語の遺産の恩恵によくしているのだと。その熱い思いを皆さんにもお伝えできたらと思っています。

Commented by haruikuyoshi at 2006-06-08 23:52
仕事で古典を読むことが多いのですが、最近特に言葉の進化が進んでいることを実感しますね。私など、昭和はじめのころの論書なのに辞書片手にかなり時間かけて読んでます。と、いうか意味を取るのにかなりの時間を要します(涙)漢文に至っては、本当に涙流しながら読んでます。
でも、強者たちは一つの言葉にその時代時代の文化を同時に感じることが出来るんでしょうね。私もそうなりたいものです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-09 07:17
haruikuyoshiさん、おはようございます。私など古典は外国語です。受験用。問題ですね。英語の強化より日本語の強化が必要だと思います。
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by saheizi-inokori | 2006-06-08 21:36 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori