可哀そうな天才・芭蕉 嵐山光三郎 「悪党芭蕉」(新潮社)
2006年 05月 19日
月澄むや狐こはがる児(ちご)の供
芭蕉、死の半月ほどの句だ。”ちご”とは衆道(男色)の美少年。当時は人目をしのぶものでもなく芭蕉はこの道も好きだった。そもそもが伊賀・藤堂家の若殿の寵愛を受け俳諧を学んだのが世にでるスタートだった。江戸に出て蕉風の名を挙げ多くの弟子を従えるようになってもこれはという弟子とそういう関係になってもいる。そしてそれが彼の俳諧・人生を考えるときに欠かせない重要な要素となっている。
芭蕉門下にはお金持ちのスポンサー、医者、幕府と関係のある武士(権力との絶妙な位置取り)が多い。加えるにひとくせもふたくせもある犯罪者やヤクザ・極道すれすれのような弟子が何人もいる。芭蕉は才能ゆえに、いやそのような悪党ゆえに彼らを愛し自らも塀の上の綱渡りめいたことを敢行する。
嵐山は書く。
不易流行、芭蕉は唱える。だが彼の本意は流行にある。そういいながら芭蕉の流行は旅をすることでしか得られなかった。一番弟子であり、”放蕩児・不良”の其角が溢れる才能でやすやすとそれを我がものにしてしまうのとは違う。
芭蕉は「軽み」という。芭蕉自身は苦闘の末にたどり着いた境地だが弟子たちには分からない。言うことが変わりすぎると思える。
だらしの無い悪をも寵愛し、言うことが変わる。弟子たちの離反の原因にもなる。
学生時代から芭蕉に魅せられてきた著者は既に「芭蕉の誘惑](JTB)で芭蕉研究の成果を十分に披露したが本書では更に芭蕉の呼吸をも我がものとしたかに見える。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
辞世とされ絶賛する人もいるこの句を
大阪の弟子同士の角逐(原因は芭蕉自身にある)を仲裁するために大阪に臨み急速に死に向かって転がり落ちていく過程を、拷問のように繰り返される歌仙興行、そこでつくられる句に表れる弟子たちのありようを描く。まことに身から出た錆とはいえ芭蕉が哀れに見える。
芭蕉入門として読んでも、歌仙入門として読んでもすぐれて愉快な本だ。
芭蕉、死の半月ほどの句だ。”ちご”とは衆道(男色)の美少年。当時は人目をしのぶものでもなく芭蕉はこの道も好きだった。そもそもが伊賀・藤堂家の若殿の寵愛を受け俳諧を学んだのが世にでるスタートだった。江戸に出て蕉風の名を挙げ多くの弟子を従えるようになってもこれはという弟子とそういう関係になってもいる。そしてそれが彼の俳諧・人生を考えるときに欠かせない重要な要素となっている。
芭蕉門下にはお金持ちのスポンサー、医者、幕府と関係のある武士(権力との絶妙な位置取り)が多い。加えるにひとくせもふたくせもある犯罪者やヤクザ・極道すれすれのような弟子が何人もいる。芭蕉は才能ゆえに、いやそのような悪党ゆえに彼らを愛し自らも塀の上の綱渡りめいたことを敢行する。
嵐山は書く。
俳句は俗文学なのである。罪人すれすれのところに成立した。(略)繁栄する都市に犯罪はつきもので、芭蕉の本能は都市を目指す。欲に目がくらみ、身を破滅させてしまうほどの地が芭蕉をひきよせ、そこに俳諧が成立する。
不易流行、芭蕉は唱える。だが彼の本意は流行にある。そういいながら芭蕉の流行は旅をすることでしか得られなかった。一番弟子であり、”放蕩児・不良”の其角が溢れる才能でやすやすとそれを我がものにしてしまうのとは違う。
芭蕉は「軽み」という。芭蕉自身は苦闘の末にたどり着いた境地だが弟子たちには分からない。言うことが変わりすぎると思える。
だらしの無い悪をも寵愛し、言うことが変わる。弟子たちの離反の原因にもなる。
学生時代から芭蕉に魅せられてきた著者は既に「芭蕉の誘惑](JTB)で芭蕉研究の成果を十分に披露したが本書では更に芭蕉の呼吸をも我がものとしたかに見える。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
辞世とされ絶賛する人もいるこの句を
芭蕉の目に立ち戻って考えると、この吟は仕損じである。病床にあった芭蕉の無残なる姿が見えてくる。絶望の句であるという。
大阪の弟子同士の角逐(原因は芭蕉自身にある)を仲裁するために大阪に臨み急速に死に向かって転がり落ちていく過程を、拷問のように繰り返される歌仙興行、そこでつくられる句に表れる弟子たちのありようを描く。まことに身から出た錆とはいえ芭蕉が哀れに見える。
芭蕉入門として読んでも、歌仙入門として読んでもすぐれて愉快な本だ。
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porarisu
at 2006-05-20 05:30
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おもしろそうですね。芭蕉の俳句なら、だれでも4つや5つすぐ言えるぐらいの俳人なのに~ いつもいつも、読みたくなる本ばかり、あなたは、本屋の回し者だ?でも、買って読もう。先日のも探し中 ありがとうございました。
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saheizi-inokori at 2006-05-20 09:05
porarisuさん、おはよう。買ったけれど読んでない本があふれているのです。早く読んであげないとかわいそう。でも又買ってしまう。ビョーキ!
えっ、芭蕉ってそういう人だったの。
弟子連れとはいえ、厳しさや寂しさを越えて、枯れ野を歩くイメージがあったのですが。。。
歌の世界とかは、弟子やパトロン達との絶妙な関係の取り方の上に成り立ってもいたんでしょうね。
弟子連れとはいえ、厳しさや寂しさを越えて、枯れ野を歩くイメージがあったのですが。。。
歌の世界とかは、弟子やパトロン達との絶妙な関係の取り方の上に成り立ってもいたんでしょうね。
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みい
at 2006-05-21 17:17
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芭蕉が奥の細道の旅にでたのは、46歳、当時は老人だった。人生50年の時代、大阪で51歳でなくなる。人生最期の5年間、芭蕉は何を求め探して旅に出たのでしょうか?「悪党・芭蕉」読んでみたくなりました。
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saheizi-inokori at 2006-05-21 21:34
みいさん、老人芭蕉、でも46歳は今と同じ。あまりに彼を聖人君子にしてしまってはいけないかもね。
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saheizi-inokori at 2006-05-21 21:35
シーサイドさん、現代の作家だってイメージと実際は違うモンね。
今年100歳を超える祖父が芭蕉をこよなく愛していた。
なので、自然と私も芭蕉が好きらしい(自分のことだってばさ)。
我が家には「奥の細道」やら、「枕草子」やらの全集のようなものが
あったんですよ、これは母の趣味。(百科事典と全集好き・・笑)
その影響もあるのかな?
横溝正史の「獄門島」では芭蕉の句が殺人のキーワードだった。
私は弟子の「そら」という人の句も好きです。シンプルイズベスト。
芭蕉が決して聖人でないことは、「奥の細道」の句を読んでいくと、
とてもよくわかるような気がします。
なわけで、娘が生まれるときに「かさね」という名前をつけようとしたら、
母が「四谷怪談」に出てくる人の名前だからやめろと・・・。
おもちは結局おもちらしい。
なので、自然と私も芭蕉が好きらしい(自分のことだってばさ)。
我が家には「奥の細道」やら、「枕草子」やらの全集のようなものが
あったんですよ、これは母の趣味。(百科事典と全集好き・・笑)
その影響もあるのかな?
横溝正史の「獄門島」では芭蕉の句が殺人のキーワードだった。
私は弟子の「そら」という人の句も好きです。シンプルイズベスト。
芭蕉が決して聖人でないことは、「奥の細道」の句を読んでいくと、
とてもよくわかるような気がします。
なわけで、娘が生まれるときに「かさね」という名前をつけようとしたら、
母が「四谷怪談」に出てくる人の名前だからやめろと・・・。
おもちは結局おもちらしい。
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saheizi-inokori at 2006-05-24 22:59
園長さん、芭蕉の大家だ!曾良って、幕府の秘密調査官で日光東照宮改築に当たる伊達藩の動静を探る為に公費出張で芭蕉と奥の細道に出かけたと嵐山さんは書いてます。神道神官だって。
おじいさんはお元気なのですね。お大事に。
おじいさんはお元気なのですね。お大事に。
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いの
at 2017-11-24 21:01
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saheizi-inokori at 2017-11-24 21:49
> いのさん、なるほどねえ、わたしなんか極悪人です。
by saheizi-inokori
| 2006-05-19 23:37
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(10)