芭蕉の”淋しさ” そんなことなら俺も淋しくなりたい
2006年 05月 16日
嵐山光三郎の「悪党芭蕉」に面白いことが書いてある。
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
「嵯峨日記」所収だ。京都嵯峨落柿舎で書いた。落柿舎は弟子の去来の別荘、およそ千坪の屋敷。部屋数が多く、料理の間まであって、北山を見るために座敷はすべて北向きに作られていた。去来は芭蕉を思って、意図的に芭蕉ひとりを残して京の本宅に帰ってしまうことも多い。夜具布団の類を新調して、料理の素材を置いていく。芭蕉は藤堂家の料理番をしていたから食事くらいすぐ作れる。
さて、冒頭の句について嵐山さんはこういう。
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
「嵯峨日記」所収だ。京都嵯峨落柿舎で書いた。落柿舎は弟子の去来の別荘、およそ千坪の屋敷。部屋数が多く、料理の間まであって、北山を見るために座敷はすべて北向きに作られていた。去来は芭蕉を思って、意図的に芭蕉ひとりを残して京の本宅に帰ってしまうことも多い。夜具布団の類を新調して、料理の素材を置いていく。芭蕉は藤堂家の料理番をしていたから食事くらいすぐ作れる。
さて、冒頭の句について嵐山さんはこういう。
もの憂い自分を淋しがらせてくれ、とかんこ鳥に呼びかけており、淋しがるとは「閑寂の境地にいく」というほどの優雅なる孤独であって、ただ静かで貧乏であるだけではいけない。酒や料理がそろっていて景観がよく、本もあって、かつしんみりとしなくてはいけない。このへんが芭蕉を淋しがらせるコツである。弟子や支援者の所を転々とする、漂泊の詩人を迎える人々はどうしたら師匠に気に入ってもらえるかに心を砕き中には失職するものすら出てくる。肝腎の芭蕉は移り気でおよそここならいいということはない。なんせ定着したのでは漂泊の詩人にならないもの。
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from 味わい料理
at 2006-05-18 22:37
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gakis-room at 2006-05-16 17:19
「わび」とか「さび」とかはお金のかかるものなんですねえ。それで思い出しました。「さびしさに耐えたる人のまたもあれな 庵ならべむ冬の山里」(西行),こちらにも弟子とか支援者とかがいたのでしょうか。
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saheizi-inokori at 2006-05-16 21:47
gakis-roomさん、こんばんは。西行さんはどうだったのでしょうかね。ただ彼も保元の乱の頃天皇の親衛隊である北面の武士だったから所詮その後の平治の乱のことも考えたら出家しないことには殺されていただろう。それで出家したのだというのが嵐山説です。歌を詠むだけでは金にならないから誰か支援者はいたのだしょうね。
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porarisu
at 2006-05-17 02:57
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写真の花は、もしかして「けまん草」ですか。でしたら大きくて、素晴らしい
ですね。
ですね。
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saheizi-inokori at 2006-05-17 08:48
タイツリソウだと聞きました。これもいろいろあるようですね。
by saheizi-inokori
| 2006-05-16 00:28
| よしなしごと
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