恋と詩、そして革命 舞台はメキシコ  矢作俊彦「悲劇週間」(文藝春秋)

読むのを止められない。言葉の美しさ・幻に。語られる歴史に・とくに殺戮の。人々のありように。

詩人・堀口大学を語り手に、彼が慶応大学生時代、与謝野晶子に近づき彼女にあえかな恋をし鉄幹との相克を目撃し、啄木の鬱屈を見、佐藤春夫と遊び、”日本初の外交官”である父の任地メキシコに呼ばれて”メキシコ革命”のまっただ中で謎の美女(コーヒー色の肌)に恋し、革命が虐殺されていく一週間の渦中にあるクライマックス、それは恋のクライマックスでもあったのだが、を描く。

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虐殺されていく革命には1871年のパリ・コミューンの”悲劇の週間”(何万人もの市民・女性・子供が虐殺・殲滅された)の記憶、アメリカによるメキシコやハワイの侵略、そしてメキシコ(スペイン)によるアステカ文明の虐殺・破壊の記憶が重なる。語り手にふさわしくそれらの悲劇はあたかも詩のように語られる。
空がこうまで高々と青いなら、そこに響きわたる砲声は黒、着弾は赤、銃声は黄色であるように思われた

大学の父が魅力的だ。朝鮮では領事補として李朝最後の王妃・閔姫暗殺に加わり投獄される。この事件について父はひと言も語ろうとしないが、その頃遭遇した与謝野鉄幹には、国に絶望して詩人になりたいようなことも洩らしている。外交官として国のために尽くす、と言うことと詩人としての生き方の相克を心の中にしまいこんでアメリカの新聞王・ハーストやメキシコ駐在大使を向こうにまわしマデロ大統領(これがまた素晴らしい)を助ける。メキシコの隣国は日本でありアメリカであった。メキシコの人々は圧倒的に日本ひいき。父はアメリカ大使の個人的遺恨からといってもいいような陰謀を背景とする反革命のインチキ戦争のなかで紳士・マデロが殺されたときに大学に言う。
西洋世界は嘘でつくられている。マデロはそれを真実で統治しようとしたのだからな。
乃木殉死の報に接し
それで済む人はそれでいい。勇気と蛮勇は違う。
日本の手はすでに朝鮮で汚れていたのではあるけれど人々は健やかな心を持っていた。小説に登場する旧会津藩士をはじめ日本公使館を守る人々はイザと言うときにわれがちに死を賭して公使や預かっているマデロ大統領の家族を守ろうとする。公使館に関係のないものまでメキシコの各地から馳せ参じて邸内に野営してでも公使館を守ろうとする。

日本人以外にも魅力的な人が多く登場する。ヒロインは当然のこととして大学の義母・ベルギー人が心配りの行き届いた愛情深い・ウイットあり・詩心ありの肝っ玉おっかさん。幕末に大砲指南のためにフランスから日本に来たことがあるというパリ・コミューン参加の語学教師もひとつの深い物語の主人公足りうる。そもそも、俺のように島国を一歩も出た(旅行は別)ことのない人間とメキシコに集い・あのシッチャカメッチャカな国でしたたかに生きていく世界人は土台デキが違おうってモンだ。

エッフエル塔、飛行機、自動車、、技術の進歩。婦人参政権、革命、、社会の激変。20世紀初頭を迎え20歳の大学はこれから20世紀を生きる青年だ。
”黒馬の生まれ変わり”と幼い頃に占い師に言われたことを結構気に入っている大学なのだ。

メキシコの闘牛を恋人と見たときの記事が7ページほど、物語半ばを飾るエピソードだ。印象的な闘牛の描写に続いて
メキシコの闘牛は、きっとスペインの闘牛とも違うのだ。ぼくは確信した。何ものとも違う、これは神に捧げた儀式、それもキリストではない神、黒い太陽を赤く燃やし、止まった太陽を動かして夜を招き、また朝を呼ぶ血の儀式なのだ。闘牛士と牛の間にいる名前のない何者かが物語る、胸苦しい幕間狂言なのだ。

ランボウがパリ・コミューンに17歳で義勇軍として参加したことを知りパリの悲劇を語学教師から聞いて知った大学は目前のメキシコの悲劇の中でいうのだ。
言語道断な狂気沙汰のおかげで幾十万の兵(つわもの)が見る間に屍の山と変わってゆきつつあるとき、いったい少年詩人がそれをどこでみていたのか、王のように冷ややかに、なぜ見ていたのか。それを初めて、しかも一度に知ったのだ、ぼくは。

青年・大学が生きようと、よろよろと世に出て行った20世紀がどういうものであったかをタイムトラベルで遡って予言しているという読み方は正しいのであろうか?ロマンを書き連ね、ランボウが武器商人として死んだように、ロマンは終わりだ!といいたいのか?

メキシコで別れたヒロインはNYの映画館で大評判のトーキーを見ながら死ぬ。隣の席の者が聞いたと伝えられる彼女の最後の囁き。

地球をゆっくり回して頂戴、もうちょっとでいいから

Tracked from 本を読もう!!VIVA読書! at 2006-05-14 17:42
タイトル : 『もしキリストがサラリーマンだったら』鍋谷憲一
  キリスト教の信者が見たら激怒しそうなタイトルだなと思いましたが、日経ビジネスの書評を見て読んでみました。なんと筆者自身が教会に身を捧げた牧師さんです。 京大卒業後、三井物産で30年近く働いたのち、1999年52歳で早期退職制度で退社。その後、神学大学へ進み、現在に至ります。筆者は猛烈サラリーマンだったわけですね。 ご本人も、本書の企画自体が、許し難いと思ったそうですが、『自分の経験を生かすのも伝道者としての役割ではないか』 という、奥さんの言葉を入れて、書き上げたそうです。 私の働いている塾...... more
Commented by antsuan at 2006-05-14 14:51
堀口大学は我が家の向かいに住んでいましたが、氏の人生については何も知りませんでした。是非この本を読んでみたいと思います。今、「空海の風景」を読み始めたところです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-14 22:18
antsuanさん、こんばんは。私も堀口の詩だってほとんど真面目に読んでいなかった。でもこの際読むかなという気になってます。空海についてはどうして彼があれだけのことが出来たのか、その当時の日本は素晴らしかったのかなあ、などと考えています。
Commented by marion at 2006-05-15 00:26 x
わぁ・・・この表紙は本屋で目にしてたのに、矢作氏の新作とは思いもよらずにスルーしてました・・・早速読まなきゃ・・・ということで未読のため、内容あまり読まずにおきます!!えへ。
しかし、スパムコメント酷いですねえ。私のところも数回来たことがありますが、これほどの数攻めではありませんでした・・・お疲れ様です。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-15 07:50
marionさんはもう読んでいるかと・・。スパムの狙いってナンでしょう。大変です。
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by saheizi-inokori | 2006-05-14 14:06 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(1) | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori