日本を壊すな 象徴天皇制を護れ
2026年 07月 08日
つねに国民に寄り添い、国民と苦楽を共にする。
災害があれば、現地に赴いて跪いて被害者と目をあわせて労いの言葉をかける。
毎日のスケジュールが分刻みで管理され監視される。
それが象徴天皇の姿、一朝一夕でできることではない。
子どもの頃からそうするようにしつけられ、長ずれば365日、祈りとともにそうあらねばならないと心がけてこそ、それが日々の生き方となる。
一般市民と同じように育てられた旧皇族の男の子が、急にそう考えろと言われてもできることではない。
現在、高市政権がなにがなんでも、目の前の国民の経済的困難を差し置いても成立させようとしている皇室典範の改正案は、いわば象徴天皇制を戦前の天皇元首制に戻そうとするものだ。
こんなに大事なことを、当事者の天皇や皇族、対象となる旧皇族、および何よりも国民の意見を聞くこともなく、だまし討ちのように拙速で決めてしまおうというのだ。
夕べのTBS「報道1930」では、保阪正康がこの暴挙を「許しがたい、独裁政治だ」と声を震わせて批判していた。
保阪氏は平成天皇と何十回も対話を重ねて、天皇が象徴天皇の実をあげようと疲労困憊するまでに精進努力を続け、ついには退位を自ら訴えた、そのお気持ちを重々承知しているからこそ、それまでにして築きあげられた現在の象徴天皇制を亡きものにしようとすることにがまんならない。
今上天皇の「国民の皆さんの理解が得られるものとなる」ことを望んでいるとの発言も平成天皇が譲位を望んだ言葉の底に流れる象徴天皇への思いと通じているとも指摘した。
石破茂、村上誠一郎、林芳正など自民党にも少しは正気の議員たちがいるのではないか。
時世時節を言っている場合ではなかろう。
日に日に壊されていく日本を救うために立ち上がるべきではないか!

いぜん無印で買ってきたレトルトのカレーを昼飯にした。
レトルトは食べたあとに胸やけがするから嫌だったのだが、そう言うことがなくなかなかイケた。
食品業界の技術も進化している。

食後、すぐに外出、駒沢の1000円カットの店をめざす。
前日は三羽いた鴨が二羽、一羽は無事か。

古びた都営住宅が壊されてどうなることかと思ったら、新しく建て直されたようだ。
戸数も増えたのじゃないか。
前は各戸の前にいろんな植栽があって、歩く者の目も楽しませてくれたのが、殺風景になってしまったが、人が住めば変わってくるのだろうな。

久しぶりに歩く道にはいろんな発見がある。
これはなんの実だろう。

これは葡萄、僕にもわかる。

床屋、なんと待たずに座れた。
僕が入った後踵を接するように4人も続く、なんと間がいいんでしょ。
五分かそこらで終了、さっぱりする。

駒沢大学駅の近くにできたビルのなかのカフエをのぞいたが、単価がいささか高すぎる。
その先を歩いていたら安そうな店があったけれど、ゆっくり本を読む感じではない。
この前カフエラテが薄味すぎた店に入る。
明るく迎えてくれた美人は前回「そんなはずはない」と僕のクレームに答えた人だ。
カフエラテはやめて、ジンジャーエールみたいなものを飲む。
甘すぎず、爽やかで、長持ちがしてよろしい。
本を読んでいるときに咳が続いたら、コップに水を持って来てくれた、笑顔とともに。

『失われた時を求めて 8』第四編 ソドムとゴモラ Ⅱを読み終える。
ブログに紹介するのは大変だからほとんど触れなかったが、「私」のアルベルチーヌの同性愛への疑惑と嫉妬(何しろ「私」は嫉妬深いのだ)とか、地方貴族カンブルメール侯爵家とブルジョア・ヴェルデュラン夫妻との仲たがい、シャルリュス男爵とモレルの関係などの「ストーリー」が進行し、そのプロセスで様々な個性あふれる、しかもそれゆえに典型的な人々が登場してさながら人物図鑑的な面白さもある。
世界一長い小説も半分以上、飽きもせず読みつづけてきた。
きのう読んだなかで、
苦しみを掘り下げる、それは創造的な精神が必須だという。
すなわち芸術家こそ、よくなしうる行為だと。
苦しみを掘り下げることによって、人間の真実を発見するのは、苦しみと同時に発見―芸術として美しい発見の喜びを与える。
創る側もそうだが、読む側も悲劇の核心にある真実を認識することは、ある種の喜びでもある。
その発見とは、まったく新しいものを見つけるのではなく、もともと僕たちも心のなかにぼんやりとありながら、言葉にできなかったものに、明快な形を与えること。
プルーストによる芸術家の定義だ。
災害があれば、現地に赴いて跪いて被害者と目をあわせて労いの言葉をかける。
毎日のスケジュールが分刻みで管理され監視される。
それが象徴天皇の姿、一朝一夕でできることではない。
子どもの頃からそうするようにしつけられ、長ずれば365日、祈りとともにそうあらねばならないと心がけてこそ、それが日々の生き方となる。
一般市民と同じように育てられた旧皇族の男の子が、急にそう考えろと言われてもできることではない。
現在、高市政権がなにがなんでも、目の前の国民の経済的困難を差し置いても成立させようとしている皇室典範の改正案は、いわば象徴天皇制を戦前の天皇元首制に戻そうとするものだ。
こんなに大事なことを、当事者の天皇や皇族、対象となる旧皇族、および何よりも国民の意見を聞くこともなく、だまし討ちのように拙速で決めてしまおうというのだ。
夕べのTBS「報道1930」では、保阪正康がこの暴挙を「許しがたい、独裁政治だ」と声を震わせて批判していた。
保阪氏は平成天皇と何十回も対話を重ねて、天皇が象徴天皇の実をあげようと疲労困憊するまでに精進努力を続け、ついには退位を自ら訴えた、そのお気持ちを重々承知しているからこそ、それまでにして築きあげられた現在の象徴天皇制を亡きものにしようとすることにがまんならない。
今上天皇の「国民の皆さんの理解が得られるものとなる」ことを望んでいるとの発言も平成天皇が譲位を望んだ言葉の底に流れる象徴天皇への思いと通じているとも指摘した。
石破茂、村上誠一郎、林芳正など自民党にも少しは正気の議員たちがいるのではないか。
時世時節を言っている場合ではなかろう。
日に日に壊されていく日本を救うために立ち上がるべきではないか!

いぜん無印で買ってきたレトルトのカレーを昼飯にした。
レトルトは食べたあとに胸やけがするから嫌だったのだが、そう言うことがなくなかなかイケた。
食品業界の技術も進化している。

食後、すぐに外出、駒沢の1000円カットの店をめざす。
前日は三羽いた鴨が二羽、一羽は無事か。

古びた都営住宅が壊されてどうなることかと思ったら、新しく建て直されたようだ。
戸数も増えたのじゃないか。
前は各戸の前にいろんな植栽があって、歩く者の目も楽しませてくれたのが、殺風景になってしまったが、人が住めば変わってくるのだろうな。

久しぶりに歩く道にはいろんな発見がある。
これはなんの実だろう。

これは葡萄、僕にもわかる。

床屋、なんと待たずに座れた。
僕が入った後踵を接するように4人も続く、なんと間がいいんでしょ。
五分かそこらで終了、さっぱりする。

駒沢大学駅の近くにできたビルのなかのカフエをのぞいたが、単価がいささか高すぎる。
その先を歩いていたら安そうな店があったけれど、ゆっくり本を読む感じではない。
この前カフエラテが薄味すぎた店に入る。
明るく迎えてくれた美人は前回「そんなはずはない」と僕のクレームに答えた人だ。
カフエラテはやめて、ジンジャーエールみたいなものを飲む。
甘すぎず、爽やかで、長持ちがしてよろしい。
本を読んでいるときに咳が続いたら、コップに水を持って来てくれた、笑顔とともに。

『失われた時を求めて 8』第四編 ソドムとゴモラ Ⅱを読み終える。
ブログに紹介するのは大変だからほとんど触れなかったが、「私」のアルベルチーヌの同性愛への疑惑と嫉妬(何しろ「私」は嫉妬深いのだ)とか、地方貴族カンブルメール侯爵家とブルジョア・ヴェルデュラン夫妻との仲たがい、シャルリュス男爵とモレルの関係などの「ストーリー」が進行し、そのプロセスで様々な個性あふれる、しかもそれゆえに典型的な人々が登場してさながら人物図鑑的な面白さもある。
世界一長い小説も半分以上、飽きもせず読みつづけてきた。
きのう読んだなかで、
人が苦しみを充分に掘り下げられないのは、多くの場合、ただ創造的な精神がないからにすぎない。そしてこの上もなく恐ろしい現実も、苦しみと同時に、美しい発見の喜びを与えるものなのだ。なぜならその現実は、私たちがそれと知らずに長いこと反芻していたものに、ただ新しい明快な形を与えただけなのだから。
苦しみを掘り下げる、それは創造的な精神が必須だという。
すなわち芸術家こそ、よくなしうる行為だと。
苦しみを掘り下げることによって、人間の真実を発見するのは、苦しみと同時に発見―芸術として美しい発見の喜びを与える。
創る側もそうだが、読む側も悲劇の核心にある真実を認識することは、ある種の喜びでもある。
その発見とは、まったく新しいものを見つけるのではなく、もともと僕たちも心のなかにぼんやりとありながら、言葉にできなかったものに、明快な形を与えること。
プルーストによる芸術家の定義だ。
少なくとも関わる人たちと話し合ってどんなことも決めるべきと私は思ってます。話し合ったからって話がまとまるとは限らないけれど、話し合いの場すら儲けないのは愚弄に当たると感じます。個人の考えです。
きゅうりやかぼちゃ、韓国かぼちゃなど、瓜類を育てておりまして、これ(写真)は瓜は間違いないんですが、もしかして「冬瓜」かなと思います。ここから育ったらすごく重くなりますよね…。
きゅうりやかぼちゃ、韓国かぼちゃなど、瓜類を育てておりまして、これ(写真)は瓜は間違いないんですが、もしかして「冬瓜」かなと思います。ここから育ったらすごく重くなりますよね…。
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もっともっと自民党の中から声が上がると良いですね
我々ももっともっと声を上げなくちゃ成らないですね
我々ももっともっと声を上げなくちゃ成らないですね
海外赴任する時、先輩から「天皇家の仕事」を読むよう勧められ、初めて天皇家の生活、天皇家に生まれ
育ち帝王学を修める厳しい日々を知りました。昭和天皇崩御の際は街行く見ず知らずの欧州人から弔意を
示され(男性は黒弔紋を付けた)英国出身の同僚から貴女の哀しみはわかると強くハグされ驚きました
政治に巻き込まれたら天皇は象徴天皇でない 憲法の精神に合致しない。国民は大いに議論すべきですね
私もTBS NEWS DIGを観ましたが、岸信介が会長を務めた旧自由党憲法調査会や、中曽根康弘の憲法改正要綱でも女性天皇を容認していたのを知って驚きました。あのガチガチの憲法改正論者たちですら、ですよ! 保阪さんが言ってましたが、裏で非常にきな臭い動きがあるんじゃないかと……天皇元首論が出てきかねませんね。
> tokidokiashibueさん、昭和天皇から平成天皇そして令和天皇へと続く戦後憲法観を体現する皇統を排除したい、そんな感じすらありますね。
by saheizi-inokori
| 2026-07-08 10:42
| 今週の1冊、又は2・3冊
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