いじめられっ子または蛇笑
2026年 07月 02日
来たばかりのアンジーは、部屋の中をむやみに駆け回るばかりだったが、二日もたつと人間を認識して足のまわりをまわったり、ぴょんぴょん跳ねてじゃれるようになった。
足の速さはまるでネズミやゴキブリのようで、そうしてくれないとなかなか捕まらないのだ。
けさは、寝転がってストレッチをしている僕の足に飛びついたり、齧ろうとしたり、叱るとこんどは顔のまわりを舐めたりする。
するとルンバも四つん這いになっている僕の手を踏もうとしたり、なんだかアンジーに焼きもちを焼いているようだ。

きのうは皮膚科、いつもは直ぐに診てくれるのに、だいぶ待たされたのは、病院全体が混雑していたからかもしれない。
スマホの電波が届きにくい廊下で、時間をつぶす。
持っていった新聞を丁寧に読んだり、ときどきそこら辺を歩いたり、プルーストはもっと落ち着いた環境で読みたい、しょっちゅう、番号がよばれないような。

ブレドニンの量は3ミリのまま、何種類かの薬を服用していて、ある種類だけがたくさん残っている。
そういう種類の認知症ってあるのか、と医師と冗談をいう。
冗談が通じることが通じるとほっとする。

久しぶりに北沢川緑道の方、三茶じゃなくて下北沢の方を歩いた。
端境期なのか、ちょっと花の数は少ない。
いぜんは、川の流れが良く見えたのに、両岸の木や花が繁って見えにくいのが、ちょっとあつくるしい。

↑は横光利一の文学顕彰碑、このちかく北沢川左岸の丘に住んでいた、その家の門から玄関までの石畳―ここを歩いてくる靴音の加減で用向きの判定をつけていた―の一部。
碑の冒頭に、「微笑といふものは人の心を殺す光線だ」という、遺作「微笑」の一節が書いてある。
彼の女の笑いは微笑ではなく蛇笑とでもなづけたくなる類いのものだから、嫌悪感が惹起されるのだなあ。

何べんもみた床屋の看板が、ヨイトマケの唄を想わせた。

茶沢通りはかつてよく歩いた。
古い建物やシャレた骨董店を見るのが愉しかった。
風変わりなヤカンをみつけて、ヤカン蒐集家のふくよかさん(https://fukuyoka.exblog.jp/)に教えてあげたこともあった。

南口商店街の方に入ると、懐かしさより、邦人外国人を問わないへそ出しの群に辟易、たくさんあるわりに、入りたくなる店が少ない。
駅近くの干物を売る定食やで妥協。

一押しというサバ文化干し定食(なんで文化なのかな)は、僕にとっては高い(1230円)のに、パサついてちょっと期待外れ。
カウンター隣りの席の男が食っているハラスと別注の生卵かけご飯の方がうまそうだった、グヤジイ。

バスで代沢十字路のOPPOまで行って、デカフエと名前は知らないがレモンの味のする菓子を食って悔しさを紛らす、三好青海入道なり。
やっとプルーストを読む。
『失われた時を求めて』ソドムとゴモラⅡから。
どのグループにもイジメがある。
ヴェルデュラン夫妻は、古文書学者のサニエットをからかい、イジメるのが何よりも楽しみだった。
孤独で、つねにどこかに帰属していたいという依存性、と痛々しいほどの承認欲求、しかし彼は心やさしき善人なのだ。
虚栄心に満ち満ちたヴェルデュラン夫妻は、彼をいじめることで、自らの才気を示し、周りの信奉者たちは一緒になってサニエットをあざ笑うのだ。
ヴェルデュラン夫人の微笑も蛇笑だろう、T女より見かけは洗練されてはいても。




足の速さはまるでネズミやゴキブリのようで、そうしてくれないとなかなか捕まらないのだ。
けさは、寝転がってストレッチをしている僕の足に飛びついたり、齧ろうとしたり、叱るとこんどは顔のまわりを舐めたりする。
するとルンバも四つん這いになっている僕の手を踏もうとしたり、なんだかアンジーに焼きもちを焼いているようだ。

きのうは皮膚科、いつもは直ぐに診てくれるのに、だいぶ待たされたのは、病院全体が混雑していたからかもしれない。
スマホの電波が届きにくい廊下で、時間をつぶす。
持っていった新聞を丁寧に読んだり、ときどきそこら辺を歩いたり、プルーストはもっと落ち着いた環境で読みたい、しょっちゅう、番号がよばれないような。

ブレドニンの量は3ミリのまま、何種類かの薬を服用していて、ある種類だけがたくさん残っている。
そういう種類の認知症ってあるのか、と医師と冗談をいう。
冗談が通じることが通じるとほっとする。

久しぶりに北沢川緑道の方、三茶じゃなくて下北沢の方を歩いた。
端境期なのか、ちょっと花の数は少ない。
いぜんは、川の流れが良く見えたのに、両岸の木や花が繁って見えにくいのが、ちょっとあつくるしい。

↑は横光利一の文学顕彰碑、このちかく北沢川左岸の丘に住んでいた、その家の門から玄関までの石畳―ここを歩いてくる靴音の加減で用向きの判定をつけていた―の一部。
碑の冒頭に、「微笑といふものは人の心を殺す光線だ」という、遺作「微笑」の一節が書いてある。
彼の女の笑いは微笑ではなく蛇笑とでもなづけたくなる類いのものだから、嫌悪感が惹起されるのだなあ。

何べんもみた床屋の看板が、ヨイトマケの唄を想わせた。

茶沢通りはかつてよく歩いた。
古い建物やシャレた骨董店を見るのが愉しかった。
風変わりなヤカンをみつけて、ヤカン蒐集家のふくよかさん(https://fukuyoka.exblog.jp/)に教えてあげたこともあった。

南口商店街の方に入ると、懐かしさより、邦人外国人を問わないへそ出しの群に辟易、たくさんあるわりに、入りたくなる店が少ない。
駅近くの干物を売る定食やで妥協。

一押しというサバ文化干し定食(なんで文化なのかな)は、僕にとっては高い(1230円)のに、パサついてちょっと期待外れ。
カウンター隣りの席の男が食っているハラスと別注の生卵かけご飯の方がうまそうだった、グヤジイ。

バスで代沢十字路のOPPOまで行って、デカフエと名前は知らないがレモンの味のする菓子を食って悔しさを紛らす、三好青海入道なり。
やっとプルーストを読む。
『失われた時を求めて』ソドムとゴモラⅡから。
どのグループにもイジメがある。
ヴェルデュラン夫妻は、古文書学者のサニエットをからかい、イジメるのが何よりも楽しみだった。
サニエットは、会話がそのようにはずんできたのを、嬉しそうに眺めていた。ブリショがしゃべりまくっている以上、彼はだまっていられるから、ヴェルデュラン夫妻の嘲笑を浴びるのも避けられるだろう。解放された喜びのあまり一段と感じやすくなった彼は、このようにかしこまった晩餐会であるにもかかわらずヴェルデュラン氏が、サニエットさんは水しか召し上がらないからおそばに水差しをおいておくように、と給仕頭に言いつけているのを聞きつけて、すっかり感動してしまった。(たくさんの部下の兵士を死なせる将軍は、その兵士たちが腹いっぱい食べられるようにと気をつかうものだ)。それに一度などはヴェルデュラン夫人が微笑みかけてさえくれた。まったく、心のやさしい人たちなのだ。もう、これからは、いじめられることもなかろう。サニエットが、なぜいじめられるのか、そんなサロンをこちらから拒否しないのか、その一因がよくわかりますね。
孤独で、つねにどこかに帰属していたいという依存性、と痛々しいほどの承認欲求、しかし彼は心やさしき善人なのだ。
虚栄心に満ち満ちたヴェルデュラン夫妻は、彼をいじめることで、自らの才気を示し、周りの信奉者たちは一緒になってサニエットをあざ笑うのだ。
ヴェルデュラン夫人の微笑も蛇笑だろう、T女より見かけは洗練されてはいても。

文化干しってなに?と思いつい最近調べました^^
塩水に浸けてから機械で冷風乾燥させるもので、
塩水に浸けてから太陽に充てて干す「天日干し」に対して使われたそうです。
もともとはセロファンに包んで販売する衛生的なものを指したのですが
今は干し方を表しているようです。
茶沢通り、懐かしいです。
何十年も前に、従姉妹が下北沢に住んでいたことがあって、よく歩きました。
塩水に浸けてから機械で冷風乾燥させるもので、
塩水に浸けてから太陽に充てて干す「天日干し」に対して使われたそうです。
もともとはセロファンに包んで販売する衛生的なものを指したのですが
今は干し方を表しているようです。
茶沢通り、懐かしいです。
何十年も前に、従姉妹が下北沢に住んでいたことがあって、よく歩きました。
2
やんちゃなアンちゃんペースに負けませんように
媚笑?いや、蛇笑、ですか…、ちょっと怖いですね。ほほえみの中にも色々な種類があるのかな。。アンジーのほほえみは文句なく無邪気で幸せね!(^^)
なんだかアンジーの悪戯が憎めなくなってきていますね。^^
> tanatali3さん、けさはストレッチ用のケットの端を噛んで放さないのでした。
by saheizi-inokori
| 2026-07-02 10:46
| こんなところがあったよ
|
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Comments(8)