連日の三茶飯

おとといは三茶でイタリアンおよばれ。
きのうも三茶でランチ。
八幡神社境内でカミさんの握ったおむすびを食う、ゆで卵と。

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暑くなく寒くもなく、心地よい梅雨の晴れ間のピクニック。
名も知らぬ鳥の声がBGMだ。

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食い終わるとピクニックは終わり。
歯科医、いつものように「その後いかがですか」が挨拶。
「さつきおにぎりを食べていたら、、」ちょっとここが痛んだというと丁寧に診てくれて、いつもの癖で思考過程を口に出して、、その頃は痛みが消えていた。
その後延々と続く治療を終えたのが1時20分、先生はいつ昼飯を食べるのか?

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久しぶりにOPPOで、デカフエを飲みながら、「失われた時を求めて」を読む。
2時間近くいた間に、来客は赤ちゃんを抱いた女性が一人だけ。
「暑くなると足が途絶えます」とマスターは浮かぬ顔、がんばれよ。

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『失われた時を求めて』
19世紀末、ブルジョアが力を得ると、サロンの格付け・人気も次第に貴族よりブルジョア主催に移行する。
かつて「信者」だけを集めて、貴族たちのサロンを軽蔑して小党派信者を率いていたヴェルデュラン夫人のサロンが、売れっ子の芸術家たちを常連にしたこともあって、いまや彼女が無視(するふり)をした貴族たちも参加するようになる。
口ではそれを鬱陶しいようなことを云いながら、内心は嬉しくてたまらないヴェルデュラン夫人とその信者たちだ。

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ヴェルデュラン夫人が見出したという天才バイオリニストが夭折する。
ヴェルデュラン夫人は、ほとんどすべての社交界の人びとと同じで、いつも他人にいっしょにいてもらうことを必要としていたので、相手が死んでしまってもう水曜会にも土曜会にも気楽な服装の晩餐会にもこられなくなると、その人のことなどただの一日も考えなくなってしまう。(略)
しかも、死んだ人の話をしなければならなかったり、ましてや、<女主人(パトロンヌ)>には不可能なことだけれども、喪に服すために晩餐会を中止したりする、といったいやな事態は、なるべく避けたかったので、そのためにヴェルデュラン氏は、信者が死ぬと妻がひどいショックを受けるから、彼女の健康のためにそれにはふれてはならないかのように装っていたのである。
この指令をめぐって、信者たちのドタバタも喜劇映画をみるようだ。

喜劇のあいまに(逆か)、死をめぐる考察、とくに生き残っている人たちと死の関係についての考察がだんだん深みを増していく。

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乗り換えの終点駒沢陸橋で居眠りをしている小さなランドセル少女を起こしてあげる。
「どうもありがとうございました」と二回いう。
最初のはバスの運転手に向けて、二回目のは僕の背中に向けて。

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Commented by umi_bari at 2026-06-23 10:35
奥様とのご飯良いですね、外で食べると
さらにおいしくなります。
お見事バグースです。
三軒茶屋懐かしいです。
新卒でに世田谷勤務の時は、もちろん陸上部の
顧問でしたが、教員バレーをやっていて、打ち上げが
三軒茶屋だったんです。
もう行くことはないかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2026-06-23 10:37
> umi_bariさん、カミさんといっしょではなかったのですが、静かな境内のお握りうまかったです。
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by saheizi-inokori | 2026-06-23 09:50 | よしなしごと | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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