しみじみ
2026年 06月 14日
大掃除お疲れ様、つぎは都立大学前のパン屋へ。
芝生のランチに駆け出す子どもたち。

パパと手をつなぐ男の子、その後ろから嬉しくてたまらないような笑顔で歩くママ(写真はありません)。
土曜日の午後はこうでなくちや。

いつものカフェでなく、二子玉川行のバスに乗る。
猛烈な混みようはなんとしたことか。

無印良品カフェがいいと、かみさんが勧めたので行ってみたが、土曜日のせいか、小さな子ども連れで大騒ぎ、とても本を読む雰囲気にあらず。
本を読む代わりに、レトルトのカレーを買う。
無印でこういうものを買ったのは初体験なり、納豆ご飯に飽きたらこれでいってみよう。
本を読む代わりに、レトルトのカレーを買う。
無印でこういうものを買ったのは初体験なり、納豆ご飯に飽きたらこれでいってみよう。

人混みの二子玉川を抜け出して上野毛のカフエにいく。
やはりプルーストは面白い。
こんな一言が意味深長。
(シャルリュス氏が立ちどまってしまった理由について)ゲルマント家の人たちに特有の、現在の時間が終わるのを見たくないという願望のためかもしれない。その願望がゲルマント家の人たちを一種の不安な無気力状態におとし入れていた。
病を得てすっかり面立ちも変って、自らあといくばくもないというスワンが「私」に女に嫉妬した体験を語りながら、
たとえ何かに対する執着が消えても、かつてそれに執着したということに完全に無関心になることはないのですね。だって、そこには常に、ほかの人に分からないなんらかの理由があったのですから。こうした感情の思い出は、自分のなかにしかない。それが私たちには感じられます。これを見つめるためには、自分のなかにもどっていかなければなりません。どうか、こういう観念論的な言い方を、あまり笑わないでいただきたい。ただ言いたいのは、私がたいそう人生を愛したし、またたいそう芸術を愛した、ということです。さてそこで、他人といっしょに生きてゆくには少々くたびれすぎてしまった今、以前に経験したごく個人的なこういう昔の感情が、すべての蒐集家のくせかもしれませんけれど、非常に貴重なものに思えてくるのです。
どうですか、しみじみしませんか。

帰宅してパジャマと下着を手洗いしながら、聞いた曲。
よく知っている曲なのに題名がいつも思い出せない曲だ。
・・・・たいそう人生を愛し、芸術を愛して来なかった 私を知らされます
いったい何を愛してここまで来たのでしょう
いったい何を愛してここまで来たのでしょう
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> jyariko-2さん、あなたは人生を愛し、芸術を愛していますよ、ブログからはそう拝見しました。
by saheizi-inokori
| 2026-06-14 09:21
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(6)