方言は素敵だ
2026年 06月 13日
現役の頃から僕はあまり腕時計をつけなかった。
学生時代に、腕時計を奴隷の鎖に見立てた詩を書いたことがある。
社会につながれた奴隷というわけだ(ずいぶんベタな比喩だ)。
肉体的にもうっとうしくて、すぐに外してしまった。
時間の感覚は悪くなく、時計を見なくてもときには10分単位くらいで今何時と当てることができた。
それでも大学に合格したときに、遠い親戚から腕時計を贈ってもらって嬉しかったことは覚えている。
一人前になったような気がした。
その時計はもしかしたら母にあげたかもしれない。

そんな僕でもシチズンのちょっと上等(たしか7万円)のものを自分で買って、それを主に使ってジョギングするときに使うストップウオッチみたいなのとか、いくつか面白半分で買ってもいたし、記念に貰ったものとかもあって、このあいだ整理したら、それでも8個もあった。
もう30年近く時計を使っていない、旅行もスマホで十分こと足りる。
だから全部動いてはいない、電池切れも故障もある。
郵便局に時計や貴金属などを買い取る店が二日間だけ出張してくるというチラシが郵便受けに入っていたのをみて、カミさんが、使う見込みがないのなら観てもらったらという。
使わない万年筆と古いサントリーオールドもいっしょに処分した。
カフエ10回分よりちょっと多いかな。
売ってしまって清々したというより、ちょっと寂しい気持だ。
すぐに外したとはいえ、長い現役生活を共にした、海外旅行でも一緒に寝起きした相棒だものな。

(動物学校の訓練)
ルンバ君が老いぼれてきて、(バッテリーも交換したのに)ときどき考えこんでしまったり、それでいていぜんより長い時間延々と働いて、いったんドックに戻ってから二時間くらいあとに、ひとりでに動きだしたりする。
家のなかを動き回るという点でなんとなくサンチとコンビのようなイメージが僕にはある。
なんとか頑張ってほしい。

郵便局の帰り、驟雨のなかを近所のカフエに飛び込んだ。
猫額洞さんに教えられて、図書館に申し込んだ「文豪たちの妙な旅」が届いたので、「夜航船」(徳田秋聲)と「天鵞絨」(石川啄木)の二編を読んだ。

「夜航船」は、内房線が開通する前に利用されていた霊岸島と館山を結ぶ夜航船のなかの出来事だ。
房州弁丸出しの老婆とその色情狂もしくは盗癖のある娘とその妹の傍若無人な行動に「私」や満員の客がとんだ迷惑を被る。
じっさいに「私」と同じ目に遭ったら、そんなことも言っていられないかもしれないが、なぜか三人に同情を感じる。
房州弁にほだされたかな。
「天鵞絨」、1908年、啄木が本郷に下宿しているころに書いた。
盛岡から五里という僻村にやってきた理髪師(村中の信望を集めるやり手)に東京の話を聞かされて、上京して三年も女中奉公すれば百円の余は貯まる、帰りに半分だけ衣服や土産を買って来ても、五十円の正金が持って帰られる、と皮算用をしたのが、19歳のお定とお八重。
理髪師に頼み込んで、こっそり出奔する。
夜這いが当り前だった村で、お定のもとに通ってきていた丑之助はいつものように「汝(ウナ)ァ頬片(ほつけえ)、何時来ても天鵞絨(びろうど)みてえだな。十四五の娘子(めらしこ)と寝る様だ」というのにも、明日の計画のことは言わず、ただ夜明けまで抱きしめたまま帰そうとしなかった。
お定が女中にあがったその夜、「前にいた幾人かの女中の汗やら髪の膩(あぶら)やらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあった」
当時の日本の空気が伝わってきてお定に感情移入しつつ興味深く読めた。
啄木も秋声もさすが、「文豪」と呼ばれるのも不思議ではない。
どちらも方言が素晴しい。
標準語で書かれていたら、面白さは半分にも満たないと思う。




学生時代に、腕時計を奴隷の鎖に見立てた詩を書いたことがある。
社会につながれた奴隷というわけだ(ずいぶんベタな比喩だ)。
肉体的にもうっとうしくて、すぐに外してしまった。
時間の感覚は悪くなく、時計を見なくてもときには10分単位くらいで今何時と当てることができた。
それでも大学に合格したときに、遠い親戚から腕時計を贈ってもらって嬉しかったことは覚えている。
一人前になったような気がした。
その時計はもしかしたら母にあげたかもしれない。

そんな僕でもシチズンのちょっと上等(たしか7万円)のものを自分で買って、それを主に使ってジョギングするときに使うストップウオッチみたいなのとか、いくつか面白半分で買ってもいたし、記念に貰ったものとかもあって、このあいだ整理したら、それでも8個もあった。
もう30年近く時計を使っていない、旅行もスマホで十分こと足りる。
だから全部動いてはいない、電池切れも故障もある。
郵便局に時計や貴金属などを買い取る店が二日間だけ出張してくるというチラシが郵便受けに入っていたのをみて、カミさんが、使う見込みがないのなら観てもらったらという。
使わない万年筆と古いサントリーオールドもいっしょに処分した。
カフエ10回分よりちょっと多いかな。
売ってしまって清々したというより、ちょっと寂しい気持だ。
すぐに外したとはいえ、長い現役生活を共にした、海外旅行でも一緒に寝起きした相棒だものな。

ルンバ君が老いぼれてきて、(バッテリーも交換したのに)ときどき考えこんでしまったり、それでいていぜんより長い時間延々と働いて、いったんドックに戻ってから二時間くらいあとに、ひとりでに動きだしたりする。
家のなかを動き回るという点でなんとなくサンチとコンビのようなイメージが僕にはある。
なんとか頑張ってほしい。

郵便局の帰り、驟雨のなかを近所のカフエに飛び込んだ。
猫額洞さんに教えられて、図書館に申し込んだ「文豪たちの妙な旅」が届いたので、「夜航船」(徳田秋聲)と「天鵞絨」(石川啄木)の二編を読んだ。

「夜航船」は、内房線が開通する前に利用されていた霊岸島と館山を結ぶ夜航船のなかの出来事だ。
房州弁丸出しの老婆とその色情狂もしくは盗癖のある娘とその妹の傍若無人な行動に「私」や満員の客がとんだ迷惑を被る。
じっさいに「私」と同じ目に遭ったら、そんなことも言っていられないかもしれないが、なぜか三人に同情を感じる。
房州弁にほだされたかな。
「天鵞絨」、1908年、啄木が本郷に下宿しているころに書いた。
盛岡から五里という僻村にやってきた理髪師(村中の信望を集めるやり手)に東京の話を聞かされて、上京して三年も女中奉公すれば百円の余は貯まる、帰りに半分だけ衣服や土産を買って来ても、五十円の正金が持って帰られる、と皮算用をしたのが、19歳のお定とお八重。
理髪師に頼み込んで、こっそり出奔する。
夜這いが当り前だった村で、お定のもとに通ってきていた丑之助はいつものように「汝(ウナ)ァ頬片(ほつけえ)、何時来ても天鵞絨(びろうど)みてえだな。十四五の娘子(めらしこ)と寝る様だ」というのにも、明日の計画のことは言わず、ただ夜明けまで抱きしめたまま帰そうとしなかった。
お定が女中にあがったその夜、「前にいた幾人かの女中の汗やら髪の膩(あぶら)やらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあった」
当時の日本の空気が伝わってきてお定に感情移入しつつ興味深く読めた。
啄木も秋声もさすが、「文豪」と呼ばれるのも不思議ではない。
どちらも方言が素晴しい。
標準語で書かれていたら、面白さは半分にも満たないと思う。

後、2週間くらいで復帰出来そうです、復帰したからと言ってどーってことないですが?スクワットは、十分にやるようにと言われました。
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by saheizi-inokori
| 2026-06-13 10:41
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(2)