千葉がなつかしい
2026年 04月 12日
夏のような日差しのなかを都立大学のパン屋に行く。
暑いのだから長袖シャツ一枚で十分なのに、なんとなく心配でもう一枚シャツを羽織っていく。

目黒区民センターの広場は、雨の先週とはうってかわって、家族連れが楽しそうに昼飯を食べたり遊んだり、60年以上も前に千葉の公園に同じ宿舎の家族とピクニックに行ったことを思い出した。

常円寺では花祭りのイベント、屋台が出たり、野立茶席などここも家族連れでにぎわっている。

葉桜から、ときおりはらはらと花びらが舞って、新緑は輝き、色さまざまな花が咲きそめる。
これでヒバリの鳴き声でも聞こえればもう最高の季節だ。

(吞川緑道)
こんな陽気だから、さぞかし倉式コーヒーも混んでいるだろうと思ったら、なんと一人も順番待ちがいない。
窓際にも三つも席が空いている。
外を歩く人が多いのかな。

『失われた時を求めて』「花咲く乙女たちのかげに」の第一部「スワン夫人をめぐって」を読了。
いろいろあったせいもあるが、ずいぶん時間がかかった。
時間をかけて、できるだけ熟読していきたい。
また熟読しなければ、この小説の楽しさはわからないように思う。
この巻の巻末に『「あこがれ」のプルースト』と題した野崎歓のエッセイがある。
そこで野崎はプルーストの「一度その門をくぐってしまえば出てくる気になれないほどの面白さ」の理由として、「彼の長篇がひたすら『あこがれ』の思いに染め上げられ、ロマンチックで情熱的な、欲望と誘惑にみちあふれた物語を紡ぎだしている」からだ、と言っている。
そして、次のようにも。
「おそろしく」面白くまた難しい文章はそこなのだ。
ここの文章を抜かしたら、そりゃ通俗的な恋愛劇となって、とても全13巻、世界一長い小説とはならない。

帰りのバスに、大きな力士のような若者も二人乗りこんできた。
きっとうちの近所にある日体大の相撲部の寮に帰る子たちだ。
多くの客が座れなかったのに、二人とも後ろの方に空いていた別々の座席に体を縮めて座るではないか。
むかし千葉鉄道管理局の人事課長をしていたときに、とうじの国鉄の要員事情から、野球部といえども普通の職員とどうように徹夜勤務もやらせていたのを、なんとか定員外の扱いにしてほしいと、野球部の納会で陳情されて、酒の席だから上手にあしらえばよかったのに、余計なお説教をして、野球部贔屓の管理局長を怒らせて、僕がトイレから帰ると、局長が全員引き揚げを命じて一人ぼっちになったことがある。
そのお説教というのが、野球部の連中は列車に乗って、たとえ空席があっても座ることなく、立ったまんま足を鍛えているか?そうやって練習時間の不足を補うべし、というようなもので、今思うと穴があったら入りたいような振舞いだった。↓
それを思い出して、日体大の相撲部の監督はいかなる教育をしているのか?いや、もしかすると、あの巨体が通路に立つと邪魔になるから、極力座れとおしえているのか、などとくだらないことを考えた。
さっきの広場とバスのなかで千葉の記憶が蘇ったのだ、プルーストならなんというのか。
いつものように、二駅手前でバスを降りて、天国のように美しい花と緑の道を歩いて帰宅。
汚れが気になっていた、靴を三足磨いて風呂でも洗濯をした。
暑いのだから長袖シャツ一枚で十分なのに、なんとなく心配でもう一枚シャツを羽織っていく。

目黒区民センターの広場は、雨の先週とはうってかわって、家族連れが楽しそうに昼飯を食べたり遊んだり、60年以上も前に千葉の公園に同じ宿舎の家族とピクニックに行ったことを思い出した。

常円寺では花祭りのイベント、屋台が出たり、野立茶席などここも家族連れでにぎわっている。

葉桜から、ときおりはらはらと花びらが舞って、新緑は輝き、色さまざまな花が咲きそめる。
これでヒバリの鳴き声でも聞こえればもう最高の季節だ。

こんな陽気だから、さぞかし倉式コーヒーも混んでいるだろうと思ったら、なんと一人も順番待ちがいない。
窓際にも三つも席が空いている。
外を歩く人が多いのかな。

『失われた時を求めて』「花咲く乙女たちのかげに」の第一部「スワン夫人をめぐって」を読了。
いろいろあったせいもあるが、ずいぶん時間がかかった。
時間をかけて、できるだけ熟読していきたい。
また熟読しなければ、この小説の楽しさはわからないように思う。
この巻の巻末に『「あこがれ」のプルースト』と題した野崎歓のエッセイがある。
そこで野崎はプルーストの「一度その門をくぐってしまえば出てくる気になれないほどの面白さ」の理由として、「彼の長篇がひたすら『あこがれ』の思いに染め上げられ、ロマンチックで情熱的な、欲望と誘惑にみちあふれた物語を紡ぎだしている」からだ、と言っている。
そして、次のようにも。
あえていえばこの大傑作は、じつにわかりやすい山場に満ちた、ほとんど通俗的な恋愛劇の興趣によって読者を惹きよせるのだ。ところが、その通俗性はとてつもない規模で反復され、拡大投射されるとともに、おそろしく透徹した分析作業の対象ともなる。そうした過程をとおして、恋愛ドラマの甘美さは精錬され、危険なまでに純度を高めて、読者にいよいよ身も世もあらぬ思いを味わわせてくれる。僕は、この「おそろしく透徹した分析作業」と付き合っている。
「おそろしく」面白くまた難しい文章はそこなのだ。
ここの文章を抜かしたら、そりゃ通俗的な恋愛劇となって、とても全13巻、世界一長い小説とはならない。

帰りのバスに、大きな力士のような若者も二人乗りこんできた。
きっとうちの近所にある日体大の相撲部の寮に帰る子たちだ。
多くの客が座れなかったのに、二人とも後ろの方に空いていた別々の座席に体を縮めて座るではないか。
むかし千葉鉄道管理局の人事課長をしていたときに、とうじの国鉄の要員事情から、野球部といえども普通の職員とどうように徹夜勤務もやらせていたのを、なんとか定員外の扱いにしてほしいと、野球部の納会で陳情されて、酒の席だから上手にあしらえばよかったのに、余計なお説教をして、野球部贔屓の管理局長を怒らせて、僕がトイレから帰ると、局長が全員引き揚げを命じて一人ぼっちになったことがある。
そのお説教というのが、野球部の連中は列車に乗って、たとえ空席があっても座ることなく、立ったまんま足を鍛えているか?そうやって練習時間の不足を補うべし、というようなもので、今思うと穴があったら入りたいような振舞いだった。↓
それを思い出して、日体大の相撲部の監督はいかなる教育をしているのか?いや、もしかすると、あの巨体が通路に立つと邪魔になるから、極力座れとおしえているのか、などとくだらないことを考えた。
さっきの広場とバスのなかで千葉の記憶が蘇ったのだ、プルーストならなんというのか。
いつものように、二駅手前でバスを降りて、天国のように美しい花と緑の道を歩いて帰宅。
汚れが気になっていた、靴を三足磨いて風呂でも洗濯をした。
by saheizi-inokori
| 2026-04-12 07:54
| 今週の1冊、又は2・3冊
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