天才作家は鏡?
2026年 04月 05日
まず、アマゾンの件、きのう返金したとのメールがありました。
いろいろご心配頂きありがとうございました。
ブログに愚痴を書くことの意味があることもよくわかりました。
土曜日の午後のルーティン、都立大学のパン屋へ。

新緑がみずみずしい。





「私」が神の如くに崇敬する作家ベルゴット(モデルのひとりはアナトール・フランス)にスワン家の晩餐会であったときの、観察と考察はプルーストの芸術・作家論を語っている。
日本を含めて世界中の作家志望者が傍線を引きながら読んだのではないか。

いろいろご心配頂きありがとうございました。
ブログに愚痴を書くことの意味があることもよくわかりました。
土曜日の午後のルーティン、都立大学のパン屋へ。
ちよいと疲れたにより、バスで目黒区民センターまで。

いつもは家族連れなのが楽しそうにしているのに、あいにく(彼らには)の花散らしの雨で、無人の広場になつている。
新緑がみずみずしい。

遊具も無聊をかこつている、いや、楽チンを決めこんでいるのかな。

パン屋のあとは倉式カフカもルーティン化。
大掃除お疲れ様で餅入りのぜんざいを食べる。
隣の席のこどもたちは、なんやらランチペロリとあとモンブランなんとかを平然とくろうている。

「失われた時を求めて」を読んでバスで帰った途中、停留所二つ前で降りて呑川歩道を歩く。
桜をバックにサンチを撮ったこともあつた。

なんの花かと思つたら桜吹雪のしわざ。

「失われた時を求めて」から。
いったい独創性というものは本当に、大作家たちがめいめい自分一人だけの王国に君臨する神であることを証明しているのだろうか、それともこうしたことには多少の粉飾があり、作品相互のあいだの違いは、さまざまな人格のあいだにある根本的な本質の違いの表現というよりも、むしろそれにとりくむ仕事ぶりによってもたらされるけっかにすぎないのではなかろうか。こういう話と次のような話の関係を考えるのは楽しいことだ。
本当の多様性は、あの予想もしない現実の諸要素の充実のうちにあり、すでに花で埋まっているように見えた春の垣根から思いがけず青い花をいっぱいにつけて高く伸びてゆく枝のなかにある。それに反してひたすら形式的に多様性を模倣するのは(おそらく文体の他のすべての長所についても同じように考えることができようが)空っぽで画一的なもの、つまり多様性とは正反対のものにすぎず、そこに多様性があるかのような錯覚を抱いたり、それを思い出したりするのは、ただ巨匠たちの多様性を理解できなかった模倣者のみだろう。こんなのはどうだろう。
天才的な作品を作り出す人びとは、ごく優雅な環境のなかに暮らしていて、目ざましい話術や広汎な教養を身につけている人たちではなく、むしろあるとき突然に自分自身のために生きることをやめて、自分の人格を鏡に似たものにする力のある人間、こうして彼らの生活が、たとえ社交的に、いや、ある意味で知的に見てさえどれほど凡庸なものであろうとも、それがこの鏡に映し出されていくような人たちなのである。天才とは物を反映する力のなかに存するのであって、反映される光景の内在的な質のなかに存するものではないからだ。こんなのがつぎつぎに現われてそれがみんな全文引用したくなるほど面白い。
日本を含めて世界中の作家志望者が傍線を引きながら読んだのではないか。

桜🌸とサンチ、良い写真ですよ!それを撮った時のsaheiziさん、嬉しかったことでしょう。
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『失われた時』からの引用、どれもすばらしいですね(やっぱり読まなくては...)。
Amazon、解決してようございました。お疲れさまです。
普通は出品者からメールが来て、謝罪文の後に、安価な本ならば「お手元にて処分を
お願いいたします」、ある程度の値段なら「お手数ですが、着払いにてご返送お願い
いたします。ご返本確認後、返金申し上げますので後刻ご確認ください」となることが
大半だと思いますが。
Amazon、解決してようございました。お疲れさまです。
普通は出品者からメールが来て、謝罪文の後に、安価な本ならば「お手元にて処分を
お願いいたします」、ある程度の値段なら「お手数ですが、着払いにてご返送お願い
いたします。ご返本確認後、返金申し上げますので後刻ご確認ください」となることが
大半だと思いますが。
> Hana3131Hさん、夢のような日々でした。もっとそのことを満喫すべきでしたよ。
> byogakudoさん、そういうかつて私たちが「常識」と観念していたものが、失われた時を求めて、です。
by saheizi-inokori
| 2026-04-05 10:01
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(5)
