大いなる置き換え
2026年 04月 01日
きのうは昼飯後、強い風と雨のなかを満開の桜を見に出た。

(日体大脇の桜並木、ここの桜も20年前は苗木みたいなものだった)

(日体大正面玄関ロビー)
写真を撮ろうとして傘を肩にかけると風で持っていかれそうになる、帽子も飛ばされそうに。
なかなか雨中の落花の風情をしみじみ味合うのは難しい。

まいとし桜が咲いてから散るまでのあいだすべて晴天ということはないのじゃないかな。

呑川の桜、ここに引っ越してきた頃は、それはそれは見事なものだったが、その後老いた木が次々に枝を伐られ、根っこから植え替えられて、一時は見る影もなくなった。
それが、また少しづつ見られるようになった。
伐った枝はもどらないけれど。

近くのカフエで「アメリカの新右翼 トランプを生み出した思想家たち」(井上弘貴)を読み終える。
ルノー・カミュ。
若き日にはゲイの左派知識人として五月革命にも加わり、その自伝的小説の序文はロラン・バルトが書いた。
彼が文学のガイドブックを書くために、南仏の歴史ある村々を訪れたとき、イスラームのヴェールをかぶった女性たちの存在によって、村が大きく変容しているのを目の当たりにし、18世紀のドイツの科学者・ゲオルク・リヒテンベルクの「柄が取り替えられ、つぎに刃先が取り替えられたナイフは、それでも同じナイフだろうか」という言葉が脳裏をよぎる。
長く共有された歴史や文化を、同じように切望してくれる者たちは、ある人びとの輪のなかに同じように入ることができる。しかし、自分たちはあくまでも自分たちのままであると言う人びとは、他の人びとの輪のなかに入ることはできない。彼らがしようとしているのは征服であり、元の人びとに置き換わろうとしているのだ。
カミュは、これを「大いなる置き換え」「大いなる文化の剥奪」と呼ぶ。
そして、教養ある階級の文化の担い手(ブルジョア)が、文化産業の担い手であるプチブルジョアに置き換えられることを「小さな置き換え」という。
カミュによれば、ダボスに集うグローバルエリートも、イギリスのダイアナ妃も文化的にはプチブルジョアなのだ。
さらにカミュは、アフリカからのヨーロッパへの移民の動きを「アフリカ人によるヨーロッパの植民地化」ともいう。
反ユダヤでもなく、人種差別主義でもないカミュのこれらの言葉はネットを通じて、彼の本を読んだこともない欧米の白人至上主義者にインスピレーションを与え、ニュージーランドのクライストチャーチ、エルパソのウォルマート、バッファローのスーパーマーケットなどの大量銃撃事件の引き金となった。
ハンガリーのオルバンも2022年総選挙後の演説のなかで

もともとは進歩を肯定的にとらえるか否かで左右の区分がなされてきた。
ところが、トランプ政権に見られるように、進歩はいまや右派(ニューライト)の旗印となった。
ヴァンス副大統領は、トランプ陣営内部のテクノ-オプティミストとポピュリストの対立は、双方の恐れや不満を解消することによって、回避できるとの考えにもとずき、テクノ-オプティミストとポピュリストの「共通の敵」は、移民からなる安価な労働力であるとし、移民規制強化をイノベーションの解放と連動させて弁護した。
第二次トランプ政権の全方位的な関税は、移民規制強化と車の両輪の関係にあるのだ。

(夜桜も)
ならば、僕はなおいっそう、古ぼけた石頭を後生大事にして生きていくほかはない。
いまさら、右とか左とかに色目をつかうことなく、人権を尊重し平和を守り、弱いものにやさしく、自分を含めて差別に厳しく、余生を生きていくのだ。
そう簡単に置き換えられてたまるものか。

日体大の校内のATMを利用しようとおもったが、見つからなかった。

出てから、あ、たしか地下だったかもしれないと思ったが戻るほどのこともない。
出口で女子学生が笑い転げている。
友人の持っていた傘がおちょこになったのが可笑しいのだ。
箸が転げても傘が飛ばされても、、だね。

出口で女子学生が笑い転げている。
友人の持っていた傘がおちょこになったのが可笑しいのだ。
箸が転げても傘が飛ばされても、、だね。

写真を撮ろうとして傘を肩にかけると風で持っていかれそうになる、帽子も飛ばされそうに。
なかなか雨中の落花の風情をしみじみ味合うのは難しい。

まいとし桜が咲いてから散るまでのあいだすべて晴天ということはないのじゃないかな。

呑川の桜、ここに引っ越してきた頃は、それはそれは見事なものだったが、その後老いた木が次々に枝を伐られ、根っこから植え替えられて、一時は見る影もなくなった。
それが、また少しづつ見られるようになった。
伐った枝はもどらないけれど。

近くのカフエで「アメリカの新右翼 トランプを生み出した思想家たち」(井上弘貴)を読み終える。
ルノー・カミュ。
若き日にはゲイの左派知識人として五月革命にも加わり、その自伝的小説の序文はロラン・バルトが書いた。
彼が文学のガイドブックを書くために、南仏の歴史ある村々を訪れたとき、イスラームのヴェールをかぶった女性たちの存在によって、村が大きく変容しているのを目の当たりにし、18世紀のドイツの科学者・ゲオルク・リヒテンベルクの「柄が取り替えられ、つぎに刃先が取り替えられたナイフは、それでも同じナイフだろうか」という言葉が脳裏をよぎる。
長く共有された歴史や文化を、同じように切望してくれる者たちは、ある人びとの輪のなかに同じように入ることができる。しかし、自分たちはあくまでも自分たちのままであると言う人びとは、他の人びとの輪のなかに入ることはできない。彼らがしようとしているのは征服であり、元の人びとに置き換わろうとしているのだ。
カミュは、これを「大いなる置き換え」「大いなる文化の剥奪」と呼ぶ。
そして、教養ある階級の文化の担い手(ブルジョア)が、文化産業の担い手であるプチブルジョアに置き換えられることを「小さな置き換え」という。
カミュによれば、ダボスに集うグローバルエリートも、イギリスのダイアナ妃も文化的にはプチブルジョアなのだ。
さらにカミュは、アフリカからのヨーロッパへの移民の動きを「アフリカ人によるヨーロッパの植民地化」ともいう。
反ユダヤでもなく、人種差別主義でもないカミュのこれらの言葉はネットを通じて、彼の本を読んだこともない欧米の白人至上主義者にインスピレーションを与え、ニュージーランドのクライストチャーチ、エルパソのウォルマート、バッファローのスーパーマーケットなどの大量銃撃事件の引き金となった。
ハンガリーのオルバンも2022年総選挙後の演説のなかで
われわれが直面している戦争の10年という絵図の一部は、波のように繰り返し起きる西洋世界の自殺的な政策が占めるだろう。そのような自殺的な試みのひとつはわたしの見るところ、大いなるヨーロッパの民の置き換えの計画であり、それは失われつつあるヨーロッパのキリスト教徒の子どもたちを移民、すなわち他の文明からやってきた大人と置き換えようとするものである。文化戦争がアメリカ国内にとどまらず、環大西洋的なネットワークを形成してきたなかで、カミュのグローバルな位置づけを見る必要がある。

もともとは進歩を肯定的にとらえるか否かで左右の区分がなされてきた。
ところが、トランプ政権に見られるように、進歩はいまや右派(ニューライト)の旗印となった。
ヴァンス副大統領は、トランプ陣営内部のテクノ-オプティミストとポピュリストの対立は、双方の恐れや不満を解消することによって、回避できるとの考えにもとずき、テクノ-オプティミストとポピュリストの「共通の敵」は、移民からなる安価な労働力であるとし、移民規制強化をイノベーションの解放と連動させて弁護した。
第二次トランプ政権の全方位的な関税は、移民規制強化と車の両輪の関係にあるのだ。

本書の最後に筆者はこう書く。
ただし例によってアメリカに従属する右翼という変態的なものとして、またキリスト教とは無縁なものとして。
彼らには思想なんて大それたものはないのかもしれない。
単に熱狂的な支持者がいるからというだけかも。
やっていることも背後のネトウヨのご機嫌取りと自分のメンツ至上かも。

テクノロジーに導かれて右派と進歩とがますます結びつき、パンドラの箱から極右的価値観がとめどなく飛び出している現在、古典的自由主義を含め、保守主義もまた居場所を失いつつある。右であれ左であれ、いまや穏健であることは罪になりつつある。対立する価値観や利害のあいだで可能な限りのすり合わせを試みるような態度は利敵行為とみなされ、敵なのか味方なのかはっきりしない者はどちらからも胡散臭い目で見られる時代である。その只中で、一体どのような思想を紡ぐことができるのだろうか。高市とその取り巻きもまたパンドラの箱から飛び出したものに影響されて出現したのかもしれない。
かつて日本にとってのアメリカは、なんだかんだと批判の対象となりつつも、最後は理想視できる存在だった。そのアメリカが現在、あまりにも巨大な他山の石としてわれわれの前にたちはだかっている。
ただし例によってアメリカに従属する右翼という変態的なものとして、またキリスト教とは無縁なものとして。
彼らには思想なんて大それたものはないのかもしれない。
単に熱狂的な支持者がいるからというだけかも。
やっていることも背後のネトウヨのご機嫌取りと自分のメンツ至上かも。

ならば、僕はなおいっそう、古ぼけた石頭を後生大事にして生きていくほかはない。
いまさら、右とか左とかに色目をつかうことなく、人権を尊重し平和を守り、弱いものにやさしく、自分を含めて差別に厳しく、余生を生きていくのだ。
そう簡単に置き換えられてたまるものか。
そうだー! 全くその通りー!\(^o^)/\(^o^)/
最後の3行に激しく共感です
最後の3行に激しく共感です
6
>右とか左とかに色目をつかうことなく、人権を尊重し平和を守り、弱いものにやさしく、自分を含めて差別に厳しく、余生を生きていくのだ。
ほんとそうですね。
誰に何と言われようが、嫌われようが、自分の正しさを確立して生きて行きたい。
体は経年劣化で、動きも緩慢になって来てるけど、心は自由にですね。
ほんとそうですね。
誰に何と言われようが、嫌われようが、自分の正しさを確立して生きて行きたい。
体は経年劣化で、動きも緩慢になって来てるけど、心は自由にですね。
アラックが日体大に通っていた最後は42年目です。
桜も大きくなりました。
先日倒木した砧公園の桜も凄くなりました。
今の世田谷をいっぱいありがとうございます。
お見事バグースです。
日体大の世田谷校舎、全て新しくなりました。
2023年に大学の仕事に就くために、卒業(専攻科の修了)
証明書をもらいに行ったんです。
桜も大きくなりました。
先日倒木した砧公園の桜も凄くなりました。
今の世田谷をいっぱいありがとうございます。
お見事バグースです。
日体大の世田谷校舎、全て新しくなりました。
2023年に大学の仕事に就くために、卒業(専攻科の修了)
証明書をもらいに行ったんです。
とても共感します。💐 夜桜や柳のお写真が美しいです。🌸
> maya653さん、ありがとう。
> koro49さん、心だけは!と思います。
> jyon-non3さん、夜桜はハッとするような美しさでした。憂鬱な気持をなだめてくれましたよ。
> okadatoshiさん、なにをもって成功というのか、何をしに行ったのでしょう。
by saheizi-inokori
| 2026-04-01 10:20
| 今週の1冊、又は2・3冊
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