スワンの恋人
2026年 03月 07日
きのうは大掃除に加えて、夕方散歩に出た。
もうダウンはしまつてもいいのかな、手袋もマフラーも。

日体大の学生寮の駐車場に咲く早咲き桜、思い出して訪ねると、きれいに咲いていた。

図書館に本を返す。
ひさしぶりの図書館、やあ、みんな元気だったかい。
ここに住んでいるようなおじさんも、元気そうにパソコンに向かっていた。
無理しないことにして引き返す。
きのうの歩数は3812歩。
ひさしぶりの図書館、やあ、みんな元気だったかい。
ここに住んでいるようなおじさんも、元気そうにパソコンに向かっていた。
無理しないことにして引き返す。
きのうの歩数は3812歩。

スワンが恋したのは高級娼婦のオデットだった。
はじめて劇場で旧友に彼女を紹介されたとき、スワンの目に彼女は、どうでもよいような種類の美人、さっぱり彼の欲望をかき立てず、むしろ一種の肉体的嫌悪感すら起こさせる美人に見えた。
しかし、彼女は積極的で「あなたさまのコレクションを見せてほしい、何も知らない女ではございますが、きれいなものが大好き」という手紙をよこす。
それから頻繁に彼女はやってくるが、スワンは「この女の持っている大そうな美しさが、すんなりと好きになれるような類の美しさでないことを残念に思う」のだ。
それでいて、彼女が帰ってしまうと「この次に来てもよいと言われるまでどんなに待ち遠しいことでしょう」と言っていたのを思いだして微笑む。
やがて彼女は、自分が常連である、ヴェルデュラン家の「小さな核」「小さなグループ」「小さな徒党」にスワンを連れて行く。
この「小さな徒党」に加わる条件は、ヴェルデュラン夫人が贔屓にしている若いピアニストがプランテやルビンシュタインを束にしてやっつけてしまうこととドクター・コタールが高名な医師以上に診断がすぐれていること、および「うちに来ない連中の夜会なんて雨の日のように退屈だ」ということを黙って認めることだった。
婦人たちが、他のサロンの魅力を確かめようとすると、ヴェルデュラン夫妻は、小さな教会の正統派に浮薄の悪魔が伝染することを怖れて、当該婦人たちを締め出すものだから、女性信者はピアニストの叔母に当たる、もと門番をしていた女とオデットだけになっていたのだ。

スワンがまだオデットを恋する前のこと、彼は彼女がシスティナ礼拝堂の壁画にあるボッティチェリの描いた、エテロの娘チッポラ(↑)に似ていることを発見する。
そして
あの大サンドロ(ボッテイチェリ)が見たらきっと愛すべき人だと思ったにちがいない女の価値を、自分が見損なっていたのを責め、またオデットに会うという喜びが彼自身の美学的教養によって正当化されるのを嬉しく思った。しかし、
彼は忘れていたのだ、そうだからといって、けっしてオデットがそのためにいっそう彼の欲望にかなう女になったわけではないことを。なぜならまさしく彼の欲望は、常に彼の美的趣味と反対の方角に向いていたからである。
そして、以前聴いて、
あの目に見えない現実の一つが存在しているのを見出し、
あたかも彼を苦しめているかさかさになった心に対して音楽だけが一種の特別な影響力を持っているかのように、彼はふたたびこの現実に対して自分の人生を捧げたいという欲望、ほとんどそうする力といったものを感じた。その時は名も知らなかった楽節を探し求めて、見つけることができなかった楽節に出会うのだ、まるで道で出会ってすっかり惹きつけられてしまった女に不意に顔を合わせたように。
音楽はスワンの青春を蘇らせるのだ。
スワンはこの小楽節を、自分とオデットの恋愛のしるし、記念のように見なし、オデットは「わたしたちの曲」というのだった。
この本、面白そうです。内容にそそられます。近くの図書館にあるといいのですが。検索してみます。
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> barnes_and_nobleさん、肩に力を入れないで読むと楽しめると思います。
by saheizi-inokori
| 2026-03-07 10:27
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(2)

