憎むべき「固有名詞」
2026年 02月 08日
静かな日曜日の朝、雪景色だ。

さあ、サナエ推しの皆さん、高市さんは、もう大丈夫だから、投票にいかずにゆっくりしてくださいね。
きのうの午後、雪が降り出したので、いそいそと(これは、選挙に関係なく、単純に子供っぽい雪やこんこの気持)散歩に出かけた。

さすがにちょっと寒かったけれど、厚着でインターバル速歩をやっているうちに暖かくなってきた。

図書館に行くと、ホールで駒澤大学落語くらぶの「春を呼ぶ落語会」の看板が目についた。
雪を呼ぶ、のまちがいかな。

のぞいてみるとこんな感じ、聞かないで図書館に直行。
「新訳ソシュール一般言語学講義」「ソシュール講義録注解」と「名前と人間」(田中克彦)を借りた。
さっそく近所のカフエに寄って、借りてきた本を開いてみる。
「ソシュール講義録注解」は、前田英樹訳・注で、訳者のまえがきに「「注解」は、テクストに可能なひとつの展開を与えるものであって、決してそれを<わかりやすく>するものではないことをお断わりしておく」とあって、書名につられた僕を突き放す。
しかも二三頁読んでみると、こりゃあ、とても歯がたたない。
「新訳ソシュール一般言語学講義」は町田健の翻訳で、こちらの方がいかにも教科書風(弟子たちのまとめた著作ではあるが)、これもいかにも難解そうだが、これを読むことにしよう。
その前に、ソシュールの言葉を紹介して、これはなんとかソシュールに挑戦しなくては、という気持にさせてくれた、田中克彦の「名前と人間」を読む。
何といっても、こちらは読みやすいうえに、言語学について教えてくれそうだ。
少しでも言語学の考え方に馴れてから、ソシュール山を登るべきとのあさはかな考えだ。

田中克彦「「差別語」からはいる言語学入門」に書いてあった、「清潔な学問」と「不潔な学問」のことが載っているというので、図書館から借りてきた「名前と人間」。
歴史学のような固有名詞に埋めつくされた、風通しの悪い「不潔な学問」、それに対して、言語学は、固有名詞は不要で「清潔な学問」という。
なぜ不潔かというと、知識や固有名詞を身につけるために、労働から解放されたばく大な時間を費やすからだ、と。
一般的な著作でも、あるいは学問的な著作でも、固有名詞の使用が少なければ少ないほど作者の考えは深く成熟しており、逆に固有名詞が多ければ多いほど、言いかえれば知識の量に頼れば頼るほど、その著作は生煮えで、考えは浅いとさえ思っている。
本書は、固有名詞憎悪の感情にかられて書いたという。
固有名詞があるというそのことが、言語が本来的に社会的なものであるということの証拠。
ママはたくさんいて、それぞれに固有名詞がついている。
子供は固有名詞を覚えさせられて社会化する。
そういう意味では言語学では軽んぜられている固有名詞こそ、宿命としての言語の本質的部分だ。
名づけるということが、所属を明らかにし、そこに差別も支配も生じる。
憎いものだけれど、固有名詞について学ぼう。





さあ、サナエ推しの皆さん、高市さんは、もう大丈夫だから、投票にいかずにゆっくりしてくださいね。
きのうの午後、雪が降り出したので、いそいそと(これは、選挙に関係なく、単純に子供っぽい雪やこんこの気持)散歩に出かけた。

さすがにちょっと寒かったけれど、厚着でインターバル速歩をやっているうちに暖かくなってきた。

図書館に行くと、ホールで駒澤大学落語くらぶの「春を呼ぶ落語会」の看板が目についた。
雪を呼ぶ、のまちがいかな。

のぞいてみるとこんな感じ、聞かないで図書館に直行。
「新訳ソシュール一般言語学講義」「ソシュール講義録注解」と「名前と人間」(田中克彦)を借りた。
さっそく近所のカフエに寄って、借りてきた本を開いてみる。
「ソシュール講義録注解」は、前田英樹訳・注で、訳者のまえがきに「「注解」は、テクストに可能なひとつの展開を与えるものであって、決してそれを<わかりやすく>するものではないことをお断わりしておく」とあって、書名につられた僕を突き放す。
しかも二三頁読んでみると、こりゃあ、とても歯がたたない。
「新訳ソシュール一般言語学講義」は町田健の翻訳で、こちらの方がいかにも教科書風(弟子たちのまとめた著作ではあるが)、これもいかにも難解そうだが、これを読むことにしよう。
その前に、ソシュールの言葉を紹介して、これはなんとかソシュールに挑戦しなくては、という気持にさせてくれた、田中克彦の「名前と人間」を読む。
何といっても、こちらは読みやすいうえに、言語学について教えてくれそうだ。
少しでも言語学の考え方に馴れてから、ソシュール山を登るべきとのあさはかな考えだ。

田中克彦「「差別語」からはいる言語学入門」に書いてあった、「清潔な学問」と「不潔な学問」のことが載っているというので、図書館から借りてきた「名前と人間」。
歴史学のような固有名詞に埋めつくされた、風通しの悪い「不潔な学問」、それに対して、言語学は、固有名詞は不要で「清潔な学問」という。
なぜ不潔かというと、知識や固有名詞を身につけるために、労働から解放されたばく大な時間を費やすからだ、と。
一般的な著作でも、あるいは学問的な著作でも、固有名詞の使用が少なければ少ないほど作者の考えは深く成熟しており、逆に固有名詞が多ければ多いほど、言いかえれば知識の量に頼れば頼るほど、その著作は生煮えで、考えは浅いとさえ思っている。
本書は、固有名詞憎悪の感情にかられて書いたという。
固有名詞があるというそのことが、言語が本来的に社会的なものであるということの証拠。
ママはたくさんいて、それぞれに固有名詞がついている。
子供は固有名詞を覚えさせられて社会化する。
そういう意味では言語学では軽んぜられている固有名詞こそ、宿命としての言語の本質的部分だ。
名づけるということが、所属を明らかにし、そこに差別も支配も生じる。
憎いものだけれど、固有名詞について学ぼう。

相変わらず難しい本を学問なさっていますねぇ。
固有名詞は憎い存在。
固有名詞が少なければ少ないほど、深く成熟している作者の考え・・・・
もうそれだけで、わけわからない。
生煮えどころか生のまんま目の前に転がっている現実。
タカイチ女子の大勝利に終わったら、日本は坂道を転がり落ちるのだろうか?
固有名詞は憎い存在。
固有名詞が少なければ少ないほど、深く成熟している作者の考え・・・・
もうそれだけで、わけわからない。
生煮えどころか生のまんま目の前に転がっている現実。
タカイチ女子の大勝利に終わったら、日本は坂道を転がり落ちるのだろうか?
2
「知識や固有名詞を身につけるために、労働から解放されたばく大な時間を費や」
さなければならない学問は「不潔な学問」という話、初めて知りました。
そして、腑に落ちました。
ちなみにタカイチ大勝利は腑に落ちません……。
さなければならない学問は「不潔な学問」という話、初めて知りました。
そして、腑に落ちました。
ちなみにタカイチ大勝利は腑に落ちません……。
> chronoir2023さん、腑に落ちましたか、私は意味は分かりますが、納得する、という所まではいきません^^。
高市の方は、逆にこうなってみると、野党に少しでも国民の希望を感じさせるものがあったのか、いままでの政治状況への絶望がこういう結果を生んだのではないか、と妙に腑に落ちるのです。
高市の方は、逆にこうなってみると、野党に少しでも国民の希望を感じさせるものがあったのか、いままでの政治状況への絶望がこういう結果を生んだのではないか、と妙に腑に落ちるのです。
by saheizi-inokori
| 2026-02-08 08:51
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(4)