オモシロイ
2025年 12月 14日
冷たい雨が降る朝、新聞を取りに出て、外に出てみた。
乾ききっていた町が濡れて静まり返っている。
心の渇きも潤してくれるのだろうか。
きょう雨の予報だったので、きのう洗濯をしたのに、やはり今日は今日で洗ってしまいたいものがあった。

せんじつ九品仏でみた。
しなる細い枝が折れやしないかと、ひやひやしながらしばらく見ていた。

園芸高校では畜産学も教えている。小さな子供が金網越しに声をかけていた。
昔、JR千葉支社の保線区で沿線の除草のために飼っていたのは羊だったか、それともヤギだったのか、

四時間の大掃除に自分でご褒美、近所のカフエで本を読んだ。
入れ替わり立ち替わり、小さな子供連れが二組、乳母車に赤ちゃんを乗せた一人、腰の曲がったお母さんを連れた女性、犬を連れた男は寒い外で飲んでいた。
初めてあった女性スタッフの美形で、感じのよいこと!

せんじつ誘惑に負けて買ってしまった本。
ノーベル賞物理学賞(2022年)受賞のアントン・ツァイリンガーの一見読みやすそうな量子力学入門書だ。
量子力学について、いったい今まで何冊の入門書を読んだことか。
「わかりやすい」ことを売りにしている本は、語り口は身近な事例を引いてみたり、法則の発見にまつわる愉快なエピソードをまじえたりして、一見読みやすいけれど、いかんせん、肝心の量子論の真髄になると、そうか、そういいうことだったのか、と霧が晴れたように明解な世界が見えたことは、一度もない。
物理学者のなかにも、ほんとうに量子論を理解している人はそう多くはない(真髄は理解しないままに応用・利用はしても)ということを、どこかで聞いたような記憶もあるから、高校時代に物理学が最も苦手だった僕がわからないのも当り前かもしれない。
しかし、面白いのだ。
世界の成り立ちを、どんどん小さい部分を追い詰めていくと、それは粒子とも言えて同時に波とも言える、とか、いかなる物体についても位置と運動量(速度×質量)を同時に任意の精度で知ることはできない、とか。
仏教の唯識論とかユングの元型(集合的無意識)などとも、どこかで通底するように思ってみたりもする。
どれも半可通とすら言えない聞きかじりていどの知識・理解であるけれど。
本書もおそらく、いや間違いなく、量子論の真髄については、僕の蒙を啓いてくれることはないだろう。
でも、面白いのだ。
たとえば「量子もつれ」、
SF小説か、それとも禅問答か。
理解しようとせずに、そういうものとして全てを受け容れるしかないのは、「悟り」のようなものかもしれない。
そういう事象が、この宇宙・世界・身の回りのすべての根っこにあるということが、オモシロイではないか。




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乾ききっていた町が濡れて静まり返っている。
心の渇きも潤してくれるのだろうか。
きょう雨の予報だったので、きのう洗濯をしたのに、やはり今日は今日で洗ってしまいたいものがあった。

しなる細い枝が折れやしないかと、ひやひやしながらしばらく見ていた。

昔、JR千葉支社の保線区で沿線の除草のために飼っていたのは羊だったか、それともヤギだったのか、

入れ替わり立ち替わり、小さな子供連れが二組、乳母車に赤ちゃんを乗せた一人、腰の曲がったお母さんを連れた女性、犬を連れた男は寒い外で飲んでいた。
初めてあった女性スタッフの美形で、感じのよいこと!

せんじつ誘惑に負けて買ってしまった本。
ノーベル賞物理学賞(2022年)受賞のアントン・ツァイリンガーの一見読みやすそうな量子力学入門書だ。
量子力学について、いったい今まで何冊の入門書を読んだことか。
「わかりやすい」ことを売りにしている本は、語り口は身近な事例を引いてみたり、法則の発見にまつわる愉快なエピソードをまじえたりして、一見読みやすいけれど、いかんせん、肝心の量子論の真髄になると、そうか、そういいうことだったのか、と霧が晴れたように明解な世界が見えたことは、一度もない。
物理学者のなかにも、ほんとうに量子論を理解している人はそう多くはない(真髄は理解しないままに応用・利用はしても)ということを、どこかで聞いたような記憶もあるから、高校時代に物理学が最も苦手だった僕がわからないのも当り前かもしれない。
しかし、面白いのだ。
世界の成り立ちを、どんどん小さい部分を追い詰めていくと、それは粒子とも言えて同時に波とも言える、とか、いかなる物体についても位置と運動量(速度×質量)を同時に任意の精度で知ることはできない、とか。
仏教の唯識論とかユングの元型(集合的無意識)などとも、どこかで通底するように思ってみたりもする。
どれも半可通とすら言えない聞きかじりていどの知識・理解であるけれど。
本書もおそらく、いや間違いなく、量子論の真髄については、僕の蒙を啓いてくれることはないだろう。
でも、面白いのだ。
たとえば「量子もつれ」、
互いに衝突した二つの粒子は、遠く離れてもなお緊密に結びついている。
そして二つの粒子の一方を「観測」するという実際の行為によって、両者がどれほど遠く離れていても、ただちにもう一つの粒子に影響が生じる。
SF小説か、それとも禅問答か。
理解しようとせずに、そういうものとして全てを受け容れるしかないのは、「悟り」のようなものかもしれない。
そういう事象が、この宇宙・世界・身の回りのすべての根っこにあるということが、オモシロイではないか。

線路わきの除草目的で飼っていたのは「ヤギ」でした。言い出しっぺはJR移行直前まで国鉄千葉鉄道管理局長を務めていた、偶然にも「草木」という苗字の御仁(故人)にて、先行していた日本道路公団の事例を見倣ったものだった…と。
当時の「試験開発費」予算を充当して農家から雄ヤギ2頭を買い入れ、現場(保線区)に配属したものの、たしか1頭は「食当たり」で間もなく殉職した…かと。
当時の「試験開発費」予算を充当して農家から雄ヤギ2頭を買い入れ、現場(保線区)に配属したものの、たしか1頭は「食当たり」で間もなく殉職した…かと。
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> chronoir2023さん、そうでした、尻尾を撮れなかった。金網越しは難しい。
こんにちは。
世の中わからなくても面白いものがありますよね。ツァインリンガーは〈ベルの不等式〉を実験で証明した人ですよね。〈実在とは確率であり、非局所的である。〉この物理的現実が思っているほどガチガチのものではなさそうでさらに複数の現実が分岐していくエヴレットの〈多世界解釈〉とか別の世界線では結婚して家族もいて大金持ちになった自分がいるのかもしれないとか妄想するだけでも救いです(笑)。量子物理学は本当に面白い。
世の中わからなくても面白いものがありますよね。ツァインリンガーは〈ベルの不等式〉を実験で証明した人ですよね。〈実在とは確率であり、非局所的である。〉この物理的現実が思っているほどガチガチのものではなさそうでさらに複数の現実が分岐していくエヴレットの〈多世界解釈〉とか別の世界線では結婚して家族もいて大金持ちになった自分がいるのかもしれないとか妄想するだけでも救いです(笑)。量子物理学は本当に面白い。
by saheizi-inokori
| 2025-12-14 11:11
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(8)