秘境の暮らし
2025年 12月 05日
秘境の駅をめぐるテレビを見ていたら、懐かしい小湊鉄道が出てきた。
あそこの上総中野から千葉まで通っていた、昭平さんが亡くなっていたことを聞いたのは、先日の千葉の友人との一杯会でだった。
あれから、もう一月が過ぎてしまった。
SやんやM君、元気でいるかな。
それにしても昭平さんは、遠くから通っていたんだなあ。
人事課の賞罰の係になると、賞状を書かなければならないので、みんな習字を習うのだつた。
あの費用は国鉄持ちじゃなかったと思うなあ。
だってその後貨物課に異動したとき、貨物営業センターに配属になって車の運転をしなければならない職員の免許取得費用を国鉄持ちにすることでひと悶着あったものなあ、あの頃は免許を持っている人が少なかったのだ。
悪筆だったという昭平さんは、僕とあったときはすでに努力の甲斐あって墨痕淋漓、まじめな性格を表す気持のよい字を書いた。
初版本を集めるのが趣味で、三島由紀夫の「豊饒の海」五巻は彼にすすめられて僕も初版でそろえた。
そのすぐあと、三島が割腹自殺したのは、まだ僕が人事課にいたころだった。
昭平さんは、版画もよくし、年賀状をもらうのが楽しみだったのに、いつごろか来なくなって、体調を崩していることを知ったのだった。
不便だけれど、こんなに美しい、まるで童話の世界に出てくるような田園と森と駅を見て暮らしていたんだ、。
年寄りの晩酌かたがたのテレビは次から次へととりとめのない想いに誘われる。

小湊鉄道の上総大久保という「秘境」の駅近くに、下北沢から移住した夫婦が、ガスを使わず薪で風呂から炊事などすべてをまかなっているのを見て、はじめは「すごいな」と思ったが、考えてみたら僕の家も初めてプロパンガスを使うようになったのは、僕が高校に入ってからだったことに気づいた。
台所の流しの横に、ちょっとした出窓みたいなものがあって、そこの竈で煮炊きをしていたのだ。
中学時代の友人が高校に進学して、日通でアルバイトをしていたときに、日通が代理店をしていたプロパンガスを売りにきて、居合わせた母がそれを買ったのだった。
とても買ってはくれないと思いながらも、いちおう取り次いだところが、契約しようといってくれた時は、ビックリしながらもとても嬉しかった。
遅い残業から帰っての晩御飯には、竈を使っての料理など思いもよらず、石油ストーブで沸かしたお湯に砂糖をいれて飲むことも多かった。

(砧公園)
竈の火、七輪の火、コタツの火、厳冬の長野での暮らしに、火を用意することは僕たち子供にとってさえ、一大ルーテインだった。
雪の中を新聞配達をして帰ってきたときに食べた温かいご飯と味噌汁は、母が竃に火を熾して用意してくれたのだ。
学校から帰って、コタツのなかに首をつっこんで、灰をかけておいた、炭火が残っていた時の安堵感!
小学校の職業家庭の、工作の課題で、炭を小出しにして持ち運ぶ炭箱を作ったこと、無器用だからスキマがあって、炭の粉が落ちたことなども思い出す。
プロパンガスにして、いちばん嬉しかったのは、母だろう。
あれは水道や洗濯機に匹敵する家事の革命だった。
それにしても、あの竈の燃料がなんであったか、薪か炭か、それとも練炭や炭団だったか?
それが思い出せないのだ。
焚きつけた記憶があるから、薪と炭の併用だったのかもしれない。

「免疫の守護者 制御性T細胞とはなにか」(坂口志文 塚崎朝子)を読了。
第六章「制御性T細胞でがんに挑む」第七章「制御性T細胞が拓く新たな免疫医療」第八章「制御性T細胞とは何者か」「あとがき」。
制御性T細胞の存在を確信して、半世紀近く、ある意味では孤独な厳しい研究を続けてきた、そのプロセスと今後の楽しみな可能性が素朴な語り口で記されていて、静かな感動をもって読み終えた。
強い信念と研究者である奥様との二人三脚が孤独を支えたのだろう。
奇しくも昨日の東京新聞に、坂口志文と大隈良典(2016年ノーベル賞受賞)の対談が載っていた。
そのなかで「基礎研究の重要性や支援のあり方」についての二人の言葉。




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あそこの上総中野から千葉まで通っていた、昭平さんが亡くなっていたことを聞いたのは、先日の千葉の友人との一杯会でだった。
あれから、もう一月が過ぎてしまった。
SやんやM君、元気でいるかな。
それにしても昭平さんは、遠くから通っていたんだなあ。
人事課の賞罰の係になると、賞状を書かなければならないので、みんな習字を習うのだつた。
あの費用は国鉄持ちじゃなかったと思うなあ。
だってその後貨物課に異動したとき、貨物営業センターに配属になって車の運転をしなければならない職員の免許取得費用を国鉄持ちにすることでひと悶着あったものなあ、あの頃は免許を持っている人が少なかったのだ。
悪筆だったという昭平さんは、僕とあったときはすでに努力の甲斐あって墨痕淋漓、まじめな性格を表す気持のよい字を書いた。
初版本を集めるのが趣味で、三島由紀夫の「豊饒の海」五巻は彼にすすめられて僕も初版でそろえた。
そのすぐあと、三島が割腹自殺したのは、まだ僕が人事課にいたころだった。
昭平さんは、版画もよくし、年賀状をもらうのが楽しみだったのに、いつごろか来なくなって、体調を崩していることを知ったのだった。
不便だけれど、こんなに美しい、まるで童話の世界に出てくるような田園と森と駅を見て暮らしていたんだ、。
年寄りの晩酌かたがたのテレビは次から次へととりとめのない想いに誘われる。

小湊鉄道の上総大久保という「秘境」の駅近くに、下北沢から移住した夫婦が、ガスを使わず薪で風呂から炊事などすべてをまかなっているのを見て、はじめは「すごいな」と思ったが、考えてみたら僕の家も初めてプロパンガスを使うようになったのは、僕が高校に入ってからだったことに気づいた。
台所の流しの横に、ちょっとした出窓みたいなものがあって、そこの竈で煮炊きをしていたのだ。
中学時代の友人が高校に進学して、日通でアルバイトをしていたときに、日通が代理店をしていたプロパンガスを売りにきて、居合わせた母がそれを買ったのだった。
とても買ってはくれないと思いながらも、いちおう取り次いだところが、契約しようといってくれた時は、ビックリしながらもとても嬉しかった。
遅い残業から帰っての晩御飯には、竈を使っての料理など思いもよらず、石油ストーブで沸かしたお湯に砂糖をいれて飲むことも多かった。

竈の火、七輪の火、コタツの火、厳冬の長野での暮らしに、火を用意することは僕たち子供にとってさえ、一大ルーテインだった。
雪の中を新聞配達をして帰ってきたときに食べた温かいご飯と味噌汁は、母が竃に火を熾して用意してくれたのだ。
学校から帰って、コタツのなかに首をつっこんで、灰をかけておいた、炭火が残っていた時の安堵感!
小学校の職業家庭の、工作の課題で、炭を小出しにして持ち運ぶ炭箱を作ったこと、無器用だからスキマがあって、炭の粉が落ちたことなども思い出す。
プロパンガスにして、いちばん嬉しかったのは、母だろう。
あれは水道や洗濯機に匹敵する家事の革命だった。
それにしても、あの竈の燃料がなんであったか、薪か炭か、それとも練炭や炭団だったか?
それが思い出せないのだ。
焚きつけた記憶があるから、薪と炭の併用だったのかもしれない。

「免疫の守護者 制御性T細胞とはなにか」(坂口志文 塚崎朝子)を読了。
第六章「制御性T細胞でがんに挑む」第七章「制御性T細胞が拓く新たな免疫医療」第八章「制御性T細胞とは何者か」「あとがき」。
制御性T細胞の存在を確信して、半世紀近く、ある意味では孤独な厳しい研究を続けてきた、そのプロセスと今後の楽しみな可能性が素朴な語り口で記されていて、静かな感動をもって読み終えた。
強い信念と研究者である奥様との二人三脚が孤独を支えたのだろう。
奇しくも昨日の東京新聞に、坂口志文と大隈良典(2016年ノーベル賞受賞)の対談が載っていた。
そのなかで「基礎研究の重要性や支援のあり方」についての二人の言葉。
(坂口)一番簡単な指標は、GDP(国民総生産比)で教育研究に日本政府が出しているお金で、OECD加盟国の中でも下から2番目くらい。研究に対する金銭的な支援をまずしていただきたい。選択と集中も重要ですが、まず広くサポートする。その中でポッポッと面白いものが出てきた時に目利きが少し手厚くサポートする、というようなことですね。一番面白いサイエンスってのは、ひょっとしてまだ目に見えていないものかもしれません。今の政治は、ますますその傾向を助長しそうだな、困ったものよ。
(大隅)世界中ざわついていて、余裕のない生活に追い込まれているのが深刻な問題だと思っています。サイエンスってそんなに効率ではかれるものではない。人間の知恵を大事にしましょうという社会的感覚が若い人にこそ広がることが大事。「2,3年で成果を上げる」と言わないと研究費をもらえないことが長く続き、日本のサイエンスと大学の研究、若者の意識にもすごく影響を与えていると思います。

母が出札(あってるかしら?)の人は行き先を書くのでみんな字を練習するから上手なのよ。と来る年賀状を見せてくれました。私達姉妹にもう少しまともな字を描ける様になりなさいという意味も込めてたかも笑
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北国の冬の記憶の一つは、教室のダルマストーブです。
当番が交替で朝早く学校へ行き、守衛さんに焚き木、古新聞をもらってコークスに火をつけます。
ストーブの周りに棚があって、皆が弁当箱を置いて暖めます。
沢庵の臭いが教室にたちこめます(^^)
当番が交替で朝早く学校へ行き、守衛さんに焚き木、古新聞をもらってコークスに火をつけます。
ストーブの周りに棚があって、皆が弁当箱を置いて暖めます。
沢庵の臭いが教室にたちこめます(^^)
> kogotokoubeiさん、そうそう、あれは凄い匂いでしたね。
私達はストーブに火をつけた記憶がありません。
こづかいさん(そう言いました)がやってくれたのか、それは大変、先生だったのかな。
私達はストーブに火をつけた記憶がありません。
こづかいさん(そう言いました)がやってくれたのか、それは大変、先生だったのかな。
> ikuohasegawaさん、煙が目に染みる?これは懐旧の涙かな。
by saheizi-inokori
| 2025-12-05 12:53
| よしなしごと
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